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創世神話Ⅰ 女神たちが紡ぐ三千五百年物語  作者: ゆみとも
第一章 神婚の儀

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第70話 偽りの死、真の志


◇◆◆ 許都・丞相府 ◆◆◇


建安十七年(212年)八月、赤壁の敗戦から四年。許都の政庁には重苦しい空気が漂っていた。

曹操は文机の前に座し、荀彧と程昱の言葉を静かに聞いていた。


「丞相、今こそ荊州を再び攻めるべきです」と程昱が言った。

「孫権と劉備の同盟は脆弱。兵を整え、江南を制すれば、天下は掌中に入ります」


荀彧は眉をひそめた。「仲徳、それは覇道の論だ。漢室は未だ存続している。丞相は漢の丞相として、民を安んじる道を歩むべきではないか」


曹操は沈黙した。程昱の言葉には力があり、荀彧の言葉には重みがあった。


「文若、赤壁で我らは敗れた。漢の名の下に戦ったが、民はついてこなかった。

今こそ、実を取るべきではないか」


荀彧は静かに首を振った。

「丞相、民がついてこなかったのは、戦の理がなかったからです……

漢の名を掲げるだけでは足りぬ。民の心を得るには、義が要る」


程昱が口を挟む。

「義など、勝者が語るもの。敗者の義は空虚です。

丞相が帝位に就けば、天下は安定する。文若はそれを妨げている」


曹操は目を細めた。程昱の言葉は鋭いが、どこか冷たい。

荀彧の言葉は理想に満ちているが、現実から遠い。


「丞相、私は漢のために仕えてきました。

だが、もし魏が漢を捨てるなら、私の志はここにはありません」


その言葉に、曹操は心を揺さぶられた。荀彧はただの臣ではない。

彼の志は、曹操自身の志の鏡でもあった。


「文若、仲徳。お前たちの言葉は、どちらも正しい。

だが、今の魏には両方を抱える余裕はない。私は……」


言葉を切った曹操の目に、遠くの空が映った。

天下はまだ割れている。だが、志を捨てて得る天下に、意味はあるのか。


「私はまだ、漢を捨てる覚悟ができていない。

だが、戦は避けられぬ。文若、しばし寿春にて静養せよ。仲徳、軍の再編を進めよ」


荀彧は深く頭を下げた。程昱は一礼し、静かに去った。


曹操は独り残り、文机の上の地図を見つめた。天下を得るために、何を捨てねばならぬのか――その問いが、胸の奥に残った。




◇◆◆ 建安十七年(212年)十月十一日 許都 ◆◆◇


程昱は報告書を閉じた。

寿春より届いた密報には、荀彧が鬱を患い、屋敷に籠もっているとあった。


「文若…」


声に出すと、胸の奥に微かな痛みが走った。

かつて許都の政庁で、荀彧と肩を並べて、国政を支えた日々が思い出される。

彼の言葉は常に理に満ち、民を思い、漢を憂えた。

だが今、その志は魏の進路と噛み合わなくなっていた。


「曹公が帝位を望むなら、文若は必ず反対する。彼は漢の忠臣だ……

だが、今の天下に漢の影を残すことが、果たして民のためか」


程昱は立ち上がり、地図を広げた。

魏は北を制し、荊州を睨み、江南に手を伸ばそうとしている。

だが、内部に揺らぎがあれば、外への一歩は踏み出せない。


「文若は病を装っている。いや、病に沈んでいるのかもしれぬ。

どちらにせよ、彼の存在は、曹公の決断を鈍らせる」


彼は机の奥から小箱を取り出した。

