第108話 玄冥原大軍議 情報分析
玄冥原駅舎のホームに、ひんやりとした朝の風が吹き抜けていた。
夢咲五華は並んで立ち、巴東から上ってくるリニアモノレールを静かに待っていた。
貨物運搬が主の路線だが、朝と夕方だけは客車も連結される。
大巴山脈の背に沿って伸びる黒層鋼の高架線が、空へ向かう二本の弧を描き、その下を長巴道が細く走っている。
やがて、遠くの山影の向こうから白い車体が姿を現した。
青空の下、五華の花びらが舞うように彩られた車両が、静かに、しかし力強く高度を上げてくる。
その姿は、まるで未来そのものが山を越えて訪れるかのようだった。
車両がホームに滑り込み、音もなく扉が開く。
乗客に紛れて、夢咲の案内人が姿を見せた。
「おや、これはこれは……夢咲五華の皆様直々のお出迎えとは」
軽く笑いながら声をかけてきたのは龐統だった。
私は微笑み返し、軽く会釈する。
他の者たちは、ホームから広がる漢中盆地の景色に目を奪われていた。
かつて漢中開発に反対していた周瑜が、腕を組んだまま低く呟く。
「……これほどの肥沃な土地。やはり進出を決めて正解だったな」
その隣に立つ荀彧も、静かに頷いた。
「ええ。あの会議で決断していなければ、今ここに立つことはなかったでしょう」
私は二人に歩み寄り、胸の奥から湧き上がる思いを言葉にした。
「本当に、良い時に決められました。
もし漢中開発が半年遅れていたら……戦禍の中で、この地に足を踏み入れることすらできなかったでしょう」
そこへ碧衣が加わり、柔らかく言葉を添える。
「長巴道もまもなく完成します。漢中だけでなく、長江と黄河の物流も大きく変わりますね」
私たちはしばらく言葉を交わさず、ただ広がる漢中盆地を見つめていた。
その豊かさと静けさが、これから始まる大軍議の重さを、ひそやかに告げているようだった
その横で、龐統が目を丸くしていた。
「ここが玄冥原なのですか……私が来た時とは、ずいぶん様相が変わりましたな」
視線の先には、湯気を上げる温泉施設と、それを取り巻く新しい街並み。
さらに奥には、冥府の女神を祀る白い神殿が静かにそびえている。
紗良が微笑みながら龐統に声をかけた。
「いずれ玄冥原は、心も身体も癒せる街として人々が集うようになりますよ」
貂糜が柔らかく頷く。
「本当に……静養には最適な場所ですね」
そこへ、いつものようにニコニコ顔の琴葉が割って入った。
「ここはね、食べ物も美味しいんだよ。
あ、貂糜さん。よかったら私たちと一緒に灯花庵に泊まらない?」
貂糜は小首を傾げ、控えめに微笑んだ。
「琴葉様、ありがとうございます。でも……私は小喬様とご一緒する予定でして」
「そっかあ、残念」
琴葉が肩を落とすと、横から龐統が手を挙げた。
「では私は泊まれたり……?」
「うーん、残念だけど男子禁制なの。龐統さんは温泉施設か陣幕でね」
琴葉は頭を掻きながら、悪戯っぽく笑った。
ひとしきり笑いが広がったところで、私は皆に声をかけた。
「――さて、そろそろ会議の場へ参りましょう」
和やかな空気がすっと引き締まり、
私たち五華を先頭に、一行は温泉施設の奥にある会議室へと歩みを進めた。
―――――
会議室にはすでに徐庶、魯粛、秦の四女神、星蓮、小喬が揃っていた。
私たちが入室すると、四女神以外の者たちは席を立ち、深く頭を下げる。
私たちも同じように礼を返した。
龐統が四女神へ歩み寄り、にこやかに声をかける。
「そちらにお座りの方々が……秦の四女神様でいらっしゃいますか?」
四人は揃って微笑み、軽く首を傾げた。
「おお……伝説の扶蘇様、蒙恬様、李斯様、胡亥様と軍議で同席できるとは、まさに夢のようです」
