第105話 初めての峠道
夏侯淵との定軍山開発協定も無事に結ばれ、私たちは帰路についた。
まだ昼前ということもあり、私は皆に提案を持ちかけた。
「これで南鄭、定軍山、城固の駅建設予定地の許可も得られたね。
玄冥原までは三時間ちょっとで行けるし、開発の進み具合も見ておきたい。
このまま玄冥原へ向かうのはどうかしら?」
すぐに紗良がインカム越しに返事をくれた。
「うん、賛成。玄冥原は巴東からのリニアが開通してるし、
開発会議を開くにも南鄭より集まりやすいよね」
琴葉が嬉しそうに声を弾ませる。
「それに、岩盤をくり抜いて作った温泉が完成したって聞いたよ。
休暇もかねて行きたいな!」
続いて曹英の苦笑まじりの声が届いた。
「いいわね。でも星愛、最初から温泉が目的だったんじゃない?」
(うっ……完全に見抜かれてる。でも、見たい景色もあるし、
開発協定が終わったら玄冥原に行きたかったのよね)
少し焦りながら、私は他の者たちにも呼びかけた。
「今の話、みんな聞こえてる? 玄冥原行きに賛成の人は警笛を鳴らしてー!」
次の瞬間、漢中盆地に一斉に警笛が響き渡った。
私は思わず満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ、目的地は玄冥原に決まりね。
途中で南鄭に寄るから、用事がある人はそこで降りてもいいわよ」
再び、賛同の警笛が鳴り響いた。
私はロクの頭を軽く撫でながら言った。
「ろくちゃん、今の話聞いてたでしょ?
南鄭経由で玄冥原まで、星馳が走れる道を選んで、
平均六十キロで移動してね」
「星愛様、お任せください。皆様を安全にお連れします」
ロクがそう答えると、ロックモービルは静かに自動運転へ切り替わった。
私たち星環機の集団は、静かに漢中盆地の道を滑るように進んでいった。
八月下旬の空気は、昼の暑さこそ残っているものの、夏の厳しい日差しはすでに影を潜めている。
風に乗って、稲刈りを終えた田んぼから乾いた藁の香りがふわりと流れ込んできた。
黄金色だった田はすでに刈り取られ、短い切り株が陽光を受けて淡く光っている。
農家の庭先では束ねた稲が逆さに干され、風に揺れてカサカサと小さな音を立てていた。
遠くでは、牛を連れた老人がゆっくりと畦道を歩き、子どもたちが川辺で水を跳ね上げて遊んでいる。
その子どもたちが私たちに気づき、元気よく手を振った。
私も思わず笑みを浮かべ、手を振り返した。
ロクは盆地の中央を貫く道を、一定の速度で軽やかに走り続ける。
後ろにはジャイロバイク、ロックモービル、星馳が隊列を組み、土煙を上げながら続いていた。
左右には刈り取りを終えた田畑が広がり、その向こうには大巴山脈の影が濃く伸びている。
山から吹き下ろす風は涼しく、夏の終わりと秋の気配が混ざり合ったような心地よさを運んでくれた。
私たちは南鄭星環府の庁舎でいったん休憩をとることにした。
五階の執務室から駅の建設現場を見下ろすと、工事を待つ高架橋が整然と並んでいる。
その様子を眺めながら、私は皆に声をかけた。
「私ね、漢中の開発は秦の四女神にお願いしようと思うの」
紗良が右隣で頷く。
「私も同じことを考えていたよ」
左隣の曹英も微笑んだ。
「私も同じ意見です」
琴葉も続く。
「そうね、四女神に任せるのが一番だと思う」
「私たち、気が合うね」
そう言って顔を見合わせ、私たちは笑い合った。
十分に休息をとり、庁舎前に集合した私は皆に向かって声を張り上げた。
「この後は、リニアモノレールと並行して整地された長巴道を進みます。
皆も知っている通り、他国が行軍に使えないよう、最大斜度四十度の難所がいくつもあります」
皆の視線が真剣に私へ向けられる。
「これより、星馳とジャイロバイクの者はキャタピラ星馳に乗り換えてください」
一斉に頭を下げ、各自がキャタピラ星馳とロックモービルへ散っていく。
準備が整うのを確認し、私は耳が少し熱くなるのを感じながらインカムで号令をかけた。
「皆の者、私に続け!」
(ふー……様になっていたかな。戦場で鼓舞なんてしたことないから、号令はどうも苦手なのよね)
気を取り直し、私はロクに声をかけた。
「ろくちゃん、あとは玄冥原までお願いね」
「任せてください。今までにない登坂行になります。
あまり怖がらないでくださいね」
「平気よ。ろくちゃんを信じているわ」
そう言った瞬間、モーターが低く唸り、ロクは静かに前進を始めた。
南鄭を出てしばらくすると、道はゆるやかな上りから、次第に険しさを増していった。
