第118話 はじめての襄陽府
二百十七年(建安二十二年)十一月二十四日
襄陽は北に漢水が東西へ流れ、南には襄水が静かに走っている。
夕陽はすでに傾き、灯花の灯りが下船する人々の影を揺らしていた。
「ねえ、星愛お姉ちゃん、星環府はどっちなの?」
燈澄が私の手を握りながら尋ねてくる。
「うん、あの壁のない広い街が襄陽府よ」
私は手を包み返しながら答えた。
「ふーん、玄冥原よりずっと大きい街なんだね」
燈澄は感心したように、船のデッキから街並みを見渡した。
ひと際目を引いたのは、白い円形の巨大な建造物と、
その隣に並ぶ宮観式の道観建築の寺院だった。
夢咲では白い建物は珍しくないが、
道観建築を見ることはほとんどない。
紗良が私の隣で呟く。
「夢咲とは雰囲気が違うね」
「ええ、不思議な景色だわ」
私は頷きながら、灯花に照らされた建物を見つめた。
桟橋を降りると、人ごみに紛れて気づかなかったが、
華蓮が腕を組んで立っていた。
「あら、華蓮様じゃない……いつも黒い漢服なのに、桃色の漢服姿」
碧衣が驚いたように声を漏らす。
「ホントだ、どこかのお嬢様みたい」
琴葉がニンマリ笑った。
私たちは華蓮のもとへ歩み寄った。
その隣には、朱色の漢服を着た絵蓮が立っている。
「華蓮様に絵蓮様まで……どうしたのですか、その服装は?」
私は思わず問いかけた。
「私は襄陽では紅星と呼ばれているのよ。
府民がどうしても桃色の服を着てほしいと言うから、
仕方なく着ているだけですわ。フン」
「私もね、ここに来るようになってから紅星って呼ばれるようになって、
華蓮と合わせて“蓮蓮姉妹”って言われてるんだよ」
絵蓮は満更でもない表情で微笑んだ。
華蓮はというと、少し俯き、頬にうっすら紅を浮かべている。
(華蓮様、可愛い……)
キッとした目で私を睨む華蓮。
――あなたに言われたくなくてよ。
府民の要望で、仕方なくこうしているだけですの。
「さっ、参りますわよ」
華蓮はそう言って歩き出した。砂利道がしゃり、と音を立てる。
「えっ、華蓮様、星馳は使わないのですか?」
私は驚いて尋ねた。
「当たり前ですわよ。府民が使わないものを、私が使うと思いまして?」
「い、いえ……荷物が多くて。どこまで行くのですか?」
恐るおそる華蓮の横顔を覗く。
「ふふふ、あそこの大きな寺院までよ」
その声が聞こえたのか、琴葉が大声を上げた。
「むりーーー! 私、蜘蛛になって先に行って待ってるね!」
琴葉が変化するより早く、華蓮の手が伸びた。
襟首をつかまれ、琴葉は目を丸くする。
「琴葉さん、そんなことを言っていいのかしら?
