第64話 糜夫人
私と紗良は執務室で、夢咲星環府長となったときに、妃良から授かった封筒を前に腕を組んでいた。
「ほら、『二〇八年八月二日』の封筒があるでしょ。
妃良様の話だと、人材が欲しければ開けなさいということだったけど……」
私がそう言うと、紗良は固唾を飲んだ。
「星愛、どうみても今の星環府は核となる人材が欲しいとき……
怖いけど、開けてみようよ。
私は頷き、黒い漆塗りの箱に入れておいた、妃良から預かった封筒の中から、二〇八年八月二日と表書きされた封筒を取り出した。
重みのある封筒に鋏を入れて開け、薄い赤色の一枚の用紙を出した。
――――――――――
二〇八年八月九日
その日、夏侯の騎馬は十万の民を呑み、糜夫人は井戸に身を投げるだろう
夏侯淵、夏侯惇率いる五千の騎馬隊は、避難民10万人以上と数千台の荷車を伴って移動していた劉備に長坂で追いつく。
この時の混乱で、阿斗を抱いて馬車に乗り休んでいた糜夫人は投げ出され、足に怪我を負ってしまい、泣き叫ぶ阿斗を抱きしめ、身動きが取れなくなる。
逃げ惑う群衆に呑まれ、警護を任された趙雲も糜夫人を見失い、馬を駆り探し回る。
しかし、趙雲より糜夫人と阿斗を見つけたのは騎馬隊の兵だった。
二人が着ている衣服を見て声をかけた。
「主は劉備の側室甘夫人と阿斗殿ではないか?」
身動きが取れない糜夫人は泣き叫ぶ阿斗を守るように抱くことしかできない……泣き叫ぶ阿斗。
騎馬兵が馬を降りて近づいた瞬間、涯角槍が騎馬兵の背中から胸に突き刺さる。
阿斗の泣き声を聞いて駆け付けた趙雲が鬼の形相で馬上にいた。
糜夫人は馬上の趙雲に阿斗を託し、脚の怪我で動けない糜夫人は、劉備の足手まといになることを恐れ井戸へ身を投げた。
死因:井戸での衰弱死 延命:許可 ペルセポネ
――――――――――
「紗良、何これ……ペルセポネってだれのこと?」
「えっ、私にもわからない」と、紗良が困惑の表情を浮かべる。
背筋を寒い物が走り、後ろを振り向くとそこには華蓮が立っていた。
「あら、星愛ちゃん、良い感をしているわね……
あらー、その赤い手紙、ひょっとして封筒開けたのかしら?」
私が静かに頷くと、華蓮はにっこり笑い説明を始めた。
「この手紙はね、女神の女王のヘラが冥界の女王のペルセポネに書かせた物よ」
悪戯な微笑みを浮かべて、私たちを見る華蓮。
紗良が驚きを隠せずに尋ねた。
「ヘラ様は神殿もあるし知っているけど、ペルセポネって……」
「そうね、私のお友達としておこうかしら」
(あっ、また始まった……華蓮様の意味が分からない話)
夢咲は理屈でないことが多く存在し、それに慣れ親しんだ私はこの手紙の真偽を知りたくて尋ねた。
「この手紙の内容は、一週間後に起こることの未来予測に見えます……
これは本当のことですか?」
華蓮は腕を組み、にっこり微笑み頷いた。
(華蓮様の性格はともかく、嘘はつかない方。と言う事は……)
「華蓮様、この封筒は人材が欲しければ封筒を開けば、亡くなる予定の人が分かり、救えば夢咲星環府に迎え入れることができるということですか?」
「ウフ、ティアは感のいい所は人の子になっても変わらないのね」
「ひょっとして、封筒に書かれている日と違う日に開けると、その人は不慮の事故で亡くなるとかなんですか?」
「あらー、本当に何も言わなくても分かるのね。
そう、その通り……だから日付が過ぎたものは燃やしてしまわないと大変なことになるわよ」
私は、他の封筒が閉まってある箱を持つ手が震えた。
「あなた達、ここで震えている場合ではないわよ……
助けて延命をさせるか、そのまま運命を全うさせるか決めなさい」
もちろん私は頷いて答えた。「助けます!」
こうして、糜夫人救出作戦が幕を開けた。
◇◆◆ 夏口区朝会 ◆◆◇
今朝の朝会は大きな課題が二件あった。
琴葉が最初に報告した。
「今日のお昼には関羽率いる二万の兵と難民が夏口に入る見込みです」
私は頷き指示を出した。
「難民のうち夢咲星環府民権を望む者は、夏口区で受け入れます……
そうでない者と、兵士は夏口城へ誘導し、特に兵士は入れないこと。
