第114話 灯花庵から見る景色 始まりの朝
「ふゎーぁ……」
上体を起こし、両手を伸ばして大きくあくびをした。
寝る前に灯した灯花の小さな揺らぎが、陽が昇る前の部屋を淡く照らしている。
(四女神はまだ寝ているみたいね)
隣で添い寝していた亜亥の頬を、そっと指で突いてみた。
「へ、へーん……」亜亥から声が漏れた
思わず手を引っ込め、背中に隠す。
(まだ起こしちゃ可哀そうよね)
絹の羅を肩に羽織り、静かに戸を開けて外へ出た。
両手に息を吹きかけると、白い息が灯花の光に照らされて煙のように消えていく。
(うー、寒い季節になったわね)
母屋の温かな灯りを目指して早足になる。
「おはよー」
土間に入ると、綿袍を羽織った燈灯が火を起こそうとしていたところで、目が合った。
「あっ、星愛様。おはようございます」
「いやだな、灯花庵では私たち家族よ。燈灯は年上だし、星愛って呼んでいいわよ」
燈灯は両手をお腹の前でそっと結び、頬を赤く染めて俯き、小さく頷いた。
私はニンマリ笑って尋ねる。
「これから火おこし?」
「はい」
「じゃあ、竈は私に任せて。燈灯は朝餉の準備お願いね」
「で、でも……」
「いいの、いいの。私、火を見るのが好きだから」
「そ、そうですか……ではお願いします」
竈の前に座り、藁くずに石で火を入れる。
くすぶる煙に息を吹きかけると、赤い光が応えるように揺れた。
三度息を吹き込むと、小さな火柱が立ち、木の皮へと移っていく。
竈は冷たく口を開き、乾いた薪の香りが鼻腔をくすぐる。
薪の上に木の皮を乗せ、藁くずで蓋をする。
赤く燃え上がる炎が、冷たい空気を伝って頬を温めた。
細い楠木の薪を数本くべると、火は勢いを増す。
最後に黒檀をくべると、竈の周りが一気に暖かくなった。
ふと顔を上げると、燈灯が冷たい水に手を赤くしながら、米や野菜を手際よく洗っている。
竈の温もりに気づいたのか、こちらを見て微笑んだ。
私も微笑み返す。
パチン。
薪の爆ぜる音が、静かな朝に小さく響いた。
「ねえ、燈灯……先祖に冬の衣類を祀って冬支度をする慣わしって、知っているかしら」
「はい。両親と一緒に暮らしていた頃は、毎年この季節になると
簡単な祭壇を組み立てて、冬物の衣類を干していました」
「へえ、そうなんだね。他に何か特別なことはしたの?」
「天気のいい日に衣類の前でお香を焚くんです。
その煙が冬物の衣類を通って、先祖の霊が纏うことができるみたいですよ」
「なんか、幻想的な感じがするね」
「お香を通した衣類は夜に着て、家族と先祖で食卓を囲むんです。
その日は豊作も祝って、自分の田畑で採れた野菜や魚、動物の肉を持ち寄り、
村のみんなで宴を楽しんでいました」
燈灯は研いだ米を釜に入れ、水を注いで竈の上に置き、私に微笑んだ。
「楽しそうでいいね。玄冥原でも、祭礼として先祖の冬支度をしてみたらどうかしら」
私がそう言うと、燈灯は嬉しそうに目を細めた。
「良いと思います。夢咲に来てから、先祖を尊ぶことがありませんでしたから……
それに、私たち……両親を偲ぶには、いい機会になると思います」
その後、しばらく沈黙が続き、燈灯は米釜をじっと見つめていた。
私は竈の前から顔を上げ、小首を傾げて彼女を見つめる。
唇を噛んでいた燈灯が、意を決したように口を開いた。
「星愛様……沙市で南州夜影賊衆に捕らわれた時のこと、憶えていますか」
真面目な表情で敬語に戻った燈灯を見て、私も姿勢を正した。
「ええ。従者五人を連れて、美優に頼まれた物を買いに行って……
その時、薬品を嗅がされて拉致された時のことよね」
燈灯は静かに頷き、話を続けた。
米釜から湯気が溢れ、私は薪を少し調整する。
「私の父は弓師で、戦の時に亡くなりました。
私たち家族は戦災を逃れるため洞庭湖を目指していた時、州夜影賊衆に捕らわれたんです」
私は驚き、燈灯を見つめた。
彼女は遠い記憶をたどるように目を細める。
「捕らわれた後、母は楓草から麻痺薬を抽出する仕事につかされました。
みるみるうちに身体はやせ衰え、毛も抜け落ちて……
それでも私たちの前では気丈に振る舞っていました」