諜報部の親玉は誰か、知っているわよね」
「は、はい、それは華蓮様です……」
「分かればいいのよ」
華蓮は琴葉の襟を離し、何事もなかったように腕を組んで歩き出した。
「あなたたち、燈澄を見習ったらどうなの」
その一言で、皆の視線が一斉に燈澄へ向く。
「えへへ、そんな見られたら恥ずかしいですよ。
こんなの、当たり前のことですって」
そう言いながら、燈澄は私の陰に隠れるように歩き始めた。
「あなたたち、どうせそう言うと思っていましたわ。
そこの荷車に荷物を載せていいわよ」
華蓮が視線を向けた先には、牛に牽かれた荷車が止まっていた。
「疲れてる人は荷車に乗っていいんだよ」
絵蓮が陽気に笑う。
私たちは顔を見合わせ、荷物だけを荷車に置いた。
ただ一人を除いて。
「わーい、楽ちんだね!」
琴葉だけが明るく飛び乗っていた。
その様子を見て、華蓮は頭を抱えた。
車軸が軋む音を立て、荷車がゆっくりと動き出した。
琴葉は荷物に埋もれ、満足げに目を細めている。
そんな中、碧衣が私に声をかけた。
「ねえ、気付いたかな」
「えっ、何のこと?」
私が碧衣の顔を見た瞬間、扶美が続けた。
「ひょっとして、襄陽府の街を流れる川のことかしら」
「ええ、そう。五百米間隔で縦横に川が碁盤のように流れているわね」
碧衣は銀の鉄扇を開き、水平に構えて示した。
「星環府の北側には漢水、南には襄水が東西に流れているでしょ」
碧衣と目が合い、私と扶美が頷くと、彼女は話を続けた。
「そして、微妙な傾斜をつけて漢水から襄水へと、
南北の運河が……しかも五百米間隔で二十一本も掘られているのよ」
「やっぱりね」と扶美が頷き、私は思わず「そうなの?」と声を漏らした。
「さらに、その南北の運河の端と端を結ぶように、
こちらも五百米間隔で六本の運河が、
西から東へわずかに傾斜をつけて掘られているわ」
話を聞いていた紗良が加わる。
「だとすると、一番東を流れる南北運河は水が集まるから、
堀の深さも幅も相当なものになるわね」
興味深そうに聞いていた恬香が感嘆の声を上げた。
「すごいわね。西は襄陽城が壁となり、
北は漢水、南は襄水に守られ、東は水を蓄えた運河。
見た目は開けているのに、見えない城壁で囲まれているみたい」
「うふふ、さすが碧衣、紗良、扶美、恬香ね。
あなた方の言う通りよ。そして運河には夢咲第七機動艦隊、
保安艦隊が漢水・運河・襄水を常に巡回しているわ」
紗良の目が輝いた。
「さすが華蓮様、鉄壁の守りですね」
灯花の光が水面に揺れ、客や荷を乗せた小舟が静かに行き交っていた。
「ただ、東西と南北の運河のうち、真ん中の運河だけは
堀の深さが逆なのよ。こうすることで、小舟での人や荷の運搬を
より効率化しているの」
華蓮は不敵な微笑みを浮かべ、私たちを見つめた。
「さて、襄陽府は五百米の正方形で区画整理されていますの。
今歩いているのは商工区画の中央通りよ」
明日から始まる冬の市に向けて、多くの人が行き交い、
屋台がずらりと並んでいた。肉の焼ける香ばしい匂いが風に乗る。
「あなた達、屋台に気を取られているけれど、その奥を見なさい。
店舗が出店しているでしょう?」
言われて視線を奥へ向けると、絹の反物屋が目に入った。
「ここの通りは、表に店舗を構え、その奥を見てごらんなさい」
曹英が感嘆の声を上げる。
「店舗に関係する工房や倉庫が立っている……住居も兼ねているようね」
斯音も頷いた。
「そして裏手には運河。船への揚荷と積載が手際よくできますね」
私は思わず華蓮を見つめた。
「襄陽の初期開発は華蓮様が考案して……本当に、この構造を?」
華蓮は目を細め、微笑んだ。
「うふふ……いけないかしら?」
「い、いえ……でも夢咲には便利な車両もあるのに、どうして……」
素直な疑問をぶつけると、華蓮は私の顔を覗き込んできた。
「ねえ、星愛……私たちはいつまでもここに居るわけではないのよ。
居てくださいって頼まれても、ごめんだわ」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「私たちもいずれ亡くなる。そして、夢咲の星環機も不変ではない……