また、夏口区の軍港には停泊させぬこと」
芳美は満足気に頷き、そして追加の質問をした。
「明日の明け方には夏口に曹仁たちの船が夏口に入ってくると思います。
これらの船はどうするのですか」
私は芳美の目を見て頷いた。
「対応は関羽たちと一緒です……
それと劉備軍、曹操軍ともに夢咲に矢を引いたら……
その部隊は必ず殲滅してください」
華蓮がにっこり微笑んだ。
「優しさだけでなく、その徹底ぶり……良いわね……
弓引く者には夢咲の怖さを擦り込んであげましょう」
紗良が腕を組んで呟いた。
「曹仁軍は孫権を睨んで、そのまま布陣となるだろうけど……
夏口に布陣となると、関羽もいるし少し厄介かな」
「夏口はないでしょうね……曹操軍は水軍の練度が低いので、わざわざ流れの複雑な夏口よりは長江の本流で戦をしたがるはずよ」
華蓮が悪戯な笑顔を浮かべて、口を開いた。
「ペルセポネが……十二月、烏林で――大量の水死者と焼死者が出ると言っていたわよ」
(うわっ、また華蓮様の意味深発言……)
芳美が華蓮を見て咳払いをした。
華蓮はニヤリと芳美を見ながら笑い話をすり替えた。
「そうね、夢咲は負ける要因ないし、曹操も劉備も関係ないわね……
ところで、星愛ちゃん、昨日の話はどうするつもり?」
煙に巻かれた気分ではあったが、私も華蓮とは同意見で、夢咲が守られればさほど関羽や曹仁の動きは気にならなかった。
そして、華蓮の言う通り糜夫人の話をした。
芳美と琴葉は興味深く頷きながら話を聞き終えた。
「星愛、その手紙に書かれていることは、必ず起こさなければなりません。
もし途中で助けようものなら、全てに破綻をきたします……
下手をすれば、この星が滅びることになりかねないので、糜夫人が井戸に飛び込むまでは手を出さないこと……歴史の筋を守らねばなりません」
私は芳美の言葉に驚きを隠せなかった。
「この星って、この大陸も滅びるのですか?」
芳美は静かに頷いた。
「分かりました」と私は答えた。
そして、私は糜夫人救出の指示を出した。
「ここから長江を流星で遡り、星馳で長坂まで半日もあれば余裕で移動できます。
紗良を八月八日に江陵に向けて派遣し、貂蝉と合流し兵十名を率いて長坂を目指し、八月九日の夜間に井戸にいる糜夫人を救出します」
一同が頷き、こうして、糜夫人救出作戦が静かに幕を開けた。
―――――
翌日の昼過ぎ、予想通り夏口の漢川を五百の軍船が埋め尽くした。
私と紗良は夏口区庁舎の屋上でその様子を見ていた。
空の白い雲が、夕方には入道雲になり夕立がきそうな天気だった。
「雨が降る前には民たちを屋根の下で安心した時間を過ごせるようにしたいわね」
私がそう言うと紗良も空を見て頷いた。
「星愛、私たちは、執務室で待つことにしよう」と言った。
紗良の言う通り、半時(1時間)も待たずに関羽と劉琦が現れた。
「星愛様、曹英様より夢咲星環府の府長となられたと聞きました」
関羽が深々とお辞儀をし、劉琦もやや遅れてお辞儀をした。
「私は見ての通りの娘です――
関羽さんに劉琦さん、お二方とも頭を上げてください」
二人はゆっくり頭を上げた。
関羽の表情は微笑んでいるものの、瞳には鋭い光を宿していた。
私は関羽と劉琦に微笑み、二人に声をかけた
「夕立が心配です。話は手短にしましょう……先ずは夢咲の考えから伝えます」
二人が頷くのを見てから、私の思いを伝えた。
「まず、難民の内、夢咲星環府の府民権を希望する者から住宅を提供します。
定員は五千人です」
二人の表情が明るくなった。
特に関羽は孝感でも五千人の民を受け入れてもらい、さらに夏口でも五千人の受け入れの表明を受け、目頭をそっと抑えていた。
「次に、病気の民については夏口診療所を開放しますので、そちらで静養していただいて構いません」
関羽と劉琦は互いに目を見合わせ、喜びを隠そうとしなかった。
「民に対する孝感での待遇と夏口の待遇……心より感謝します」
声を詰まらせる関羽だった。
私は笑顔で二人を見た後、表情を厳しくした。