中には、深い眠りを誘う薬が入っている。即死ではない。

意識を奪い、火に包まれれば、死因は焼死とされるだろう。


「心苦しい。だが、これが最も穏やかな終わりだ……

文若に刃を向けることはできぬ。彼は、私が最も敬う男だ」


程昱は筆を取り、密使への指示を書き始めた。

言葉は冷静だったが、筆先はわずかに震えていた。


「寿春へ向かえ。

文若殿の屋敷に潜入し、薬を盛れ。眠ったところで火を放て。

死因は焼死と報告せよ。遺体は炭となり、識別不能であればなお良い」


書き終えた紙を折り、封をした。程昱はしばらくそれを見つめていた。


「文若よ。あなたの志は、私には眩しすぎた。

だが、あなたの死は、魏を前へ進める。

私は、あなたの志を否定しない。

ただ、今の魏には、あなたの光が強すぎるのだ」


彼は静かに立ち上がり、窓の外を見た。

許都の空は曇っていた。

寿春の空も、文若の心と同じく曇っているのだろう。


「あなたの死を、私は忘れぬ。だが、あなたの志は、私が背負う」


程昱は密使に命を託し、部屋を後にした。

背中には、冷徹な軍略家の影と、敬意を込めた哀惜が、静かに重なっていた。




◇◆◆ 建安十七年(212年)十月十一日 洞庭湖 ◆◆◇


私たちは妃良から貰った封筒のうち、『212年10月11日』と書かれた封筒と向き合っている。


「これが、私たちの命を救った封筒なのか……

まさか、このような物が存在するとは思わなんだ」

周瑜が感慨深げに話すと、貂糜(ちょうび)が頷いた。

「本当に存在したのですね……星愛(ティア)さま、今度も命を救うのですか?」


私は真剣な面持ちで頷いた。

「もちろんよ、救える命があるのならば私は救いたい」


「やっぱり、星愛が開けないとね」と言い、紗良が私に鋏を差し出した。


頷き、私は封筒に鋏を入れた。

紙を切る音が、会議室の空気をも切り裂くように、緊張が走った。


――――――――――


建安十七年(212年)十月十八日


荀彧は寿春の居室にて、睡眠薬を盛られ眠りに落ちた後、

家に火を放たれ、炭となり土に帰したと、

許都の曹操と程昱に報告が届いた。


死因:火災による焼死


裁定:この死は偽りと認む。延命を許可す


――ペルセポネの記録――

「暗殺の死をもって、汝の志、未だ果たされず。夢咲にて再び歩むを許す」


――――――――――


「なんと、荀彧殿が……信じられぬ」

周瑜が拳を震わせ、静かに怒りを露わにした。

「あまりにも哀れな……」と過去の敵の軍師を憐れむ貂糜(ちょうび)


私は二人の様子を見て心配になり声をかけた。


「これは、新たな旅立ちを示す光明の手紙です……

あと七日あるわ。これから、すぐに救出のために動きます」


私は貂糜(ちょうび)を見てお願いをした。

貂糜(ちょうび)さんは、今も徐庶とは手紙のやり取りを、琴葉を通してしていますね」

「はい、徐庶の母の自殺の一件以来、何かと相談に乗っています」

私は頷いた。

「徐庶に手紙を書いてください。

ペルセポネの手紙の内容をそのまま伝え、救出案を考えてもらいましょう」

紗良が目を細めた。

「徐庶さんは、元は一流の軍略家……きっと、良い救出案を考えられるはず。

それに夢咲が到着するのは、死亡する日の前日。

許都からなら早馬で死亡する二日前には到着できる」


私は紗良を見て微笑んだ。

(さすが周瑜の下で学んでいるだけはあるわね……)


