第52話 夏口の鬼女
澪星の船首に取り付けられた、大型の前方灯花が灯り、
三台の灯花は前方を昼のように照らした。
灯花の光が水面に揺らめいていた。
ボー ――
出発を知らせる警笛が鳴り響き、水蒸気機関が本稼働した。
グォーン ――
澪特製の水蒸気機関は余裕の回転音を響かせた。
同時に発雷機が回転し、雷を発生させた。
ウィーン ――
雷式機関がうなり上げ錨を巻き上げた。
ガラ ガラ ガラ ――
甲板に出ていた張飛、趙雲、劉琦が目を細め前方を見た。
船はゆっくり離岸していく。
劉琦が感嘆の声を上げた。
「陽が沈んだと言うのに、前が灯花に灯されよく見える ……」
張飛も驚きの声を上げた。
「なんじゃ、今まで聞いたことのない音がそこかしこから聞こえるぞ」
趙雲が冷静に二人に教えた。
「周りを見ろ、帆は上げたまま、岸には作業員がおらず、
見える船員は帆柱の見張り台に一人、
灯花等を持って走って、見回りをしているものが一人だ」
コト ――
コト ――
コト ――
後ろから足音が聞こえ、三人が振り向くと華蓮が立っていた。
「あら、こんなところで三人で何をしていまして?」
劉琦が華蓮に質問した。
「いったい、この船はどうなっているのですか?
帆を張らなくとも船が前へ進み、漕ぎ手もいない ……」
華蓮は怪しく笑いながら答えた。
「答えは簡単でしてよ ――
この船は私の澪が設計したものでしてよ。
そして、それ以上でも、それ以下でもないのですよ。
お分かりかしら ―― フフフフフ」
衣類の裾で口元を隠しながら笑う華蓮を見て、
劉琦にはそれ以上聞く勇気が湧かなかった。
そんな劉琦を見て、華蓮の目が一瞬赤く光った。
息を呑み、心臓の鼓動が耳に聞こえ、背筋に寒いものを感じた劉琦。
「それより、明日は陽が昇る前から水上戦が始まりますわよ。
終わり次第、劉琦さんは夏口に入城 ……
私たちは明るくなる前に、敗走する荊州水軍の前に出る必要があるの。
早くお休みになって、明日に備えてくださいまし」
委縮している劉琦の肩を叩く張飛。
「そうだな、華蓮様の言う通りだ。
さあ、儂らは船室に戻り明日に備え休むとしよう」
劉琦は子供のようにうなだれ、張飛に連れられ船室へと歩き出した。
趙雲が華蓮に恭しく頭を下げると、
華蓮は優しく微笑み三人を見送った。
華蓮は前方灯花が映し出す河面を見て目を細め呟いた。
「まだ知った河の長江だからいいけど、
夜間の高速航行は危ないわね ……
早く、澪と月英が共同で開発した反射鏡を完成させる必要があるわね。
……
でも、今日の夜間の水上戦はあの娘がいるから一歩的ね。
ウフフフフ ――」
河面を見ながら、怪しく笑う華蓮だった。
澪星は長江に入ると、高速運航に切り替わり、
河の流れに乗り、静かに前へと進んだ。
江陵の城門の見張り台からは高速で移動する光が遠くに見えていた。
それが何であるかを知る者は、まだ誰もいなかった。
――――
澪星は夜半(午前零時)には夏口に到着していた。
ガチャ ――
ガチャ ――
ガチャ ――
錨を降ろす音が、水面を振動させ、夜の夏口の平原に響いた。
私たちの寝床ではまだ、静かな寝息が聞こえていた。
突然鳴る、大きな鐘の音で私たちは夢から目が覚めた。
カーン!――
カーン!――
カーン!――
けたたましく廊下に鳴り響く鐘の音。
私たち四人は目をこすりながら、身体を起こした。
「ねえ、夏口についたみたいね」と私が言うと、
紗良は口に手を当て、あくびをしながら答えた。
「まだ外は暗いね」
私たち四人は船室にある小さな窓に目を移した。
そして、四人の目は、大の字で大口を開けて寝ている琴葉に移った。
私と紗良は目を合わせて頷いた。
紗良が琴葉の両手を押さえ、私は琴葉のわきをくすぐった。
「キャハッハッハ ――」
思わず笑いながら目を覚ました、琴葉。
「もう、二人ともやめてくださーい!」
小さい時から、私と紗良はこうやって琴葉を起こしてきた。
廊下から走る足音が聞こえ、扉を開け衛女が顔をのぞかせた。
「紗良様、碧衣様、これから軍議です!