龐統が感嘆を隠さず言うと、扶美が涼やかな目で彼を見つめた。
「龐統殿。今の私たちは、扶美、恬香、斯音、亜亥です。どうぞ、その名でお呼びくださいませ」
龐統は頭を掻き、苦笑いを浮かべて会釈した。
「失礼しました。以後、気をつけます」
それぞれが席につくと、一瞬の静寂が訪れる。
その瞬間、私の横にホログラムのミレイアがふわりと姿を現した。
窓の幕が自動で閉まり、灯花の灯りが一斉にともる。
「――さて、皆さんお揃いのようね」
ミレイアの声が響いた途端、空気が変わった。
柔らかな談笑は消え、会議室には張り詰めた緊張が満ちていく。
ここからが、本当の戦いの始まりだった。
私は静かに席を立ち、会議室を見渡した。
皆の表情は引き締まり、その瞳には揺るぎない意志が宿っている。
「すでに報せは届いていると思います。
昨日の早朝、劉備軍が漢中へ向けて進軍を開始しました。
総勢六万。漢中は、いよいよ戦の渦中に入ります」
言葉を区切り、胸の奥で息を整える。
「夢咲は――劉備にも、曹操にも与しません。
中立を貫きます。そして……」
会議室に静寂が落ちた。
私は一歩前に出て、力強く宣言する。
「この戦で、民の血は――一滴たりとも流させません」
その瞬間、皆の視線が私に集まった。
誰もが確かな決意を宿した目で頷き、静かな拍手が広がる。
それは賛同というより、同じ覚悟を共有する音だった。
私はミレイアへ視線を送り、軽く頷く。
次の瞬間、会議室の中央に緑の光が走り、
漢中盆地の立体フォログラムがゆっくりと浮かび上がった。
山脈、谷、街道――すべてが光の線で描かれ、
これから始まる戦略の舞台が、鮮やかに姿を現した。
私が紗良に目で合図を送ると、紗良は静かに席を立ち、会議室の中央へ歩み出た。
「まずは、劉備軍の動きから説明します」
紗良がホログラムへ視線を向けると、緑の光が揺らぎ、皆の目も自然とそこへ吸い寄せられた。
「漢中盆地の北西――この山岳地帯に映る三つの光点が、張飛・馬超・呉蘭の先遣隊です。兵数は五千」
徐庶が腕を組み、低い声で補足する。
「張飛殿と馬超殿は、すでに下辨で曹軍と交戦し、南鄭方面へ進軍を開始しております。劉備本隊はその後方を進軍中ですな」
周瑜は山岳地帯に曹操軍の影がないことを確認し、静かに頷いた。
「ならば、漢中南口は張飛・馬超が押さえる形で間違いないだろう」
恬香が柔らかな声で問いかける。
「では、巴東から漢中への兵站は確保されそうですね。
もう少し詳しく、兵と兵站に駆り出されている農民の数は分かりますか」
紗良がミレイアへ視線を送る。
ミレイアは腕を組み、奥の白壁を見つめた。次の瞬間、壁面が淡い光を帯び、映像が浮かび上がる。
「これが現在の巴東城内の広場の映像」
高く積まれた物資の山。荷を担ぎ、列を成す人々。
その奥に、雷銅の旗印が揺れていた。
「ここにある物資は、今日一日で運び出される分の“最後”。
奥に見える雷銅軍が、この行軍の殿を務めています。
映像分析の結果――兵士は六万。兵站には三十万が動員されています」
琴葉が息を呑み、慌てて口を押さえた。
会議室の空気がわずかに揺れる。
(そうよね……玄冥原の行軍を見ていなければ、私も驚いていた)
一方、恬香は静かに目を細め、深く頷いた。
「定石通りの兵站輸送ですね。道も険しい以上、この人数は必要……
六万は大戦にしては少なく見えますが、遠征できる最大規模。
劉備陣営には、相当な軍師がいらっしゃるのですね?」
龐統は誇らしげに胸を張り、ゆっくりと頷いた。
「……ふふ、孔明殿が居る限り、劉備陣営の知略は盤石ですぞ。
あれは――私が認めた男ですからな」
