初めての降霊術(一)
瑞英がこれから行う降霊術には、必要なものが鈴以外にもいくつかある。
陣を引くための動物の血、塩や酒など身を清めるもの、太鼓や銅鑼の鳴り物などなど。
宮廷巫女の制度が廃止になった今でも、祭祀に使われることが多いためどれもすぐ宮廷では手に入る。
太鼓や銅鑼の演奏の為、楽士が三人礼部からやって来た。
年配の楽士では、長丁場になった場合体力が持たないからということで、三人とも体力には自信のある若手である。
そうして、もう一つ重要なのが、憑代となる生きた人間である。
楽士はただ言われた通りに演奏を続けるだけでいいが、憑依しやすい人間とそうでない人間というのが確実に存在した。
村で降霊術をするときは、屋敷で働いている下女の何人かにそういう体質の者がいるため、探す手間が省けていいのだが、初めての場所では探すしかない。
帝都にも宮廷にも多くの人がいるのだから、すぐに見つかるだろうと瑞英は軽く考えていたが、これが中々見つからなかった。
礼部でちょうど手の空いている楽士や官吏たちで試してみたものの、どうも上手くいかない。
何人か憑依させることは出来はしたが、一瞬で体から抜けてしまうのだ。
「うーん、困ったなぁ……」
宮廷内で一番人が多い後宮にまで足を運んで、女官や下女で試してみたものの、それも上手くいかず、瑞英は困ってしまう。
(村ではすぐに見つかるのに……)
実は、あの村に適性のある人間が何人も集まっている――という状況の方が珍しいということを、瑞英は知らないのである。
「――まだ見つからないのか?」
準備に時間がかかりすぎてはいないか、と悠信がしびれを切らして声をかけると、後宮の下女たちが色めき立つ。
男装はしているが女である瑞英が、男子禁制の後宮に足を踏み入れることは許されたが、成人してから悠信が後宮へ立ち寄るというのはかなり珍しいことである。
幼少のころは後宮で生まれた他の皇子と、叔父と甥の関係ではあるが年が近くともに遊んでいたものではあるが……
昔から後宮にいる者は、ご立派に成長されて、と涙を浮かべ、後宮へ来て日が浅い者は、悠信のあまりの美しい顔にうっとりとした表情をしている。
「あのお方がもしかして、東宮様?」
若い下女の一人が、興奮気味に他の下女に訊ねると、悠信は射るような視線でその若い下女を睨みつける。
自分のような者を兄上のような尊いお方と間違えるだなんて、なんて不敬だとでもいうように。
顔が美しい分、険しい顔をされると迫力があった。
「……色々と試してはいるのですが、なかなか見つかりませんね」
「どう試すんだ? 宮廷で見つからないなら、帝都中から人を集めようかと兄上と相談していたところなのだが……」
さすがに、瑞英の屋敷から適任の下女を往復で十日ほどで連れてくるよりは、近場で捜した方が早く見つかるだろうと考えてのことだった。
「低級の霊で試しています。わかりやすく言えば、犬の霊ですね」
「犬?」
「左の手のひらを上にして、出していただけますか」
言われた悠信が通り左手を前に出すと、瑞英は悠信の手のひらを指で軽くなぞった。
瑞英の指先には、鶏の血がついており文字のような記号のようなものが描かれる。
「こうやって、陣を体のどこかに描いて、『お使いください、私の体』と唱えるのです」
「お使いください、私の体……?」
そう口にした瞬間、がくんと悠信の首がまるで落ちたように下がった。
(あれ?)
「……ワン」
そうして、急に四つん這いになり、悠信は鳴いた。
「ワンっワンっ」
まるでしっぽを大きく振っている犬のように、鳴きながら瑞英の足元をぐるぐると楽しそうに何度も回る。
先ほどまで悠信の顔の美しさにうっとりしていた女たちが引くほどに、完全に犬になっていた。
しかも、瑞英が止めるまで、何十分も犬として鳴き続けたのである。
「まぁ、こんな身近に適任者がいたなんて! すごい、憑代としての才能がありますよ、悠信様」
ちなみに犬の霊に憑かれている間、悠信の記憶は何もない。
これもまた、憑代として最高の才能である。
* * *
「私が憑代……?」
自分に憑代としての才能があるだなんて、記憶のない悠信は信じられず、戸惑うしかない。
近くで見ていた歩鹿の話によれば、憑かれている間、犬にしか見えなかったらしいが、何も覚えていない。
騙されているのではないかと思ったが、自分の意識を取り戻した時、両膝と両手に謎の泥がついていたのは確かだ。
しかも、歩鹿と違って、余計なことは言わない――どちらかと言えば寡黙な方であるもう一人の背の高い護衛・頼馬にも真顔で「とても演技をしているようには見えませんでした」と言われてしまっては、信じるしかない状況であった。
その一方、東宮殿では着々と降霊術の準備が進む。
部屋の入口を背に太鼓を演奏する楽士が二人と、銅鑼を叩く楽士が二人座り、上座には東宮。
白くて薄い衣に着替えさせられた悠信は、東宮と向き合うように部屋の中央に座らされ、その背後に男装から巫女の衣装に着替えた瑞英が鶏と馬の血が入った小鉢を手に立っていた。
「では、始めましょうか」
始めるといわれても、何をどうしたらいいのかと戸惑う悠信の背中に瑞英の指が這う。
「どわっ!? な、何をする!?」
「すぐに終わります。大人しくしてください」
「し、しかし!」
衣の上から動物の血を塗りたくられているのだ。
こそばゆさと、血で濡れていく感覚が気持ち悪くてたまらない。
陣を書き終わると、次に瑞英は小鉢に残っていた血を口に含み、儀式用の柳葉刀に吹きかけ、空を切る。
それをきっかけに、太鼓と銅鑼が激しく鳴り響いた。