山肌に沿って伸びる長巴道は、ここから先が本番だと言わんばかりに、
霧をまといながら私たちを迎え入れる。
目の前の道は、まるで壁のように迫ってきた。
「うわ、まるで壁ね」
「体感、壁ですね。星愛様は怖いですか」
「ははは、怖くなんかないわよ。ただ驚いているだけよ」
インカム越しに、琴葉のはしゃぐ声が飛び込んできた。
「きゃはは、壁よ壁!おもしろーい……全速ぜんしーん!」
すぐに紗良が鋭く窘める。
「琴葉、独り言はインカム切って言いなさい!」
「ごめーん、あまりの凄さにインカム切る余裕ありませーん!」
(絶対嘘ね。口で『切断』って言えば切れるのに……琴葉ったら楽しんでる)
そんな琴葉とは対照的に、曹英の悲鳴がインカム越しに響いた。
「星愛!こ、これ登るの?むり、むり、絶対むり!」
「曹英、私にしっかりついてきなさい。
速度を落としたら逆にキャタピラ星馳に潰されるわよ!」
声を荒げて怒鳴り、風防に映る後方を確認すると、曹英は必死に食らいついていた。
(うん、大丈夫そうね)
「ろくちゃん、四十度の壁に入るわね……」
「はい。星愛様、しっかり掴まっていてください」
ロクの声が少しだけ硬い。私も自然と息を呑んだ。
私はインカム越しにロクの言葉をそのまま伝える。
「これから壁!しっかり掴まって!!」
前方の斜面は、山がそのまま立ち上がったような急角度で迫ってくる。
霧が濃く、岩壁の輪郭が白い膜の向こうにぼんやりと浮かんでいた。
キャタピラ星馳の先頭車両が斜面に取りつくと、金属が岩を噛む低い音が谷に響く。
ガガガッ……ガリッ……。
ロクが慎重に速度を落とし、角度を確かめながら登り始めた。
「減速!速度二十!」
私が怒鳴ると、インカム越しに一斉に声が返ってくる。
「減速、速度二十!」
車体が前のめりになり、身体がシートに押しつけられる。
胸の奥がじんと熱くなる。緊張で手のひらが汗ばんだ。
「大丈夫……大丈夫よ。ろくちゃんを信じてる」
自分に言い聞かせるように呟くと、ロクが小さく返事をした。
「ありがとうございます、星愛様。……登ります」
キャタピラが岩肌をしっかりと捉え、ゆっくりと、しかし確実に前へ進む。
霧の中から岩壁が突然姿を現した。鋭く削られた灰色の壁が、手を伸ばせば触れられそうな距離に迫ってくる。
後続の曹英のロックモービルが低い唸りを上げながらついてきた。
「はは……のぼってる、のぼってるわよ……てぃあ、のぼってる……!」
どうやら壊れかけているけれど、多分大丈夫。
霧が濃くなるにつれ、視界は数メートル先までしか見えなくなった。
風防に映るレーダーだけが頼りだ。
谷底から吹き上がる風が湿り気を帯び、頬を冷たく撫でていく。
そのたびに車体がわずかに揺れ、心臓が跳ねた。
レーダーに高速でこちらへ向かう車両を確認。
「前方注意!味方車両接近中!」
遠くから微かなキャタピラ音が、徐々に大きくなっていく。
ロクが判断して警笛を鳴らすと、迫ってくる車両も応えるように警笛を返した。
「右側走行維持!」私は声を張り上げる。
(右側を走っていれば衝突はしないはず……)
ガガガガガ――。
しばらくして、二台のキャタピラ星馳が霧の中から姿を現し、私たちの横を通り過ぎていった。
「ふぅ……」
私が息をつく間もなく、
「いやー!!」「キャハー!!」「インカムを切りなさい!」
と怒声が飛び交う。
(またあの三人ね。他の兵たちは皆大人なのに……)
「はぁ……」
違った意味のため息が漏れた。
「星愛さまも色々気苦労が絶えませんね」
ロクが静かに慰めてくれる。
「ろくちゃん、ありがとう……
ところで、傾斜はまだ続くの?」
「はい。あと少しで第一の肩に出ます。そこまで耐えてください」
キャタピラが岩を噛む音が霧の中で反響する。
ガガガッ……ガリッ……ガガガッ……。
星馳の振動が足元から伝わり、身体の芯まで響いてくる。
私はハンドルを握りしめ、前方の白い霧を睨むように見つめた。
やがて、霧の向こうに淡い光が差し込む。
斜面の角度がわずかに緩み、車体がふっと軽くなった。
「……抜けた?」
「はい、星愛様。第一の難所、突破です」
ロクの声が少し誇らしげに聞こえた。
私は大きく息を吐き、胸の緊張がほどけていくのを感じた。
霧が晴れ、視界が開ける。
そこには、山の肩から見下ろす漢中盆地が広がっていた。
黄金色の田畑が遠くに霞み、夏の終わりの風が山肌を渡っていく。
「よし……玄冥原まで行くわよ」
私は小さく呟き、再び前を向いた。