(龐統さん……思い出しているのかな。
水鏡先生の『伏竜・鳳雛、いずれかを得れば天下を治む』の言葉を)
照れ隠しのように苦笑いを浮かべる龐統さんが、少し可愛く見えた。
龐統から視線を戻し、恬香は柔らかく微笑んでミレイアへ問いかける。
「その孔明がいる劉備の本軍が山を越え、漢中に姿を現すのはどのくらいの日数になります?」
ミレイアは一度目を閉じ、計算を終えたように静かに口を開いた。
「……現在の行軍速度と兵站の負荷を考えると、劉備本軍が
巴東から漢中に姿を現すまで――およそ四十日前後ね。
山岳地帯を六万の兵と三十万の兵站要員が進む以上、
一日の平均移動は十二キロ前後。急いでも二十日はかかるわ。
ただし、張飛・馬超の先遣隊が南鄭へ向けて道を確保しているから、
本軍の速度は多少上がる可能性がある。
最短で二十五日。最長で五十日。
……この範囲で漢中に到達する、と見ていいわ」
周瑜は、愛弟子のように軍略を教え込んでいる紗良へ静かに声をかけた。
「紗良様、劉備の動きは分かりましたが……曹操陣営を見てきた紗良様は、
夏侯淵・張郃・曹洪がどのように迎え撃つとお考えですか」
紗良は深く頷き、真剣な表情で口を開いた。
「夏侯淵は、まず間違いなく“速攻”を選びます。
彼は地形を読むより勢いで押し切ることを好む武将。
張飛・馬超の先遣隊を、山岳戦で一気に叩こうとするでしょう。
張郃は逆に慎重です。夏侯淵の突撃を支えつつ、
地形を利用して徐々に包囲の形を整えるはず。
彼は柔軟で、相手の動きに合わせて戦線を変えられる将です。
曹洪は守りに回ります。
南鄭へ向かう街道の要所に兵を置き、
劉備本軍の進軍速度を削ることを優先するでしょう。
つまり――曹操陣営は“速攻・包囲・遅滞”の三段構えで
劉備軍を迎え撃つと考えます。
ですが……この三人は互いの連携が完璧ではありません。
そこに、付け入る隙が生まれます」
周瑜は満足げに頷き、ミレイアへ視線を向けた。
「曹操の陣営の数を教えてもらえますか」
ミレイアはホログラムに各陣の旗印を浮かび上がらせ、説明を始めた。
「陽平関が守りの要で、夏侯淵が二万の兵を構えているわ。
そして曹洪が五千の兵で南鄭城を守り、張郃も五千の兵を置いている」
荀彧が静かに口を開いた。
「恐らくは、紗良様の言う通り徐晃に陽平関を任せ、
曹真と三千の騎馬を引き連れて出陣しているでしょう。
南鄭からは曹洪が千の騎馬を出し、山岳で張飛・馬超と交えて
出鼻をくじくつもりかと」
琴葉が手を上げ、少し誇らしげに言った。
「うん、その通りだよ。今朝、夏侯淵のところに行ったら、馬で移動していたよ」
荀彧は目を細め、顎に手を当てて頷いた。
「出鼻をくじくのが目的。すぐに漢中へ戻るはずです。
陽平関が落ちれば長安への道は遠くなり、まさに袋のネズミとなりますから。
ところで……徐庶殿、龐統殿。
劉備はどのように布陣するとお考えですか」
龐統は徐庶へ視線を向け、静かに会釈して話を譲った。
「そうですな。攻め手としては陽平関か南鄭の二つ。
まずは兵站確保のため南鄭を落とし、その後に陽平関を攻めるのが順当でしょう。
ただし陽平関には二万以上の兵が籠もり、もとより自然の要害。
城攻めには五倍――十万は必要になります。
地を包囲し、じわじわと攻める形になるでしょうな」
恬香は目を細め、頬に指を当てながら頷いた。
「私も陽平関に交渉で入りましたが……あそこは本当に“山そのものが城壁”でした。
それに加えて簡易の壁も築かれていて、攻めるのは容易ではありません。
ただ、長安からの補給は薄い印象でした。
漢中の作物に頼っている気配が強かったです」