貂糜(ちょうび)さん、私たちは星馳二台で街道を避け、河川沿いを進んで、夜陰に紛れて城門を抜け寿春に入ります。

星馳がどのような車両なのか事細かに手紙に記してください。


救出に向かうのは、私と紗良、琴葉、周瑜さん、貂糜(ちょうび)さん……それと、特殊工作兵六名で行きます。

周瑜は全体指揮、紗良は潜入、琴葉は通信、貂糜は徐庶との連絡役」


皆が固い表情で頷き、荀彧の命を救う意思をあらわにした。

その頷きに、私は胸の奥で静かに誓った。必ず、文若を救い出すと。




◇◆◆ 建安十七年(212年)十月十一日 許都 ◆◆◇


徐庶に手紙がすぐにもたらされた。

普段は琴葉とのおしゃべりを楽しむ徐庶だがこの日は違った。

手紙を見るや否や、馬に乗り疾風のごとく許都を後にした。




―― 建安十七年(212年)十月十五日 寿春 ――


夜風が寿春の城壁を撫でていた。

徐庶は馬を降りると、城門の影に身を潜めた。

早馬で駆けつけた道中、程昱の密使が荀彧の屋敷に向かったという報を得た。

荀彧が魏の中枢で疎まれていることは知っていた。

だが、まさか暗殺が企てられていようとは。


「文若殿…」


屋敷の奥、灯火の揺れる座敷に荀彧はいた。

痩せた頬に影を落とし、囲碁盤の前に静かに座っていた。

徐庶が名乗ると、荀彧はゆっくり顔を上げた。


「元直か。来てくれたか」


その声に、徐庶は確信した。鬱に伏しているという噂は偽りだ。

荀彧は沈黙の中で、何かを見据えていた。


「程昱が動きました。あなたの死を装い、魏の中枢を安堵させるつもりです」


荀彧は微かに笑った。「それなら、こちらも死を演じよう。志を果たすためにな」


囲碁盤に白石が打たれた。徐庶は黒石を置きながら、かつての洛陽での対局を思い出した。

荀彧は常に先を読み、盤上の静寂に策を潜ませていた。


「魏はもう、志を語る場ではない。

曹操の恩義は忘れぬ。だが、私の命は、もはや彼のためには使えぬ」


「夢咲か」と徐庶は言った。

星愛(ティア)たちが動いている。彼らなら、志を繋げるかもしれない」


荀彧は頷いた。

「死を偽装し、夢咲に走る。程昱には、私が焼け死んだと報せるのがよい」


「母を失い、私は沈黙してきた……

だが、文若殿の覚悟に触れ、私の胸にも再び火が灯った」と徐庶は言った。


盤上に石が打たれるたび、二人の覚悟が形を成していく。


荀彧は最後の白石を打ち、盤を見つめた。

「この命、新たな地――夢咲にて、再び志を燃やそう」


盤面は黒白入り乱れ、勝敗はつかぬまま終局を迎えた。




―― 建安十七年(212年)十月十六日 寿春 ――


黒の遮光塗装が施された二台の車両が夜陰に紛れるように寿春に現れた。


澪式零抵星馳(れいしきれいていせいち)