至急、食堂まで来てください」
紗良と碧衣は顔を見合わせうなずく。
「私たちの出番ね」と紗良が碧衣に声をかけ、
碧衣は不敵な笑みをこぼした。
(うわっ、碧衣 … いつそんな顔を覚えたのかしら)
私が二人に声をかけた。
「紗良に碧衣、頑張ってね!」
二人は笑顔で答え、廊下へと姿を消していった。
曹英がぽつりと言う。
「いっちゃったね ……」
私も続く。
「うん、いっちゃったね ……
私たちの戦いは昨日だったけど、紗良と碧衣の戦いはこれからだね」
琴葉が私たちに言った。
「みんな、それぞれの役割があるんだね。
そして、今は、私たちは結果を待つだけだよ ……
圧勝という結果を待てばいいんだよ」
と、言いにこりと笑った。
私と曹英もつられてにこりと笑った
―――
食堂の軍議の席には、美優、華蓮、孫尚香、紗良、碧衣 ……
そして、照明と伝令の衛女五人だけだった。
十人は地図を見ながら真剣な表情で話し合っていた。
地図を指さし、耳打ちで確認し合い、頷き ……
船を模した駒を地図の上で動かし、じっと見つめて考えていた。
手順、掛け声、合図など詳細の確認を何度もしていた。
末席では、劉琦、張飛、趙雲が軍議の様子を眺めていた。
劉琦は不安げな様子で張飛に尋ねた。
「ま、まさか、あの人数で荊州水軍千人とやり合うと ……
いくら船が良くても、勝負にならない」
張飛が頷き、髭を撫でながら答えた。
「そうだな、残念だが荊州水軍には荷が重いのう ……」
劉琦は自軍が小馬鹿にされているように感じたのか、
「今何と言いました?夢咲には荷が重いの、間違えでは?」
趙雲がニヤリと笑い答えた。
「華蓮様の前で委縮しておったのは誰かな ……
もう、夢咲は別格だとまだ認めぬか」
劉琦は口ごもり、両手の拳を握り、下を向いた。
しばらくすると、この場を和ませるかのような、
心地よい紅茶の香りが漂ってきた。
美優が紅茶の香りを楽しみながら、劉琦に声をかけた。
「劉琦さん、今から夏口にあなたが太守として入場すると、
夏口城に伝令を出してください ……
そう、迎えを河岸に寄こすように伝えてください」
劉琦は顔を上げて、不安げにうなずくのを見たが、
美優は言葉を続けた。
「直ぐに、小競り合いは終わります。
張飛さんと趙雲さんは川岸まで護衛で付いていってください」
張飛と趙雲がニヤリと笑い頷いた。
「そして、張飛さんと趙雲さんは直ぐに澪星に戻ります」
三人の将は、美優を見つめた。
「時間が勝負です、夜が明ける前に敗走する荊州水軍の前に出ます」
不安げな劉琦を除き、他の者たちは美優と華蓮に恭しく頭を下げた。
―――
船室に残された私たちにも声がかかり、
私たちは甲板へと上がってきた。
甲板は床に小さな花灯を置き、足元だけ照らし、
船外には光が漏れないようにしていた。
これから、戦闘が始まるのかと疑うような光景が広がっていた。
何より目を引いたのが、髪を逆立て、黒の古着をまとい、
唇には真っ赤な紅を口が吊り上がるように塗り、
目の周りはクマを描き、顔、腕、脚は火傷の跡のような化粧をしていた。
そして、したたる血のりを付けた大鎌を持つ華蓮だった。
「華蓮さん …… その恰好は何なんですか?」
私は思わず吹き出し、質問してしまった。
少し不機嫌な顔の華蓮がこちらを見て答えた。