荀彧の瞳がわずかに光り、静かに言葉を紡ぐ。
「夏侯淵の性格を考えると、前線を定軍山まで押し上げるでしょう。
彼には“前へ出る”癖があります。
何度か忠告しましたが……『攻撃こそ最大の防御』と譲りませんでした」
語り終えた荀彧の表情には、かすかな悲しみが浮かんでいた。
その理由に気づいた龐統がそっと歩み寄り、肩に手を置く。
「見えましたな。孔明でなくとも、私や荀彧殿には分かる」
龐統がそう言うと、一呼吸置いて将たちは皆、静かに頷いた。
(……考えることは、皆同じなのね)
龐統は荀彧の肩からそっと手を離し、歩を進めながら話を続けた。
「恐らく、劉備軍は定軍山に罠を張って待つでしょう。
巧妙に後退を続け、夏侯淵を高地へ誘い込む。
彼なら“高所を取れば勝てる”と考えて必ず来る……
もう、これ以上は言わずとも分かりますな」
周瑜が頷き、私へ視線を向ける。
「星愛様が赤い瞳で見た“曹操軍敗走”――その未来に繋がるわけですな」
私は静かに頷いた。
荀彧はホログラムに映る陽平関と北西の地形を睨みながら言った。
「夏侯淵が討たれた場合、次に動くのは張郃でしょう。
彼は蒙恬殿を師と仰ぐほど堅実な将。
崩れた兵をまとめ、陽平関とその北東に陣を敷くはずです。
そして直ちに長安へ増援を要請するでしょう」
「その数は分かりますか」
周瑜の問いに、荀彧は迷いなく頷いた。
「最低でも三万。二週間もあれば漢中に入ります」
私は息を整えながら言った。
「そうなると長期戦になりますね。曹操が動けば話は変わりますが……」
その言葉に琴葉が反応した。
「そうよ。この前、曹操爺と程昱爺とお茶した時に聞いたんだけど……
今ね、曹丕と曹植の後継者争いが激しくて、宦官や文官の派閥争いにまで発展してるんだって。
荀彧さんが“粛清された”ことになってるでしょ。その残党の動きも気にしてるみたい」
私は一瞬だけ荀彧に視線を向ける。
彼は苦笑いを浮かべ、私は話を継いだ。
「それでは曹操もすぐには動けませんな……冬の行軍を避けるとして、早くても来春。
場合によっては、曹操の性格を考えると一年は様子を見るかもしれません」
私は荀彧の話を聞き終え、静かにまとめへ入った。
「私たちの予測では、夢咲の開発地で最も影響が大きいのは定軍山です。
南鄭と城固も同様ですが、こちらは城攻めになる可能性が高く、
直接的な被害は比較的少ないと考えています」
皆が大きく頷いたので、私は続けた。
「今回の戦の特徴は、兵站の長さに大きな差があることです。
劉備軍は成都から前線まで五百キロ。山岳・断崖・狭道を越える必要があります。
一方、曹操軍は長安から陽平関まで二百キロで、平地と丘陵が中心。
輸送効率を考えると、曹操軍が五倍は有利です」
一度言葉を区切ると、皆が真剣な表情で続きを待っていた。
「劉備軍としては、短期で漢中を平定したいと考えるのが自然です。
定軍山で一気に勝負を決め、漢中の主要地を押さえるでしょう。
対して曹操軍は、陽平関とその北東の地を“長安への玄関口”として守るはずです。
これが戦の自然な流れだと思います」
会議室には静かな緊張が満ち、私の言葉を待つ空気が漂っていた。
「私たちがすべきことは、その間に行われる各地の城攻めについて理を説き、
可能な限り無血で戦を終わらせること。
そして劉備軍・曹操軍の双方を陽平関へ集結させ、
被害を最小限に抑えることだと考えます」
皆が漢中での戦の流れを理解したように頷いた。
そして議題は、夢咲連環府がどう動くかへと移っていった。
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