第119話 温香酒(グリューワイン)
田螺焼きも皆の胃の中に収まり、満足げな表情が広がっていた。
私は公園を見渡し、見慣れぬ木製の物が並んでいるのに気付いた。
「あそこにある木製の物は何ですか?」
私の視線を追った華蓮が、ふわりと微笑む。
「あれは子供たちのために用意した遊具ですわ。
ミレイアに頼んで、設計図をいただいたのですよ」
「へえ、面白そう……行くよ、燈澄!」
「待って、琴葉お姉ちゃん!」
「あっ、私も行くー!」
燈柚も慌てて後を追った。
三人は大きな揺りかごのような木製の乗り物に乗り、はしゃぎ始めた。
「うわぁ、楽しいね!」
琴葉が声を上げると、燈柚が続く。
「ふわり、ふわり……気持ちいいね」
しばらくすると、燈柚の悲鳴が公園に響いた。
「ま、待ちなさい二人……そんなに揺らさないの!
だ、駄目よ、立って勢いつけて漕がないでー!」
「へへへ、燈柚姉ちゃん怖がりだねー」
「こらっ、燈澄!やめなさい!」
「うわぁーい、ひゃほーーぃ!」
「琴葉様まで、おやめくださーい!」
私は、外側で立ち漕ぎして勢いをつける二人と、
真ん中で怯えている燈柚を見て、思わず呟いた。
「まるで、悪魔に捕らわれた怯える公主みたい……」
紗良がくすりと笑う。
「あの二人にはかなわないね」
私は三人がはしゃぐ姿を眺めながら、昼間の公園を思い浮かべた。
「きっと、昼間は家族や子供たちが楽しそうに遊んでいるんだろうな」
曹英がそっと寄り添ってくる。
「私たちがしてきたこと……間違えていたのかしら」
燈灯が慌てて首を振った。
「そんなことありません。私たちは生きるので精一杯で……
でも、あんなにはしゃぐ二人を見るのは初めてかも」
紗良が揺りかごで遊ぶ三人に目を向けながら言う。
「私は、今までやってきたことは大切だったと思う。
私たちの積み重ねが基盤になって、こうして心に余裕が生まれるんだよ」
斯音が静かに続けた。
「秦代でも、ここまで余裕を持たせることはできませんでした。
戦に勝ち、民をまとめる法律を作るので精一杯でしたから」
扶美が意地悪そうに微笑み、斯音を見つめる。
「あなたは利害関係に溺れて、最後は私を粛正したんでしょ……
でも、ここにある姿が本当の未来形なのかもしれませんね」
私は深く頷いた。
「これから夢咲に必要なものが、ここにはあるのかもしれませんね」
華蓮は頬杖をつき、ニヤリと笑って私を見る。
「あなたたちはもっと見識を広げるといいわ。
『冬の市』は三日で終わるけれど、その後もしばらく滞在するのも悪くないと思うわよ」
絵蓮が頭の後ろで手を組みながら言葉を継ぐ。
「夏侯淵が亡くなるのはまだまだ先だよ。安心して滞在できるよ」
私たちは顔を見合わせ、静かに頷いた。
はぁ、はぁ――。
背後から琴葉と燈澄の荒い息づかいが聞こえた。
次の瞬間、誰かが私に抱きついてきた。
「星愛お姉さま……琴葉様と燈澄が……私、死ぬかと思いました……」
肩に顔を埋めてきたのは、燈柚だった。
その様子を見ていた紗良、曹英、亜亥の瞳に、ほんのりと殺気が宿る。
「ちょっと三人……そんな怖い顔してどうしたの」
三人は顔を見合わせ、むすっとした表情を崩さない。
たまりかねて、華蓮が吹き出した。
「あらあら、とうとう三角から四角になったみたいね。
この先が楽しみだわ……うふふ」
「さて、明日は朝が早いから、そろそろ移動を始めるわよ」
こうして私たちは東屋を後にした。
「ところで華蓮様、琴葉たちが遊んでいた遊具は何というのですか?」
私が聞くと華蓮は頬に指を当て、しばらく考えてから答えた。
「たしか……ボートスイングと言ったかしら」
「ぼ、ぼと、すういんぐ……ですか?」