「これから、美優の劇が始まりましてよ。
劇の名前は『夏口の悪夢』ですの」
私は、あっけにとられた顔でさらに聞いた。
「えっ、でもこれから水上戦ではないんですか?」
「美優にとっては劇も戦も一緒みたい ……
そして、私がこの劇の主役の夏口の悪夢ですのよ」
私はふと横を見ると、心細そうにしている劉琦と、
華蓮の姿に目を輝かせている、張飛と趙雲がいた。
趙雲が張飛に話しかけた。
「兄者、まさに鬼女ですぞ ……
どんな活躍をするか心躍りますな」
張飛は頷いた。
「十分すぎる鬼女だな。
間違っても惚れてはならんぞ」
趙雲は真顔で頷き、二人は華蓮を見つめていた。
船首を見ると、月弓を持つ紗良と、
銀の鉄扇を持つ碧衣が川の彼方を見つめていた。
そして、三台の大型の前方花灯の前には、
それぞれ衛女が立っていた。
そしてその後ろには、紅茶をすすり椅子に座る美優がいて、
その横には朱纏の槍を持ち、
川の奥を見つめる孫尚香がいた。
(私、今は華蓮様より尚香の方が強そうに見えるわ ……
大鎌って、クスクス)
(星愛、笑っては駄目ですよ ……)
曹英が星紡ぎの呼吸で私をたしなめた。
(でもー、大鎌ですよー。華蓮様の印象が崩壊しちゃいます)
琴葉が応じた。
そんな話をしていると、後ろから麓沙と貂蝉がやってきた。
「わっ、華蓮様、素敵ですー」
大鎌を持つ華蓮に手を振る貂蝉。
「美優様 …… これは、いささか遊び過ぎでは ……」
甲板の上はこれから水上戦が始まる雰囲気ではなく、
劇場の開演を待つような雰囲気になっていた。
ピー、ピロピロピロ ――
夜中に似つかわしくない鳥の鳴き声が上から聞こえ、
上を見ると物見台に立つ衛女が鳥笛を吹いていた。
すぐに、甲板に緊張が走る。
カチャ ――
美優は微笑みながらゆっくりティーカップを置き前方を凝視した。
ダンッ ――
……
ドス ―――
床を蹴り、大鎌を担いだまま信じられない跳躍を見せ、
紗良の横に降り立つ華蓮。
「紗良、私の糸を仕込んだ者はあなたの矢を打ち込まないでね」
大鎌を担ぎ前方を見て、赤い瞳を光らせ、
唇を舐める華蓮。
前方灯花にカバーをし、灯を入れる衛女たち。
碧衣は銀の鉄翁を開き、水平に構えた。
扇上で親指と人差し指を開いたり、閉じたりしている。
美優が青木に尋ねた。
「扇の上に、荊州水軍は入ってきたかしら」
静かに首を振る碧衣 ……
「今、入りました ……
全部で二十艘の船団です。
先頭1艘、後ろに2艘並びの隊列が十一列」
「いいわ、二列右側から行きましょう ――
碧衣、位置を言いなさい」
「右十、距離二百五十」
数字を聞いた衛女が真ん中の前方灯花の角度と向きを調整した。
静寂の時間が生まれ、河が流れる音とが静かに聞こえた。
皆が碧衣の言葉を待つ。
「十、九 ――」
碧衣が数字を数え始めると同時に紗良が弓を構えた。
前方灯花の位置が変わらぬように固定する衛女」
「五、四、三、二、一、今です!」
ザッ ――
前方灯花の蓋が開き二列目右の船を照らす。
刹那、紗良が船上を把握した。
「確認!」
紗良の『確認』の言葉と同時に、前方灯花の蓋が閉じ、
紗良が弦を弾く ――
青白い五十一本の矢が綺麗な孤を描くように二列目の右側の船へ飛んでいく。
ダン! ――
矢を追うように華蓮が跳躍した。
