遠野くん
(どうして、遠野くんがここに……?)
動揺しているのは私も同じだった。
彼も学校の帰りにここへ寄った、というのは何も珍しいことではないのだけれど、まさかこんな場面に居合わせるなんて。
「ちょ……何なんだよ本当に。もしかして、あんたもこの子狙ってんの? わかったわかった。オレは別の子に行くからさ、それでいいだろ!?」
ナンパの人は見るからに焦った様子でそう訴える。
そういえば、遠野くんの家は空手道場だって話を聞いたことがある。遠野くん自身も空手をやっていて、喧嘩が強くて恐い人……という噂を耳にすることもある。
教室でいつも一人でいる彼は、周りの男子たちから恐がられている印象が強い。もしかしたら本当に喧嘩が強くて、気性が荒い人なのかもしれない。
もしも今、このまま殴り合いにでもなってしまったらどうしよう——と内心ハラハラしていると、
「彼女に謝れよ。そしたらこの手を放してやる」
そんな、まったく予想していなかったことを彼は口にした。
私が呆気に取られていると、ナンパの人は心底面倒くさそうな顔でこちらを見て言う。
「え、そんなに嫌だった? ごめんごめん、気づかなくて。ほら、これでいいだろ。もういい加減にしてくれって」
そこでようやく、ナンパの人は遠野くんの手を振り払った。そのまま私を一瞥するなり、ふんと鼻を鳴らして不機嫌そうにその場を去っていく。
「……あ、あの、遠野くん。ありがとう」
私がぎこちなくお礼を言うと、彼は表情一つ変えることなく、こちらを見下ろして言った。
「なんでもっとハッキリ拒否しなかったんだ?」
「え?」
「嫌なら断ればいいだろ。こっちが大人しくしてたら、ああいう奴はどんどん付け上がるぞ」
彼の言う通りだった。
私が何の抵抗もしなかったから、あの男の人は都合が良いとばかりに強引に事を進めようとしたのだ。
けれど、
「その……どう言えばいいのかわからなくて」
私が何を言ったところで、あの人は引かなかったかもしれない。弱々しい声で反論をしたところで、ああいう人はこちらの言葉をねじ伏せてしまう気がする。
「そのまま言えばいいだろ。嫌だって」
「そ、そうかもしれないけど」
遠野くんのように迫力がある人や、お兄ちゃんのようなしっかりした人の話なら、きっと誰もが耳を傾けてくれるだろう。
けれど私は、人と会話をするのが下手で、うまく伝えられないから。
親からはよく話し方のことで注意されるし、気の短い人にはあからさまにイライラされたり、話を途中で遮られることもある。
今だってそうだ。
遠野くんに対して、どう説明すれば納得してもらえるのかがわからない。彼もきっと苛立っている。せっかく助けてくれたのに、恩を仇で返してしまっている気がしてくる。
ああ、私はまたこんなんだ。
いつもいつも、要領が悪くて、人を落胆させてばかりで。
情けなくて、どんどん惨めな気持ちになって、つい泣きそうになってしまう。
そうして俯いたまま黙ってしまった私を見て、遠野くんは一つ大きな溜め息を吐くと、どこか改まったように声のトーンを下げて言った。
「別に責めてるわけじゃないぞ。俺も言い方が悪かった。……要するにさ、自分の気持ちはハッキリ伝えた方がいいぞって、そう言いたかったんだ」