曹英が焦りを抑えるように聞き返す。
華蓮はくすりと笑った。
「『ぼとすういんぐ』じゃなくて、ボートスイング。
ここでは『舟揺』と申しておりますわ。
未来の遊具を木製で再現したものですの」
曹英の表情がほっと緩む。
「舟揺……ここの遊具はすべて木製なのですね」
華蓮は誇らしげに頷いた。
「ええ。すべて木と縄と、ほんの少しの釘だけで作っていますの。
なぜだか分かります?」
華蓮が私の顔を覗き込むように問いかけてくる。
私は少し遠くを見つめ、答えを探した。
「黒層鋼のような複雑な加工が必要な素材だと、修繕に時間がかかります。
特別な技術が必要で、場合によっては修繕そのものができないこともあるからですね」
私の言葉に、燈灯が静かに続けた。
「生活に関わる物は、その地で作り、その地で消費するのが理想だと考えています」
華蓮が興味深そうに燈灯へ視線を向ける。
「あなた、なかなか良いことを言うわね。美優が目をかけたのも納得だわ」
「い、いえ……滅相もありません」
燈灯は目を伏せ、頬を朱に染めた。
「私は建築を学びたくて……
建物の資材も現地調達・現地消費が合理的だと思っています。
その方が修繕にかかる時間も、住む人が不便に感じる時間も短く済みますから」
華蓮は満足げに頷き、再び私へ視線を戻した。
「本当にあなたの周りには、紗良を筆頭に、
曹英、劉明、貂糜、星蓮……最近は小喬までもですの。
良い人材が集まりますわね。それに、人の子であるあなたに女神の亜亥まで」
私は思わず華蓮を見つめた。
「みんな、あなたのことが好きですのよ。
誰一人として、女神の聖女になりたがりませんの」
「えっ……それって、どういう意味なんですか」
「さあ、私には分かりませんわ」
そう言うと、華蓮は絵蓮と談笑を始めた。
その隙に、碧衣がそっと近寄ってきて囁く。
「星愛は天然のままで良いのよ。何も気にしないことね」
「なによ、その天然って……」
ふふーん、と訳ありげに微笑む碧衣だった。
再び大通りへ出ると、先ほどより人の気配が濃くなっている気がした。
「華蓮様、皆、東を目指している人が多いみたいだけど」
「そうかしら。まあ確かに東には大きな陣がありますの。
そこを基地にして冬の市を楽しむ人も多いかもしれないわね」
「あっ、あの人だかり何!」
琴葉が長い列を指さしながら叫ぶと、絵蓮が楽しそうに話し出した。
「ああ、あれはね、グリューワインの屋台だよ。
赤い果実酒に香り草を入れて温めて、
柑果の甘い香りで仕上げるんだ」
曹英が目を回し、私にもたれかかってきた。
「うう……ぐるぐるワインに、しなしなアニス……おんじで仕上げ……
えへ、えへ、えへへ……」
「絵蓮様、その名前で販売しているわけではないでしょ。
ここの言葉で説明してもらえるかしら」
「ああ、ごめんごめん。夢咲の言葉で言うなら……」
絵蓮は曹英を見て頭を掻きながら説明を始めた。
「これは『温香酒』って呼ばれてるよ。
赤い果実酒に香り草を入れて温めて、
柑果の甘い香りで仕上げるんだ」
「おんこうしゅ……かおりぐさ……かんか……えへへ……」
華蓮が曹英を見て、「困った子ね」と小さく呟き、絵蓮に言った。
「絵蓮、気付けに温香酒をいくつか買ってきてくれるかしら。
くれぐれも脅して割り込みは駄目ですわよ」
「蓮蓮姉妹の名前に傷がつくようなことはしないよ」
絵蓮はニッと笑い、白い歯を覗かせた。
「琴葉! 燈柚! 燈澄! 私について来い!」
「ほーい」「はい」「よろこんでー」
元気な声を残し、四人は列の中へと消えていった。
「おんおん、おんこーしゅ、わたしのてぃあしゃん〜
あまーい、あまーい、てぃあしゃんにかんか♪」
紗良と亜亥の目が鋭く曹英を射抜く。