その間も美優が指示を出した。
「次は八列目の左の船!」
碧衣が数字を言う。
「左十五、距離二百三十」
左の前方灯花が方向を調整する。
一方、最初に矢を放った船では全員兵士が倒れていた。
ダン ――
その船に華蓮が降りたつ。
「右の灯花蓋を開けなさい!」
光に映し出されたのは大鎌を担ぎ、
黒い古着、逆立つ髪を風になびかせている華蓮だった。
そして、戦場の兵士は動くものがなく、倒れていた。
「良いわね、右の照明はこのまま華蓮を追いなさい!」
最初の内は、何が起きているのか分からなかった荊州水軍だが、
次第にその恐ろしさに気付き始めた。
そして、華蓮は既に、船と船を飛び回っている時に、
断絶すべき黒い魂を見つけ、糸を仕込んでいた。
華蓮が矢の射終えた次の船に跳躍した。
ダン ――
倒れていない兵士の前に着地し、
つま先で怯える兵士の顎を持ち上げた。
「フフフフフ、見つけたわよ ……」
華蓮を見た兵士は腰を抜かし動けなくなっていた。
「散々悪いことをした、黒い魂のあなた ……
ウフフフフ …… 消えなさい」
パチン ――
華蓮が指をならすと、兵士の体内に仕込まれた糸が伸び、
枝分かれし、神経を刺激し始めた。
「ギャー!!い、痛い、痛い、痛い」
悶絶する兵士、やがて動かなくなる。
その一部始終を前方灯花が捉えていた。
華蓮は片手で大鎌を持ち、最後尾の蔡瑁を睨んだ。
蔡瑁は腰を抜かし、動けなくなっていた。
「鬼女じゃ、鬼女が出た ……
夏口の鬼女じゃー!!」
蔡瑁を囲む兵も、武器を落としへたり込む。
華蓮はニヤリと笑い、片手で大鎌を突き出す。
「ひけー、ひけ、ひけ、ひけー ……
撤退じゃ、撤退の銅鑼を鳴らせー!!」
ジャーン! ジャーン! ジャーン!
方向を変え、上流へと荊州の船団は戻っていった。
しかし、十艘の船と、五百人の兵士は動くことがなかった。
あっという間の出来事だった。
やがて、静かな川面戻り、河の流れは何もなかったように、血を流していった。
美優が引いていく船を見て呟いた。
「もとは、十二月に消える命 ……
半年早まっただけ。
次の転生は幸せだといいですね」
主を失った荊州の船が、下流へと流され始めた時、
夏口から船が出て、流されないように綱を張った。
「ちょうど良かったわね、劉琦さん、
お迎えがきたわよ」
やがて、夏口の船が澪星に横付けされた。
劉琦はさっき起きた、鬼女劇を思い出し、
いまだに信じられない表情をしていた。
「劉琦殿、ここでお別れじゃ」
張飛の言葉に我に帰る劉琦。
「おお、そうでした ……
先程の出来事が頭から離れなくて」
趙雲が劉琦に話した。
「我らは、孫権を頼ることになると思う。
劉琦どのも、これからのこと、よくよく考えることです」
劉琦は美優と華蓮を見て、恭しく頭を下げた。
「夏口の拠点作りなどで、これからも関わりがあると思います。
どうか、これからもよろしくお願いします」
そして、夏口の武将の方を見て、澪船を後にした。
美優は卓に置いた地図を見て言った。
「これから、暗いうちに荊州の船団を追い抜きます」
再び、それぞれの船員が持ち場に着き、出立の準備を始めた。
風が後押しするかのように吹き抜けた。
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