第66話 襄陽交渉
朝陽の中、濃紺と群青色の迷彩遮光塗装を施された一艘の流星型戦艦が第三機動艦隊に近づいてきた。
その流星型戦艦は陽光に反射する川面に完全に溶け込んでいた。
ボー――
汽笛を一回響かせ、夏の朝の空気を震わせた。
「ねえ、曹英……あれが最新の流星型戦艦なのね」
その光を反射させない艦影は私たちに安心を……そして敵対する者には恐怖を与えそうな威圧感を持っていた。
「うん……いずれ、全ての星環府の戦艦は改装してあの塗装を施すのよ」
私と曹英はとても心強い面持ちで、私たちの乗る澪星の近くに流星が停泊するのを待った。
やがて、流星から桟橋が澪星に渡され、一人の気品のある女性が姿を現した。
澪星の甲板に立つその姿は、まるで夜明けの女王のようだった。
「待っていたわよ、劉明」
「おはようございます……星愛様」
澪星に渡ってきたのは私の侍女であり、夢咲の開殖院の院長、そして今風に言えばバイオテクノロジーの先駆者である劉明だった。
「ありがとう、劉明、どうしてもあなたの力が欲しくて……」
「私はいつまでも星愛様の侍女です」
目を潤ませ、私の両手を取り、深く頭を下げる劉明だった。
◇◆◆ 澪星の食堂 ◆◆◇
私は今回の交渉について、劉明の説明を兼ねて方針を説明した。
劉明については、漢王室の末裔であることを隠してきた経緯があり、王室の人として交渉に臨んでもらえるかが不安だった。
「劉明……あなたが、漢王室の末裔であることは知っている……」
私が最後まで言い切る前に劉明は両手に持った星璽を卓の上に置き、ニッコリ笑った。
コト――
『劉明』と彫られた、蝶の装飾を施した星璽が置かれた。
「私は星愛様の侍女です。
生まれた時から身も心もあなた様に捧げてまいりました……
私の隠し事など、星愛様の大義の前では蟻の姿ほどもありません」
そんな言葉を伝えた劉明を羨望の眼差しで曹英は見つめていた。
私は劉明に頷き、今日の交渉について話し合いを始めた。
――― 澪星の食堂 ―――
「今日の交渉の襄陽方の鍵となる人物について、華蓮様お願いします」
私が華蓮に意見を求めると、華蓮は目を細めて話を始めた。
「今の襄陽は、曹操に呑まれた後でどの将も自信を喪失しているわ。
今回の交渉で出てくる人物は劉琮、蔡瑁、張允、蒯越、傅巽、文聘の中で鍵になるのは文聘ね……
琴葉、曹操との話を聞かせてあげて」
(※ 琴葉は蜘蛛の姿で潜伏することを生業とし、自身の蜘蛛の糸に自由に転移できる能力があった。これは、『創世神話』の記録者として与えられた特殊能力だった)
「はーい」といつものように明るい返事をし、語りだした琴葉。
「えっとね、曹操おじさんが言っていたのだけど……」
琴葉は曹操を親しみを込めて“おじさん”と呼んでいた。
「えっ、ちょっと琴葉……いつから曹兄をおじさんなんて言う関係になったの?」
琴葉の言葉に驚いた曹英に、「えへへへ、つい最近だよ……」
頭を掻きながら答える琴葉。
「曹操おじさんがね、軍議の後に蜘蛛の巣から見ていた私に声をかけてきたの……
『これ、そこの蜘蛛娘……下に降りてきて娘として儂と話さんか』ってね……」
「何よ、それ……琴葉、その曹兄と話したの?」
「うん、人の姿になってお茶とお菓子もらっておしゃべりしてきたよ」
華蓮が目に涙を浮かべて笑いながら、話に入って来た。
「曹英ちゃん、これは琴葉ちゃんの強みでもあるの……
誰とでも打ち解けあえる、隠れて行動することなくね」
琴葉はニコニコしながら答えた。
「他にも荀彧や曹仁……最近では司馬懿のお兄ちゃんもお菓子をくれるよ」
私は話の方向を元に戻そうとした。
「ちょっと、みんな話がそれていますよ……それで琴葉、曹操は何て言っていたの?」