私は壊れかけの曹英を抱えながら、華蓮の顔を覗き込んだ。
(華蓮様、このままだと曹英が壊れてしまいます。
銀糸で精神操作をお願いします)
――私の銀糸は、そんなことでは使いませんのよ。
すぐに絵恋達が戻ってきますわ。
「ここにあるのは、あまーいかおりのてぃあしゃんだ!」
「キャッ!」
気付けば曹英の唇が私に迫っていた。
「待ったー!」
紗良が曹英の頭を押さえ、亜亥が両腕を掴んだ。
「ぷっ」と吹き出す碧衣と扶美。
他の者たちは、やれやれといった顔で私たちを見ていた。
「ほんとに、世話の焼ける子たちですこと」
華蓮が袖で口元を隠し、苦笑いを浮かべた。
「おーい、買ってきたよ!」
琴葉の大きな声が聞こえた。
近付いてきた絵蓮が、私に抱きつく曹英と、
その曹英を押さえる紗良と亜亥を見て噴き出した。
「あんたら、いったい何をしているの」
「これ貰うわよ」
華蓮がすかさず温香酒の入った温杯を取り上げ、曹英に飲ませた。
「……てぃあしゃんの……かおり……甘くておいしい」
ごく、ごく。
二口飲み干したところで、曹英の目が見開かれ、
感嘆の声が漏れた。
「香り草と柑果が……胸の奥までしみて……」
――ごく。
「……あまくて……あったかくて……夢みたいです……」
――ごくごく。
「……こんなに優しいお酒があるなんて……知りませんでした……」
私は深くため息をつき、曹英に一言言った。
「やっと戻ったわね。大変だったのよ」
「えっ、何が?」
曹英はキョトンとした顔を私に向けた。
紗良が怖い顔で曹英を睨みながら口を開く。
「本当に新しい言葉アレルギーだったの?」
亜亥が心配そうな面持ちで、まだ曹英の腕を持ったまま言葉を継いだ。
「そうですよ。どう見ても演技にしか見えませんでした」
「えっ、一体何があったの?」
真顔の曹英に、華蓮がそっと耳打ちした。
みるみる顔が朱色に染まり、耳まで赤くなる曹英だった。
私たちはテーブル席へと移動して温杯を並べた。
「茶色の温杯は温香酒でお酒ね。
こっちの白色の温杯は温果茶だよ……飲み比べてみるのもいいね」
テーブルの上に置かれた杯からは、
湯気が灯花の灯りに照らされてほのかに立ち上り、甘い香を運んでいた。
私はまず温香酒を口にした。
「甘い香りが胸に広がって……冬の冷えが溶けていくみたい……」
思わず呟き、続けて温果茶を口に含んだ。
「……こっちはもっと柔らかい……果実の甘さが、喉の奥でふわっと広がる……」
温杯をテーブルに置き、杯に書かれた文字を読んだ。
「建安二十二年 第一回冬の市……
えっ、この大鎌を持っている少女……ひょっとして華蓮様?」
足を組んで温香酒を飲んでいた華蓮が温杯を置き、
肘をついて頬を乗せ、ニヤリと笑って答えた。
「そうよ、私。いいでしょ、いい記念になると思わないかしら?」
絵蓮がニコニコ笑いながら話を付け加えた。
「ミレイアの設計図に、イヤーズプレートというのがあって、
イヤーズカップを作ることにしたんだよ。
冬の市専用の年飾温杯……良いお土産になると思わない?」
碧衣が頷いた。
「そうですね。この温杯を見て、今日という日の出来事を思い出せそうですね」
碧衣の言葉に続き、私も頷いた。
「ほんと、いい思い出になるわね」
今日の最終目的地である華蓮の神殿、宮観式道観までは
まだ半分以上の距離を残している。
にもかかわらず、再び女神六柱と人の子女子八人の
二回目のおしゃべり会が始まった。
周りの雰囲気もまつり前夜の活況に満ち、
華やいだ女子十二人のおしゃべりは止まることなく、夜が更けていった。
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