相手の気持ち
「……そっか。私、そこまで考えられてなかった」
自分のことで精一杯で、彼女の気持ちを考える余裕がなかった。これじゃ嫌われて当然だと思う。私は今までずっと、こんな風に彼女のことをないがしろにしてきたのだろうか。
「とにかくさ、まずはあいつと話して、なんで怒ってるのかを確かめるんだ。それで、もししょーもない理由だったら、今度は一ノ瀬が怒ればいい」
すごく遠野くんらしい意見だなと思った。
彼はいつも強くて、真っ直ぐで。物事の本質を見極められる人なんだと思う。
やがて彼は再び私の隣に戻ると、一緒に前を向いて歩き出す。
そうして私の前に広がった神戸の街の景色は、さっきよりも明るく、空も高く、海はどこまでも澄んで見えた。
ここからの眺めって、こんなにも綺麗だったっけ。
坂の下から吹き上がってくる風が、汗ばんだ体をすり抜けていくのが気持ちいい。
「一ノ瀬ってさ、いつも自分に自信がないみたいだけど、なんでそんなに自分のことを低く見ようとするんだ? もっと堂々とすればいいのに」
遠野くんからすれば、私の生き方はきっとすごく効率が悪くて、理解できないものなんだと思う。
「低く見てるわけじゃないよ。だって私、本当に何もできないから。人と話すのも下手だし、何の取り柄もなくて」
「そんなことないだろ」
食い気味に、彼は反論する。
「今こうして、俺と話せてるじゃんか。別に何の問題もねーよ。話すのが下手だって自分では言ってるけどさ、実際には他の奴らとそんな変わらないと思うぞ」
遠野くんとは普通に話せている。受け答えはできている。確かにそうかもしれない。けれどそれは、遠野くんがこうして私に寄り添って会話をしてくれているからだ。
「遠野くんは優しいから……私のペースに合わせてくれてるんでしょ? 他の人との会話だったら、私はいつも置いてけぼりだよ。どのタイミングで口を開けばいいのかわからないし、相槌を打つくらいしかできなくて」
「別にそれはそれでいいだろ。相手の話はちゃんと聞いてるんだし。なのに、なんでそんなに自分を卑下しようとするんだよ。わざわざ気にするようなことなんて何もないだろ?」
「だ、だって。家ではお母さんからよく話し方のことで注意されるし。それに、お兄ちゃんも昔から、私は話すのが下手だって……」
脳裏で、お兄ちゃんの声が蘇る。
——お前は人と話すのが本当に下手だな。
頭の回転が速くて、いつだって人の輪の中心にいるお兄ちゃん。そんなお兄ちゃんが私のことをそう言っていたのだから、これは紛れもない事実なのだ。
「昔から? それって、最初に言われたのはいつだ?」
「いつ?」
最初に言われたときのことなんて、もう覚えてない。私はいつも、家で当たり前のようにそう言われてきたから。
「わ、わかんない……。私は小さい頃からずっと、話すのが下手だったから」
はあ……と、遠野くんが大きな溜め息を吐いて、私は思わず身構える。
私があまりにも無能すぎて、これ以上フォローするのに疲れたんだろうか——と、そう思っていると、
「なあ、一ノ瀬。普通に考えてみろよ。小さい子どもがさ、最初からうまく喋れると思うか?」
「え……?」