いずれ運用できなくなることもあるかもしれない」
華蓮は口角を上げ、ニヤリと笑う。
「うふふ、最後は人の子だけで歴史を紡いでいくのよ。
二千年後の先端技術、良いわね。
でも、今の時代の人の子に扱いきれるかしら?」
「難しいと思います。だからリニアモノレールは特別な材料を使って、
千年運用を考えて作ったのです」
碧衣がそっと私の肩に手を置き、呟いた。
「私たちも気付いていた……だから、少しでも長く使えるように
考えてきたのでしょう?」
曹英が続ける。
「ここには、いろいろな答えが詰まっているわ。
素直に学ぶのもいいと思う」
私は静かに頷き、改めてこの街の景色を見つめた。
「うわー、いい匂い!」
突然、琴葉が匂いに釣られて目を覚まし、荷車から飛び降りた。
星紙幣をしっかり握りしめ、すごい勢いで屋台へ走っていく。
「琴葉お姉ちゃん、待ってよー!」
「燈澄、しっかりついてきなさい!迷子になっちゃうよ!」
琴葉は振り向いて叫ぶと、また踵を返して屋台へ突進した。
「待ってよー!」
その様子を見ていた紗良がぽつりと呟く。
「迷子になるのは琴葉じゃないのかな……」
皆が顔を見合わせ、大笑いした。
笑い声が往来の人々の視線を集める。
「あれ、蓮蓮姉妹じゃない?」「星環府長までいるわよ」
「なんか、注目されちゃったみたいね……急ぎましょ」
恬香の言葉に、皆が頷いて歩みを早めた。
「ちょっと、待ってよー!」
慌てて追いかけてくる琴葉と燈澄。
両手には大きな袋がぶら下がっていた。
「えっ、何この香り……香ばしい小麦が焼ける匂いがする」
私が言うと、紗良が続けた。
「ちょっとお腹空いたし、どこかで休憩しない?」
絵蓮が満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ、居住区の公園で少し休もうか」
華蓮も頷いた。
「そうね。居住区なら人通りも少ないし、いいかもしれないわ」
こうして、私たちは居住区の公園を目指した。
私たちは公園の一角にある東屋で腰を下ろした。
琴葉が袋から容器を取り出し、蓋を開ける。
湯気が灯花の灯りに照らされてふわりと立ちのぼり、
香ばしい小麦の匂いと、昆布と干し魚の出汁の香りが漂った。
「これ、美味しそうでしょ」
琴葉が自慢げに胸を張る。
「これ、なんなの?」と曹英が興味津々で尋ねた。
「田螺焼きって言うんだよ」
丸い球状の生地に、黒い甘辛だれがとろりとかかり、
干し魚の削り節のようなものと、砕いた緑茶葉がまぶされている。
「どれどれ、一つ食べてみましょうか」
私は楊枝で一つ刺し、口に運んだ。
「あつい!」
外はカリッ、中はとろり。
刻んだ田螺のコリッとした食感が心地よく、
干し魚と昆布の深い旨みが口いっぱいに広がった。
「あっ、この黒いタレ、甘辛くて癖になる」
亜亥がほくほく顔で頬張る。
「うふふ、これはね、ミレイアに教えてもらった未来の食べ物よ」
紗良が目を輝かせる。
「えっ、未来の食べ物……?」
「たこ焼きと言うのですよ。
冬の市の屋台に出すのに良い食品はないかしらって聞いたら、
ミレイアが教えてくれましたの」
絵蓮が続けた。
「他にも、お好み焼き、焼きそば、りんご飴……
いろんな食品の設計図をもらったよ」
(食べ物に設計図……黒いタレが潤滑油に見えてきた)
「華蓮様、先ほどは“人の子の未来”の話をされていましたけど、
これは良いのですか?」
私は、華蓮がどんな意図で未来の食文化を取り入れているのか知りたくて尋ねた。
「これは簡単に作れますし、神がいなくとも再現できると思いますの」
「……人が継承できるものを残す、ということですね」
私の顔を見て、華蓮はニヤリと笑った。
「何でも尋ねるのは良くないわ。
時には、時間をかけて自分で考えるのも必要よ」
そう言いながら、華蓮は田螺焼きを口に運ぶ。
「あら嫌だ、これ美味しいわね」
両頬を押さえ、幸せそうにもぐもぐする華蓮だった。
人もまばらな公園の中で、
六柱の女神と八人の女子の明るい声が響いていた。
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