この車両を説明してくれたとき、澪は言った。

「この技術は三千年先の技術よ……

だから、人目に触れさせては絶対ダメ、隠密行動の時だけ使用してね」


そして、今回の作戦はその隠密作戦で、皆の意見がこの車両の作戦投入で一致していた。


車体の足元には、奇妙な車輪が取り付けられていた。

外見は黒い鋼の輪のようだが、その内側には無数の小さなコイルが規則正しく並んでいる。

走り出すと、コイルが澪式線を通じて次々と励起され、黒層鋼の外周を磁力で押し出すように回転させた。


初めて乗車した時、「黒層鋼の車輪なのに、こんなに静かに走るなんて……」

紗良が驚きの声を漏らしていた。


確かに、車輪はほとんど音を立てない。

外周の黒層鋼は弾性を持ち、路面の衝撃を柔らかく吸収していた。

まるで厚いクッションの上を滑るように、車体は揺れもなく進んでいく。


その静けさは、まるで志を秘めた者の沈黙のように思えた。


そして、エネルギーとなる電気は常温超電導で供給される。

一度通電させれば、超電導の輪の中を電流は永遠に巡り続ける。


「摩耗するのは軸受けやクラッチだけ。電気は永遠に流れるけど、機械はいつか壊れる……」

周瑜が呟いたその言葉に、私は胸の奥で小さな痛みを覚えた。


永遠と有限。志と命。

その対比が、この車輪の静かな回転に重なって見えた。


やがて、徐庶が城門に姿を現し合図を送ってきた。

静かに城門を抜け、誰にも気づかれぬまま荀彧の館へと入った。


二台の澪式零抵星馳は馬のいない厩に隠すように停車させた。

夜警の足音が遠くに響いていた。


「これが、夢咲の車両……あまりにも私の創造を超えている」

馬屋で待っていた荀彧が布と藁で澪式零抵星馳を隠しながら私に言った。

「この車両は特別なのです……

この時代にあってはいけないものです。三千年先の乗り物なのですよ」

と答えた。


208年に許都で初めて会った時のことを思い出したのか、荀彧が尋ねてきた。

「人ならざぬ者……

妃良様や、芳美様たち五華の皆さまご健在ですか?」

「今は、私と紗良、琴葉と碧衣、そして曹英が五華を引き継ぎました」

私が答えると荀彧は少し驚いた顔をし、その後嬉しそうに微笑んだ。

「あの曹英様が、五華の一人になられたのですか……

嬉しいことです」


荀彧が曹英のことを嬉しく思う笑顔を見て、私もにっこり微笑んだ。

「曹英はとても冷静で、私の歯止め役になっているんです」

「そうですか、そうですか……

ささ、中に入り明日の打ち合わせをいたしましょうか」

荀彧はそう言うと、私たちを謁見の間へと案内した。


星愛(ティア)様に紗良様……

あの、許都城門の弓の少女が、ここまで立派になられているとは……」

十二歳の紗良を見て話す荀彧。

「いえいえ、こちらの周瑜殿について学ばせてもらったおかげです」

紗良がそう言うと、荀彧は驚いて周瑜の顔を見た。


「おお、間違いない。

美周郎(びしゅうろう)殿は噂に違わぬ容姿端麗で才気あふれる将軍……

亡くなられたと聞いていました」

周瑜は頭を下げ答えた。

「夢咲に命を拾われ、孫権様の心遣いで、こうやって夢咲の物となっています。

『王佐の才』と呼ばれた荀彧殿もご健在で何よりです」

さらに、周瑜は貂糜(ちょうび)を見て話しを続けた。

「こちらの女子は貂糜(ちょうび)医師は私の恩人です……

そして、劉備の正室糜夫人です」


荀彧はさらに驚き、見開いたその瞳に光が宿った。

「なに、あの井戸に飛び込み亡くなられた糜夫人なのですか……

長坂では敵味方に分かれていたが、許都でも美談として語られております」

貂糜(ちょうび)は淑やかに頭を下げ、微笑んだ。

「私も夢咲に救われました。

貂蝉様の医術によりこの通り生きております。

そして今は、華蓮流医術の門下生として医術について学んでいます」


驚く荀彧を見ながら、徐庶が声をかけた。

「夢咲で皆、志を持って命を紡いでいる。

荀彧も志を夢咲で完遂すると誓ったであろう」


荀彧は頷き、全く紹介のなかった琴葉の頭を撫でていた。

「琴葉殿は、週に一度、茶飲み友達として会っていますね……

なにも驚くことはないのですよ」


紹介されなく少し頬を膨らませていた琴葉。その顔に笑顔が戻ったのは言うまでもなかった。

そして皆が笑い声を漏らした。


そして、明日の作戦について徐庶より説明があった。

やがて話題は明日の危険な計画へと移っていった。

夜が静かに更けていき、一同の秘めたる話だけが続いていた。




―― 建安十七年(212年)十月十七日 寿春 ――


夜が更け、屋敷の裏手に仕掛けられた火薬が静かに時を待っていた。

程昱の配下が導火線に火を放つ。


ジリジリ燃え、やがて大音響とともに荀彧の邸宅大爆発を起こした。

予想外だったのは大量の黒煙が寿春の街を覆ったことだ。


「な、なんだ、この黒煙は……」予想外のことに思わず呟く程昱の配下達。


徐庶の作戦は豪胆な脱出計画だった。


爆発とともに、徐庶が澪式零抵星馳の中で叫んだ。


「いまだ!!」


街中に仕込んだ引火性の揮発液と黒層粉末が一気に火がつき、黒煙が勢いよく広がった。

そして、荀彧の邸宅を見張っていた兵や、城門の衛兵たちの視界を奪った。


二台の澪式零抵星馳が唸る。

澪式線が励起され、モーターが最高出力に達する。

加速で全身が椅子に押し付けられた。


無音のまま、車体は闇を切り裂いた。

刹那、澪式零抵星馳の二門の大玉筒に仕込んでいた黒鋼弾が火を噴いた。

黒鋼弾が壁にぶつかり炸裂し、石の壁が崩れ落ちる。


徐庶が叫ぶ。「突破口、開いた!」

星馳はその隙間を滑るように抜け、夢咲の夜へと駆け出していった。


まるで夢を見ているような一瞬の出来事だった。

徐庶が後ろを振り向きニヤリと笑う。


赤い火柱がみるみるうちに小さくなっていった。

荀彧は振り返り、崩れゆく寿春の城壁を見つめながら、静かに呟いた。

「志は、まだ終わらぬ」


籠の中の王佐の才(荀彧)と影の王佐(徐庶)は再び歴史と言う名の空を羽ばたいた。





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