「ただし、軍に関しては港を含め、全て夏口城で対応してください。
そして、軍が夏口星環区の財産を脅かしたときは、脅かしたもの全て殲滅します」
私の言葉に関羽と劉琦の表情が厳しい武将の表情となった。
「決してございません」
二人は口を揃えて答えるのであった。
「さあ、民が雨に濡れてしまう前に、屋根のある場所を提供してください」
私がそう言うと、二人は深々と頭を下げ、執務室を後にした。
私と紗良は屋上に上がり、襄陽からきた避難民の流れをじっと見ていた。
私が「関羽さん、手際よく指示を出しているみたいね」
紗良が目を丸くして尋ねた。「どうして、そんなことが分かるの?」
私はにっこり笑いながら答えた。
「紗良が江陵で星環機の操作に夢中だった時、私は人の流れの対応方法を美優様から沢山学んでいたのよ」
(私も本当は星環機操作できるように、なりたかったのよ。
でも、私は政治的なこと、紗良は星環機を使った軍略でお互い補完しているのよね)
紗良は苦笑いを浮かべ、頭を掻くのみだった。
やがて夜になると、新居に入居した人たちの家に灯花の灯りがこぼれ、居住区は家庭での笑い声で満たされていった。
――――――
翌早朝には曹仁率いる軍船千五百艘が漢川を埋め尽くすように現れた。
私と紗良、琴葉、芳美、華蓮でその様子を見ていた。
川を埋め尽くす船団を見て華蓮がぽつりと言った。
「黒い魂、意外と多いわね……」
紗良が、「く、くろい魂ですか?」と問いかけた。
「ええ、黒い魂よ……たまには人形劇始めようかしら」
芳美が苦笑いを浮かべた。
「華蓮……あなたっていう人は、この戦続きの世界でたくさん魂を回収したでしょ?」
「そうね、でも忙しくて、人形劇の監督はしていないのよねえ……」
紗良が目を丸くして芳美と華蓮に問いかけた。
「魂って見えるのですか……そう言えば、沙市で華蓮様と月英様が……」
途中まで言って、手を口に当てて朱色に頬を染める紗良。
「ウフフ……魂のことは気にしないでくださいな」華蓮が怪しげに笑う。
「もう、華蓮は余計なことは言わないでください」
「あっ、行っちゃったよー」と笑いながら琴葉が話に入って来た。
私たちは慌てて川を見ると、船団は長江の下流に消えつつあった。
私たちの予想通り、やがて黒い波は下流に消え、烏林にて嵐を孕むこととなる。
◇◆◆ 長坂の外れ ◆◆◇
ガチャ ガチャ ガチャ ガチャ――
長坂の外れをキャタピラでできた二本の線を残し、土煙を上げ時速20Kmで力強く進む車両が確認できた。
「ねえ、紗良ちゃん、この星馳って言う乗り物、馬よりは乗り心地良いのだけど、この音はどうにかならないのかしら?」
「えっえー、貂蝉様、こればかりは私にはどうにもできません……
でも素晴らしいと思いませんか――嵐もものともせず、どんな悪路も止まることなく進むこの逞しさ」
「技術の結晶って言うんでしょ……もう聞き飽きたわよ。
紗良ちゃん、本当技術屋さんみたいね」
「えへへ、そうですか?」
「だって、普段は思慮深くて、かっこいいのに……機械のことになると表情が緩んでいるわよ。
まるで、私の妹聖女の月英ちゃんみたいよ」
「な、何なんですか……聖女って」
「あっ、何でもないのよ……紗良ちゃんは聖女になれないから気にしないでねー」
「ちょっと、貂蝉様に紗良……もう目的地ですよ。星馳を止めてください」
琴葉がたしなめるように二人に言った。
「ねえ、紗良ちゃん、神衣着ているから良いけど、着ていない顔は凄く暑いのだけど……」
「もう、貂蝉様、今は八月……暑くて当然です――我慢してください」
「ちょっとお二方静かにしてください、聞こえてきませんか……」
耳を澄ますと、遠くから逃げ惑う人の声、馬の蹄の音などが風に乗って微かに聞こえてきた。
「では、私は趙雲の肩に言ってきますね」
そう言い残し、琴葉は蜘蛛の巣を仕込んだ趙雲の甲冑に転移した。
「あとさまー、びさまー!」
大声を張り上げ馬で、探し人を求める趙雲がいた。
琴葉が肩に転移してくると、直ぐに気付いた。
「おおー、これは琴葉様ではないですか」
「お久しぶりです、趙雲さん」
