第34話 許都遠征 ~曹英~
漢口までの船の移動は沙市で、南州夜影賊衆を討伐したお陰で順調に移動できた。
漢口の船着き場まではすぐそこまでの距離まで来ていましたが、
陽もくれそうなので明日の朝、漢口に入ることとなった。
川はこのあたりでゆるやかに蛇行し、砂州の間を澄んだ水が音もなく流れていた。
舟は岸の浅瀬に引き上げられ、それから夕食の準備をはじめた。
もう、野営も10回以上行ってきたので手慣れたものになった。
私が竈を作っていると、曹英と紗良がいつも後ろで見ていた。
曹英が楽しそうに私に話しかけてきました。
「ねえ、今日の夕飯は何にするの?」
「今日は粥と、干し魚の汁、それと青菜の漬物だよ」
「星愛ちゃんお手製の腐豆腐も食べたい、ね、いいでしょ?」
「もちろん、粥に添えるわよ」
「でも、いいわね、温かいものがこうやっていつも食べられるなんて…私、幸せ」
オリーブ油灯の設営を済ませた紗良が不思議そうに曹英に尋ねました。
「えっ、これって普通じゃないの?」
曹英が、逆に驚いた顔で応えた。
「当たりまえでしょ、普通、干し豆や、良くて蒸し饅頭よ。
よく考えてみて、これだけのものを持って歩けると思うの?」
紗良が納得したように頷き、そろそろ、夕飯もできそうな頃合いだった。
曹真が私に後ろから抱きついてきました。
「ねえ、星愛ちゃん、私のお嫁さんにならない、
絶対に不自由させないから、ねっ、良いでしょ?」
そして紗良が怒った。
「曹英、それは駄目だよ、星愛は私の星愛なんだから」
いつものことです。もう私は慣れて、後ろから抱きつかれようが、キスされようが気にならなくなった。
そして、黙って食事ができた合図を鳴らした。
カンカンカンカン!!
すると、二人は慌てて耳を塞いだ。
(これも、いつものことです。なんか、私二人のお母さんみたい)
食事が終わるころには、背後には低い丘が影を落とし、焚き火の灯りが人々の顔を淡く照らした。
(私の大好きな光景と時間のはじまりです)
そして、この時間になると決まって紗良が号令をかけていた。
「そろそろ寝所を作ろう!」
「分かったわ」
と、曹英が鉈を持って走り、自分の背より少し高い木の枝を二本持ってきた。
それを受け取った紗良は、人が寝れる幅に打ち付け、三本の銀糸で引っ張って、枝が倒れないようにして、水をはじく加工をした絹の両端の中心をひっかけ、四隅をそれぞれ絹ひもで引っ張り、簡易的な屋根を作った。
そして私は、いつものように簡易オリーブ油灯に火を入れ、それを頭に置いて三人仲良く横になった。
いつもこんな感じで過ごしてきた。
そう、そのときまでは、いつも通りだった
でも、今日は違った。
見張りの兵士がオリーブ油灯を使った合図が送られてきた。
紗良が気付き、弓と矢を持ち外に駆け出した。
複数の人影がこちらの様子を窺っているようだった。
紗良が人影に向けて矢をいつでも放てる体制を取った。
が、突然弓を下ろした紗良、と同時に人影も消えた。
恐らくは、こちらの人数を見て諦めたのだと思った。
……ただ、その背中に一瞬のためらいが見えた。
―――
私たちは横になりましたが紗良の様子がいつもと違った。
「紗良、何か顔色悪いけど大丈夫?」
紗良は少し震えているようで、汗もかいていた。
返事がない紗良を抱きしめた。
すると顔を上げて、紗良がニコリと頼りない笑顔を見せました。
「大丈夫だよ、でもこのまま温めていて欲しい」
曹英も心配な表情で、私の頭越しに紗良の顔色を見た。
「少し顔色が悪いわね、今日は紗良ちゃんが真ん中に寝なさい」
紗良は黙って頷き、私と曹英の間で横になり目を瞑った。
私たちはそっと、紗良を見守ることにした。
やがて、安心したのか紗良の寝息が聞こえてきたので、
私と曹英は頷き合って眠りにつきました。
夜中に紗良のうなされている声に気付き目を覚ました。
先に気付いた曹英が紗良の肩を揺すっていました。
「紗良ちゃん、紗良ちゃん、大丈夫?」
突然紗良の目が開き、玉のような汗を額に浮かべ、呼吸も荒くなっていた。
「これをお飲みなさい」
と言って、曹英が頭の上に置いていた水を紗良に渡した。