まだいくつも難所は残っている。
けれど、ロクと皆がいるなら、きっと越えていける。
キャタピラが再び唸りを上げ、私たちは霧の向こうへ進んでいった。
壁を幾度となく乗り越え、小さくなることのない三人の怒声を背に受けながら進むうち、
白い膜のようだった霧は次第に灰色を帯び、まるで岩肌そのものが空気に溶け出したように見えてきた。
不安になった私はロクに声をかけた。
「ろくちゃん……この先、何かあるの?」
「はい。最後の難所――巨大な岩棚です。横方向に傾いた道になりますので、姿勢制御を強化します」
ロクの落ち着いた声が、逆に怖い。
前方の霧が薄れ、巨大な影がゆっくりと姿を現した。
私は我に返り、声を張り上げる。
「姿勢制御強化!」
「姿勢制御強化よし!」
インカム越しに一斉に返ってくる声に、気が引き締まった。
影がはっきりと視界に入り、私は思わず呟く。
「……これ、道なの?」
山の中腹を大きく削り取ったような岩棚が、斜めに傾いたまま延々と続いていた。
右側は切り立った岩壁、左側は深い谷。霧が谷底を隠し、どれほどの高さなのか見当もつかない。
「本当に、これ安全なの?」
「はい。碧衣様が分かりづらいように岩を加工していますが、安全な道が一本続いています」
「私はろくちゃんに乗っているから大丈夫だけど、他の星環機は自動操縦じゃないでしょ……大丈夫なのかしら?」
「はい。岩盤への接触や谷底への落下を防ぐため、安全装置が働いています」
「安全装置って何かしら?」
「人で言う“目”のようなものです。危険を察知すると、自動的に運転補正をかけます」
「ふーん……でも、曹英が心配ね」
「曹英様が操作を誤って谷に向かっても、その寸前で補正が入り、正しい方向に修正します。安心してください」
「そうなんだ……なら安心ね」
そんな話をしているうちに、岩棚が迫ってきた。
ロクが岩棚に乗り上げた瞬間、車体が右に傾く。
身体が横に引っ張られ、思わずロクに抱きつくようにハンドルを強く握った。
刹那、傾いた側が持ち上がり、座面が水平に制御される。
「わ、わわわわわっ……!」
後ろから曹英の悲鳴が響いた。
「てぃあ!これ絶対むり!横に落ちる!落ちるってば!」
「落ちないわよ!落ちたら困るのは私も同じよ!」
琴葉は逆にテンションが上がっている。
「ひゃー!何これ、すっごく右に傾いてるよー!」
「琴葉、インカム切りなさいって言ってるでしょ!」紗良の怒声が飛ぶ。
琴葉のロックモービルにも姿勢制御が働いたようだ。
「あー、つまんない。傾きが直った」
私はすぐ横に見える霧に霞む谷を見て、必死にハンドルを握りしめながらロクに声をかけた。
「ろくちゃん……姿勢制御、大丈夫?」
「問題ありません。右側キャタピラに荷重を集中させ、水平制御も正常です。
ただし、風が強くなると揺れますので、心の準備を」
言ったそばから、谷底から冷たい風が吹き上がった。
霧が渦を巻き、車体がぐらりと揺れる。
「きゃっ……!」
思わず声が漏れたが、ロクはすぐに補正をかけてくれた。
キャタピラが岩を噛む音が、岩棚全体に反響する。
ガガガッ……ガリッ……ガガガガッ……。
霧の向こうに淡い光が見えた。
岩棚の終端が近い。
「星愛様、岩棚を抜けます。視界が開けますよ」
ロクの言葉と同時に、霧がふっと薄れた。
次の瞬間――
視界が一気に開けた。
そこには玄冥原の台地が広がり、建設が順調に進んでいた。
右奥には霊道に通じる位置に、冥府の三女神を祀った白い神殿が形を成し、
温泉保養地の建設も進んでいる。
玄冥原駅には、出発を待つリニアモノレールが静かに停車していた。
山の向こうに広がるのは、果てしない台地。
淡い金色の草原が風に揺れ、遠くには湖のように光る湿地帯が広がっている。
空は高く、霧の上に出たせいか、青さが際立っていた。
後続の仲間たちも次々と岩棚を抜け、歓声を上げる。
「すご……」「広い……」「きれい……」
私はロクから飛び降り、曹英のロックモービルに駆け寄った。
「曹英、大丈夫?」
「へへへ、大丈夫ではありませんよー」
そう言い残し、曹英はロックモービルにへたり込んだ。
その後ろでは、紗良に小言を言われながら頭を掻く琴葉の姿があった。
私は玄冥原の北西にある高台を見て微笑む。
そこには竹の柵に囲まれた庵があり、湯気が陽に照らされて輝いていた。
「ありがとう、碧衣」
私はそう呟き、小さな幸せを噛みしめていた。
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