「すまぬが、今は琴葉様と話している暇はないので、ご容赦ください」
「はい、気にしないで自分の仕事を全うしてください」
(じきに探し物は見つかりますよ……)
ウギャー、ウギャー、ウギャー
「ムっ、この声は間違いない…あとさまー!!」
馬の腹を蹴り、涯角槍を右手で構えて走り抜ける馬。
視界に騎馬の将が馬を降りて、阿斗を抱えうずくまる糜夫人が見えた。
「問答無用!」
涯角槍の先端がばねのようにしなり、回転し、将の背中から甲冑を突き破り、心臓を捉えた。
「趙雲!」
糜夫人は安堵の表情を浮かべ、阿斗を趙雲に託した。
「さ、糜様も……」
糜夫人は首を振り、気丈にも笑顔で答えた。
「なりませぬ……私が乗れば馬脚は遅くなります」
と言ったかと思うと井戸に飛び込む糜夫人。
「びさまー!」
後ろからは蹄の音が向かってくる音が聞こえてきた。
「無念」と言うと、趙雲は馬の腹を蹴り、敵の中を単騎で突っ込んでいった。
―――
「あー、行ってしまいましたね……井戸の中だから、糜夫人も見つかりませんな」
琴葉蜘蛛は糜夫人の肩に乗り様子を窺っていた。
「まずいですね……体温がどんどん奪われている……
この足の傷、出血が止まりませんね」
琴葉は蜘蛛の糸で何とか傷口を塞ぎ止血をした。
「先ずは夜になるのを待つしかないですねー」
糜夫人の肩で夜を待つ琴葉だった。
―――
やがて夜になり井戸の中は完全に真っ暗になった。
「さあ、あの二人の所に戻りますか」
ポン!
「おかえりなさい、琴葉ちゃん」
貂蝉が琴葉に抱きついてきた。
「貂蝉さん、今は急ぎます、糜夫人はかなり危ない状況です」
琴葉はそう言うと紗良の横に行き、井戸までの道案内を始めた。
ガチャ ガチャ ガチャ――
前方灯花が暗い長坂を照らし、機械音を残し前進していった。
「そこの井戸です!」
琴葉の言葉が星馳の中で響いた。
七人の黒い神衣を着た兵士が玉筒を構えて井戸の周りを固め、
二人が星馳から伸びる四本の縄に大きな籠を結び付け、井戸に滑車を付け、一人が籠に入りゆっくり籠を降ろしていった。
ギィー――
滑車が回る音が井戸の中に響く
井戸の中から縄が引っ張られたのを合図に、紗良が星馳を後方にゆっくり移動させ、籠を引き上げた。
井戸の底から小型灯花の光が近づいてきた。
直ぐに毛布に糜夫人をくるみ星馳に乗車した。
貂蝉が糜夫人の状態を観察し、処置を始めた。
「琴葉ちゃん、あなたの蜘蛛の巣は便利ね……しっかり傷口が塞がっているわよ」
「いえいえ、必死でしたので」
「この処置がなければ失血死していたかもしれないわね」
その後も、貂蝉は手際よく処置をしていく。
「やっぱり、出血量が多いわね……血を入れる必要があるわね」
「血を入れるってどういうことなの?」琴葉が心配そうに訊いた。
「足りない分、他の人の血で命の流れを分け与えるのよ」
「洞庭湖でないと無理なの?」
「そう、血の種類を調べられるのは洞庭湖だけなの」
「紗良ちゃん、ここから洞庭湖まで陸路で直線だったら三十里(120Km)でしょ……
あなた自慢の星馳でどのくらいで行けるのかしら?」
「三刻(六時間)で行けます!」
「音も、乗り心地も我慢するから急いでちょうだい」
「了解です、しっかり糜夫人の安全を確保して下さいね」
「分かったわよ……琴葉ちゃんは、糜夫人の容態を書いたこの紙を劉明に渡して、治療の準備をするように伝えて!」
「了解です」
煙と共に劉明の所に転移していった蜘蛛琴葉。
夜の大地を星の位置と前方灯花の灯りを頼りに、糜夫人のかすかな呼吸音を乗せ、力強く前進していく星馳だった。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
初めての投稿ですので、いただいたご感想や評価は次回作品づくりの大きな力になります。
■ 気に入っていただけたら、☆☆☆☆☆評価やブックマークをお願いします!
■ ご意見・ご感想はコメントへお気軽にどうぞ。
更新は偶数日の朝7時過ぎを予定しています。
引き続き楽しんでいただけると嬉しいです!