燈灯の表情は悲しみよりも、静かな追憶に近かった。
パチン。
薪が爆ぜる音が土間の空気を震わせる。
燈灯は竈に視線を移し、続けた。
「でも、亡くなりました。私はその頃八歳でした。
五歳の燈柚と、一歳の燈澄を抱えて……
生きるために、できることは何でもしました」
私は竈の火を見つめる燈灯を見守りながら、続きを待った。
「実は……南州夜影賊衆の脅迫状を美優様に渡したのは、私なんです」
「えっ」
思わず小さな声が漏れた。
燈灯はニッコリ笑い、話を続ける。
「あの時、美優様が私を抱きしめてくれたこと。
尚香様に良くしていただいたこと。
そして、姉妹がいると分かった瞬間に救出してくださったこと」
「そんなことが……あったのね」
「はい。私たち姉妹は美優様の夢咲舞踊団に属して働き、
その形で洞庭湖の学術院に通わせていただきました。
本当に……感謝してもしきれません」
「もしかして、灯花庵の仕事を紹介したのは尚香なの?」
米釜をゆっくり竈から持ち上げながら、燈灯は満面の笑みを浮かべた。
「はい。尚香様は恥ずかしいのか、ここには来ずに江陵へ戻られたみたいですが……」
私は苦笑いを浮かべる。
「大軍議の後、休まず江陵に行くと言った時、なんだか不思議だったのよね」
「はい。尚香様は、そういうお方です。
そして……こんなお話ができたのも、先祖を思う気持ちがあったからだと思います」
気づけば私は、笑顔で頷きながら燈灯を抱きしめていた。
―――――
母屋の土間から漂う朝餉の香りに誘われ、皆が集まってきた。
最初に姿を見せたのは、燈柚に手を引かれ、目をこすりながら歩く燈澄だった。
私を見るなり、燈澄は勢いよく腰に抱きついてくる。
思わずその柔らかい頬を摘まんで引っ張った。
「おはよう、おチビちゃん」
「おチビちゃんじゃないよ」
頬をぷくっと膨らませる燈澄が可愛くて、ついもう一度頬を弄ってしまう。
(この子、小さいから八歳くらいかと思っていたけど……十歳なのね。
なんだか、琴葉を思い出すわ)
そう思っていると、外から駆けてくる足音が聞こえた。
扉が勢いよく開き、影が飛び込んでくる。
「おはよー、星愛!」
頬を寄せて抱きついてきたのは、やっぱり琴葉だった。
その後ろから華蓮がゆっくりと歩いて入り、
さらにその後ろを、秦の四女神が滑るように浮かんで入ってくる。
一気に土間が明るくなり、ちょうど朝の陽が差し込んで空気が温まった。
朝の食卓を囲む面々。
湯気の立つ野菜汁、香の物、豆と野菜の炒め物、白いご飯。
私は箸を進めながら華蓮に声をかけた。
「華蓮様、ここにお泊まりだったんですね」
華蓮はニヤリと笑い、香の物を箸でつまむ。
「あなた達が離れ家に入った後、襄陽に戻って書類に目を通していたわよ」
「えっ……じゃあ、朝に来たんですか」
「そうよ。『秋灯帰魂の夜』、気になりますでしょ」
当たり前のような顔で香の物を口に運ぶ華蓮。
「これ、いっただきー」
私が止めた箸の下から、琴葉が炒め物を掬っていく。
「こらー、はしたないでしょ琴葉は……」
私が窘めると、皆が一斉に吹き出した。
(華蓮様って、お祭りも戦もそうよね……
人が集まることを仕切るのが好きなのかしら)
――星愛、私は人形劇を演出して、見るのが好きなだけですわよ
(うっ……華蓮様、心を読まないでください)
澄ました顔でお茶をすすりながら、華蓮が横目でこちらを見る。
私は苦笑いを浮かべ、ご飯を口に運んだ。
斯音がお茶をすすり、湯のみをそっと卓に置いた。
「あの……秋灯帰魂の夜を行うのは良いのですけど、もう時間が。
月末まで、すぐ来てしまいます」
私は箸を止め、斯音に頷く。
「そうよね。勝手に動き出すのも問題だし、皆に話を通さないといけないわ」
華蓮が頬杖をつき、楽しそうに私を見た。
「浮島夢咲や冥府の女神達には、私が話を通しておくわよ」
私は華蓮の言葉に耳を傾け、言葉を繋いだ。
「じゃあ、私は軍師さんたちに話を通すわね。
夢咲の幹部にも何人か参加してもらうのがいいかな」
扶美が袖から小さな絹の巾を取り出し、口元をそっと拭って呟く。
「適任は伏皇后……いえ、星蓮様がいいかしら」