私は紗良の目を見つめた。
「どうしたの、何か悪い夢でも見ていたの?」
紗良は黙って下を見ていた。
曹英が優しく声をかけました。
「ね、紗良ちゃん、楓草畑であった出来事の話をしたとき、気持ちが楽になったでしょ?」
紗良は曹英の瞳を見つめ頷いた。
曹英は紗良を優しく抱きしめ、耳元で囁いた。
「話を打ち明けてみんなで苦しみを分け合いましょう」
すると紗良はゆっくり頷いて、話し始めた。
「実は私、人を狙って矢を射ると…
海に浮いている丸い球
それを狙って矢を放つ…簡単なはずだった
けれど、その球は人だった。
矢が貫き、綺麗なお姉さんが泣き崩れる光景が、何度も残像のように蘇る。
それで怖くなって、狙いを少し外して矢を放ったり、弓を下ろしてしまうんだよ」
静かな静寂のあと、僅かな空気の揺れを感じた。
「それはアポロンがいけなくてよ」
聞いたような声がしたので上を見上げると華蓮でした。
(えっ!?もう、帰って来たの…あまりにも早すぎないかしら)
曹英は聞き慣れない言葉に首をかしげます。
「あ ぽ ろ ん?」
「そうよ、嫉妬深いアポロンが悪いの。
自分の妹に近づく男に嫉妬し…男は本当に下等な生き物よね」
私も聞き慣れない名前に質問しました。
「それは遠い国の人ですか?」
華蓮は笑いながら首を振り、私の質問には答えず話を続けました。
「今日は私の姿を見てもおどおどしないわね…重症みたい」
華蓮は真剣な表情になりゆっくり、諭すように話した。
「紗良、南州夜影賊衆の拠点を強襲した時のことを思いだしなさい。
ボロボロにされている子女、蔓延していた病気、無表情な子供達…
あなたはそんな光景を望んでいるの?」
首を左右に振る紗良。
「もし、星愛が、もし、曹英がさらわれ、ボロボロにされることを想像しなさい」
紗良の握った手に力が入りました。
「躊躇わずに打ちなさい…一人の苦しみと、その一人の苦しみを見逃すことで、何十もの苦しみが生まれるわよ。打ち抜きなさい」
紗良が顔を上げて、華蓮を見つめました。
「いい目をしているわね。
断絶神の目と一緒ね、今の気持ちを忘れずに…打ち抜きなさい」
紗良は吹っ切れたのか、空元気なのかは分からないけど、明るい声で言いました。
「二人ともありがとう、もう大丈夫だよ。
さ、明日は早いから寝ようか」
夜も更け、月明かりの下、紗良を守るかのように狼の遠吠えが聞こえてきた。
やがて、三人の寝息が深い夜に溶け込んでいきました。
―――
私は日が昇る前に、寝所を出た。
大きく手を上げて伸びをすると、紗良と曹真も一緒に伸びをした。
夜明け前の空気が冷たく、心地よかった。
三人は顔を見合わせ笑った。
いつものように紗良と曹真は寝所の片付け、
私は昨日作った竈へ向かう。
私が、朝食を準備していると、いつものように曹英が後ろから抱きついてきた。
「ねえ、今日の朝ご飯は何かなあ?」
「今日は水餃子だよ」
「わあ、星愛の水餃子美味しいよね、だいすき」
と言いながら、頬を摺り寄せてくる曹英だった。
―――
皆は船に乗船し、漢口の渡し場を目指した。
蒼翼艦隊の先頭の舟が関所の杭に軽くぶつかり、低い音を立てて止まった。
甲板に立つ彼らの前で、鎧姿の兵が推薦状を広げ、劉備の墨の印を確かめた。
ほんの刹那、兵の表情が緩み、無言で許可の札を掲げた。
杭綱が解かれると、船腹がゆっくりと流れに乗った。
漢江の水面は初春の光を反射し、銀の鱗のように瞬いていた。
岸から遠ざかるにつれ、背後の城門と櫓が淡くかすみ、対岸の城壁が陽炎の向こうに現れた。
私たちはこのまま漢水を遡り襄陽を目指しました。
二十五里をゆっくり六日かけて遡りました。
私と紗良、曹英は美優の船に乗船し、
遠征後、始まる長い舞踊団との旅に備えて舞踊の稽古漬けでした。
何故だか、曹英も一緒に行く気満々で、稽古をしていました。
不思議な光景でした。
今は衝突するかしないかの瀬戸際の、曹操の妹の曹英と孫権の妹の孫尚香が、一緒に舞う姿。
二人の息は合い、美しく、舞踊団で二人が舞う姿を想像し、一緒に行ければいいのにな…と心から思いました。