「うん、文聘っていう人を凄く褒めていたよ。
劉琮から曹操への降伏を命じられても、文聘は『州を守れなかった罪を待つ』と言って、すぐには従わず、恥じ入る姿を見せていたんだって……
でね、曹操が漢水を渡ると文聘は涙を流して出頭してきたんだって」
曹英は目を細め頷いた。
「恐怖や利害では動かず、忠義と責任感を胸に行動する稀有な人物。……曹兄が好きな人物ね
」
琴葉はニコニコ笑いながら曹英を見た。
「さすが曹操の妹だね、考えることも一緒だね……
でね、劉琮が降伏してきたら、襄陽のことは文聘に一任するんだって」
文聘は忠義と責任感を胸に行動する稀有な人物……
だからこそ、恐怖ではなく理念で動かす必要がある
私はとてつもない情報を得て、皆に伝えた。
「これで決まりね、文聘を落とすわよ」
華蓮は口角を上げ微笑み、曹英、劉明、琴葉は真剣な表情で頷いた。
ボー!――
第三機動艦隊の汽笛が一斉に空気を揺らし、襄陽の港へと押し出した。
城門を見ると、慌てて狼煙の準備をしている兵士の姿が見えた。
「あらあら、相変わらず荊州の兵は動きが遅いわね」
華蓮が、悪戯な微笑みを浮かべ呟いた。
「華蓮さん私たちは星馳に乗車して待ちましょう」
私は華蓮に声をかけ、手を引き星馳に乗り込んだ。
第三機動隊の艦船に搭載された大玉筒が一斉に城門に向けられた。
安全を確認し彗星の船首が開き、四台の星馳が地上に展開された。
ここまで、半時(約一時間)
「ねえ、星愛、本当に荊州の兵は腑抜けなの?」
曹英が心配そうに私の顔を覗きながら聞いてきた。
「そおね、わざと時間をかけて上陸したのにまだ誰も来ないわね」
私がそう答えると同時に、やっと三騎の馬が土煙を上げ、弓の間合いすれすれのところで止まった。
私が琴葉の顔を見ると「文聘とその部下ですね」と答えた。
文聘の左右にいた兵士が弓に矢を番え、今にも放つそうだった。
「あらあら、物騒だこと……」と言って華蓮が腰を上げ、天井のドアを開けた。
「ちょっと、華蓮さん」と私が言う間もなく、跳ね上がり、天井に飛び乗った華蓮」
ビュン!――
驚いた兵士の一人が矢を放った。
バシ!――
放たれた矢を素手でつかみ、兵の鉄兜めがけて投げ返す華蓮。
ビュン!――
バシ!――
矢が兜の留め具にあたり、そのまま後方に弾かれ転がった。
「あらあら、荊州の兵は、何もしない民を矢でいるような蛮人なのから?」
一瞬の出来事を見て悟ったのか、文聘は馬を飛び降り、兜を脱ぎ、槍を収めた……
次の瞬間、矢を放った馬上の兵士を引きずり降ろし頬を張り倒す。
張り倒された兵士は子供のように転げ、やがて止まり、両膝を突いたまま、額を土にこすりつけながらひたすら文聘に謝った。
「ふざけるな!」
ガシ―ン!!
謝っている兵の顎を蹴り飛ばすと、兵は後ろにのけ反りながら倒れ意識を失った。
兵を蹴り飛ばした後、深く息を吐き「民を守るためにこそ規律が必要だ」と呟いた
華蓮は口元を隠し、目を細めて文聘を非難した。
「あらあら、蛮族は口ではなく暴力で片を付けるのかしら……
交渉する意味ないわね」
華蓮が手を振り下ろすと、一基の大玉筒が打ち合わせ通り水面に向かって火を噴いた。
大玉が着弾ともに、オリーブ油粉がさく裂引火し、水面は火の海と化した。
「あなたたちはこういうのがお望みかしら?」
火を背中に凄みを効かせる華蓮。
可愛く品のある顔立ちをした華蓮の瞳に火の赤が映り、鬼女の名を裏付けていた。
それを見た文聘は自分の六感に確信を持ち、最大限の警戒をした。
「い、いえ、滅相もございません……」
土下座をし、ただひたすら謝る文聘。
「まあ、良いわ……私たちは話し合いに来たの。
どうせ曹操に歯向かう元気もないし、あなたたち暇でしょ?