私はその言葉に頷いた。
「でも、浮島夢咲に戻ったばかりで呼び戻すのも……まあ、仕方ないか」
私が苦笑いすると、皆も同じように苦笑した。
「ねえ、琴葉。無血開城の策を昨夜終えたから、
あなたたちのところはしばらく時間ができるわよね」
私が琴葉を見ると、少し困った顔で口を開く。
「私ね、劉備爺や曹操爺とかと時々お茶したいんだけど……
美味しいお菓子食べられなくなるなあ」
(ほんと、この子は……)
「もう、琴葉の情報集めの邪魔はしないわよ。
そうじゃなくて、魯粛さんよ。定軍山の戦が始まるまで時間あるでしょ」
琴葉の顔がぱっと明るくなる。
「うん、それなら大丈夫だよ」
私は頷き、皆に伝えた。
「じゃあ、ご飯を食べたら陣幕に行きましょう。
その後は玄冥原を歩いて、秋灯帰魂の夜の構想を考えたいな」
「はい、はい、はーい!」
元気よく手を上げる燈澄。
「えっ、燈澄、どうしたの?」
私は燈澄に驚きながら尋ねた。
「私も行くー! 星愛姉ちゃん、私も連れて行って。案内とか、きっと役に立つよ!」
刹那、燈柚も声を上げる。
「私も行きます! きっと役に立つと思います!」
「うーん……ろくちゃんで行こうと思っていたんだけど、
前に燈澄が座って、燈柚が後ろに座れば……まあ、二人の経験という意味でもいいわね」
「やったー!」
姉妹が喜び合い、長女の燈灯は申し訳なさそうに私を見る。
「すみません、星愛。お願いしていいかな」
「もちろん。私たち家族と一緒でしょ」
こうして私たちは、秋灯帰魂の夜に向けて動き出した。
―――――
私はろくちゃんに跨り、股の間に燈澄を座らせ、
後ろの座席には燈柚が腰を下ろした。
長女の燈灯が頭を下げる。
「妹たち、お願いします」
私はにっこり微笑んで、「大丈夫よ」と声をかけた。
「ろくちゃん、人が走るくらいの速度で、生門池の陣幕までお願いね」
「はい、かしこまりました」
「ねえ、星愛お姉ちゃん、この乗り物、話すの?」
体を捩って振り向こうとする燈澄が、目を丸くして尋ねてくる。
「うん、ろくちゃんって名前なんだよ」
そう言うと、燈澄は私に抱かれるように座り直し、
前を向いた瞬間、再び驚きの声を上げた。
「お、星愛おねえちゃん……なんか映ってるよ!」
「ふふふ」
私は鼻で笑い、燈澄の頭をごしごし撫でながら答える。
「これはね、投影盤って言って、地図や速度を映してるんだよ」
「す、すごーい!」
「えっ、なになに」
今度は後部座席の燈柚が腰を浮かせ、私の肩越しに覗き込もうとする。
「ちょっ、あなた達、危ないからじっと座っていて!」
思わず大声が出た。
その時、琴葉のロックモービルが横に並び、声をかけてくる。
「運転中は動いちゃだめだよ」
秦の四女神が地上から僅かに浮いたまま、流れるように私たちを囲んだ。
扶美が姉妹に向かって言う。
「人が走る速度でも、落ちたら危ないわよ」
なぜか琴葉のロックモービルの後部座席で横座りしている華蓮が、
涼しい顔で私に言った。
「これは、二人乗りのロックモービルに三人乗せた星愛が悪いですわね」
その言葉に、全員が頷く。
「えっ、ちょっと待ってよ。なんであなた達まで頷くのよ……
あなた達が行きたいって言うから三人乗りしたんだけど」
「えー、そうだっけー」
燈柚と燈澄があっけらかんと声を上げる。
(ほんと、この子たち元気がいいんだから……)
秦の四女神と琴葉が笑い、
華蓮は袖で口元を隠しながら「ふっ」と鼻で笑った。
「もう……ここは叱るところなんだから、笑わないでよ。
従車座みたいなのがあればいいのに……」
「星愛様、従車座とは何ですか」
ろくが素直に尋ねてくる。
「ろくちゃんの横に付ける、小さな馬車みたいな座席のことよ」
「ふむ……そのような物、見たことも聞いたこともありません」
「いま私が考えたのよ」
そんな会話をしているうちに、生門池の陣幕が見えてきた。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
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