二人の舞のように、春の河の風が運ぶ、岸辺の花の香りが心地よい船旅でした。
そして、遠くに襄陽の船着き場が見えてきました。
その奥にはそびえたつ城壁が春霞にうっすら映し出されていました。
ここからは、陸路で襄陽〜南陽〜許昌の七十五里を五日間で移動しました。
私と紗良、曹英は襄陽で手に入れた驢馬に揺られ、
おしゃべりをしながら、春を感じながら楽しく移動しました。
本当に順調に移動でき許都の城門まで二里の地で野営をすることになりました。
絹の屋根の下で、私を真ん中にして紗良と曹英に挟まれて眠るのも今日が最後でした。
―――
曹英が絹の屋根を見ながら話し出しました。
「私ね、曹操の妹とはいっても母親は違うのよ」
私と紗良は首を横に振り、曹英の横顔を見つめます。
曹英は絹の屋根を見続けながら、話しを続けます。
「私、曹嵩の側室の子で、母親をすぐに亡くし、曹操に引き取られたんだ」
曹英がお腹の上に組んでいる手に、私の手を重ねました。
「でね、孫権のところに居たのも半分人質っていうわけ…
あの夜、曹操からの密使がきて、直ぐに帰れと言われ、
着の身着のまま逃げ出し、最後にはあの賊に捕まり監禁されちゃったんだよね」
私は曹英の手を強く握りました。
曹英は首を横に振り、私と紗良の顔を見て満身の笑顔を見せて言いました。
「でも、あなた達と会えたんだから」
曹英は言葉に詰まり、唇が震えていました。
「私、とても良かったと思っているよ」
と目に涙を浮かべ、私と紗良も頬に涙が伝い三人抱きしめ合いながら眠りにつきました。
いよいよ、明日は許都入りです。
洞庭湖を出た頃はまだ寒かった夜、今は風が心地よく感じられる夜になっていた。
―――
私は曹英との時間が楽しく、別れるのが辛くても…誰にも平等な朝は来た。
私はいつものように朝食を作り、
そしていつものように曹英が抱きついてきた。
でも、いつもの言葉は無く摺り寄せる頬には涙が伝う。
朝食を済ませ、片づけを済ませ出立の時が来てしまった。
紗良が曹英を抱きしめ、
「大丈夫、私が遠くから見守っているから」と声をかけた。
私も曹英と紗良を抱きしめた。
「きっと、また会えるよね」
私たちは知っていた。
国に強大な影響を持つ曹操の妹なので、会うのはそう容易くないことを…
それでも再会を誓い合った。
予定通り、曹英と従者三人が歩いて、許都を目指した。
その後、距離を置いて、紗良と華蓮、尚香が続いて馬でゆっくりと後を追った。
そして私たちは、紗良たちの姿が見えなくなったところで行軍を始めた。
遠くから、馬の蹄の音が渇いた大地を蹴り、土煙を上げ前方を横切るように走っていった。
土煙がみるみるうちに大きくなり、走る馬の嘶きが響いた。
「えっ!?」
私は咄嗟のことで、何が起きているのか理解できずに見送るだけだった。
前を行く紗良、華蓮、尚香は直ぐに気付き行動に移した。
紗良が半月の弓を弾き、三つの照準を賊に合わせ、
刹那、蘇る海に浮かぶ玉の残像。
普段は声を上げない華蓮が馬を走らせながら叫んだ。
「打て―!!」
乾いた大地を声が這うように紗良に届く、その姿が月弓の女神の姿と重なった。
一瞬にして、残像が賊の本拠地にいた子女の姿に変わり、割れて粉々に散った。
紗良の目は何物も逃さない狩人の目に変わり、声を張り上げた。
「曹英にさわるなー!!」
弓が放たれ、青白い尾を引き空気を割いていった。
三日月の弧を描き…
矢が止まり、音が消えた。
刹那、三本の矢は盗賊の頭を射抜いた。
盗賊は落馬し、三頭の馬は土煙を残し姿が見えなくなった。
曹英たちに視線を戻すと、既に華蓮と尚香が曹英の側に立っていた。
暫くすると、許都の城門を守る衛兵が近寄ってきていた。
馬上にある、弓を持つ紗良の姿は八歳の子の姿には見えず、堂々とした将の姿だった。
許都の城壁よりも、強く大きく見えた。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
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