劉琮に合わせなさい」
こうなると華蓮のペースだった。
文聘は深く頭を下げ、しばらく待つように伝えると、襄陽城に姿を消していった。
許都の時は荀彧と曹仁が五華は人ではないと見抜き、すんなり入城がかなったが、
今回は圧倒的な武力の差を見せつけられての行動だった。
直ぐに文聘は文官の蒯越、傅巽を伴って現れた。
琴葉の情報だと蒯越は荊州の劉表政権で重臣として仕え、劉琮に曹操への降伏を勧めている中心人物の一人。政治・謀略に長けた文官寄りの将。
傅巽は博学で人物鑑定に優れた文人官僚。劉琮に曹操への降伏を進言しているとのことだった。
私たちは星馳を降り、三人の前に姿を現した。
直ぐに、文聘たちも馬を降り、深く頭を下げた。
私と曹英、琴葉は八歳の娘ではあったが、決して侮る態度はとらなかった。
私が曹操の妹として曹英を紹介すると、三人は顔を見合わせ、納得したのかお互い頷きあっていた。
そして劉明を夢咲連環府の開殖院の院長として紹介した時、傅巽の表情が変わった。
劉明の高貴な気品と威圧感……人物を見て感じたのか深く頭を下げた。
「私たちは、この襄陽に夢咲の星環府を立てたくこの地に来ました」
と私がつたえると、蒯越が頭を下げ微笑みながら答えた。
「夢咲連環府の話は江陵城主の周靖から聞いています……
お互いに良い関係にあり、襄陽でも呼んではどうかとの話までありました」
(あら、周靖さん、しっかり宣伝してくれている)
思わぬところから援護があり、人との関係の大切さを感じた。
「ただ、今曹操様の南征のおり、こちらからお願いする時ではないと考えていました……
しかしながら、曹英様がいると言うことであれば話は変わってきます」
蒯越の言葉に、曹英は頷き、そして釘を刺した。
「ありがとうございます……ただ、私と曹兄は兄弟であること以外、兄の権威を借りるつもりはありません」
蒯越は曹英の言葉に微笑えんだ。
「分かっております、しかしながら話を聞かずに帰したとなれば、兄としてはどう思うか……
それとは関係なく、お互いの利害を考えれば、襄陽は夢咲に以前から興味がありました。
ささ、劉琮様の下に参りましょう」
私たちは再び星馳に乗車し、文聘の後に続いた。
◇◆◆ 襄陽城謁見の間 ◆◆◇
謁見の間での会議の準備が整ったのは陽が暮れたあとだった。
今の荊州を現しているかのような、弱々しい蝋燭の灯が寂しさを感じさせた。
私は側付兵士に命じて、灯花を用意させた。
灯花の灯が謁見の間を照らし、仄かな花の香りが部屋を満たした。
劉琮の興味が灯花に注がれた。
他の、蔡瑁、張允、文聘、蒯越、傅巽は、驚きはしたものの、今は何をすべき時かは心得ていて、蒯越が窘めた。
「劉琮様、今は時ではございません」
「夢咲だっけ、これ後でもらえるかな?」
私は、微笑んで「もちろん構いませんよ」と答えた。
すると、劉琮はニコニコ顔になり、「皆、可愛くて……美しいな」と呟いた。
その中、蔡瑁と張允は違った……
何度も華蓮の顔を見て、額の汗を拭き、顔の血色も悪くなっていった。
蒯越が宣言し、会議が始まった。
そしていきなり文聘が口を開いた。
「……鬼女の噂は聞いていたが、まさか自ら現れるとはな。
だが、私は恐怖に屈するつもりはない。襄陽は漢室の地、軽々しく渡すわけにはいかぬ」
(いきなり攻撃的な発言ね、少しでも有利な条件を引き出したいのかしら……)
薄笑いを浮かべて華蓮が返した。
「あら、蔡瑁や張允のように震えもしないのね。
面白いわ……でも、あなた一人の忠義で十万の民を救えるのかしら?」
文聘は眉を動かさずに答えた。
「民を守るためにこそ、私はここに立っている。
恐怖で人心を縛る者に、襄陽を委ねるわけにはいかぬ」
(力と力のぶつかり合いって感じね……華蓮と文聘は似ているところがあるのかしら)
私はそんなことを考えつつ、ここは曹英の出番よって思いつつ曹英を見つめた。
期待通り曹英一歩前に出て、静かに、
「文聘殿。私たちは恐怖で支配するために来たのではありません。
夢咲は、曹操公も、荀彧殿も、曹仁将軍も認めた理念のもとに動いています。
民を飢えから救い、戦乱の中に秩序を築くために」
(うんうん、良いね、流れはこちらに傾いている……お願い、とどめを刺して劉明)
劉明は曹英の言葉に声を重ねる。
「私は漢王室の血を引く者。
夢咲の理念は、漢の正統を否定するものではなく、むしろ補うものです。
襄陽と老河口を開けば、民は生き延びられる」
(決まった……フゥ)
私は微笑みながら文聘を見つめ、答えを待った。
文聘がしばし沈黙し、拳を握りしめていた……やがて深く息を吐いた。
「……恐怖には屈せぬ。
だが、理には耳を貸そう。曹操公が認め、漢室の末裔が保証するというのなら、襄陽と老河口の開発を許す。
ただし、民を害することがあれば、私は剣を取る」
私は深く頷き、「約束します。兵には中立を、民には救いを。それが夢咲の方針です」
と、芳美譲りの微笑みで答えた。
華蓮が口角を上げて、「ふふ、やっと話がまとまったわね。あなた、なかなか骨があるじゃない」と呟いた。
会議の間、十四才の劉琮は幼さを隠せず、退屈そうに瞬きを繰り返していた……
そして、蔡瑁と張允は文聘、蒯越、傅巽の三人の陰に隠れ、震えていた。
これから先に起こる、彼らの行く末を象徴しているかのような会議であった。
こうして、夢咲連環府は完全に漢川を掌握した。
だが、それは新たな嵐の幕開けでもあった。
会議の終わった謁見の間には弱い風と、空には夢咲を象徴する満天の星空が輝いていた。
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