七度目の禁婚令(三)
下女が呼んできた医に診せると、詠心はただの腰痛だった。
以前もやったのだが、つい占いの依頼が立て込んで、ずっと座りっぱなしでいるのがいけないらしい。
瑞英は、ついにボケたのではないかと心配したが、医はそれはないときっぱりと否定した。
このまま占いなんて続けられるわけもなく、しばらく絶対安静でいるようにとのことだった。
「すみません、祖母がこの様子ですので……」
またお越しください、と頭を下げた瑞英。
しかし、皇后と間違えられた男は、このまま帰るわけにはいかなかった。
「ただの腰痛だろう? 話を聞くくらいなら、できないのか?」
「何を言っているんですか! 腰痛だって立派な病気ですよ?」
「それじゃぁ、いつ治るんだ?」
「それは……」
なんとも言えず、瑞英は困った。
口惜しいが袖の下を返すから、とにかく今日のところは帰ってもらうしかない。
ところが、そこへ詠心の看病をしていた下女がやってくる。
「あの、お嬢様、奥様が皆様をお呼びです」
「え? 皆様?」
「ええ、そちらのお三方とお嬢様も一緒に来るようにとのことで」
以前も同じように腰痛で営業が終わってしまったとき、同じように少しだけでもいいからと中々帰ろうとしない客はいた。
その時、詠心は「そんな強情だから、ろくな縁談が来ないんだ」と追い出していたが、今回はどうも様子が違う。
(一体、なんなの? さっきも、皇后様と間違えたし……)
不思議に思って、まじまじと男の顔を見て、ふと思う。
(宮廷から来た、見たことの何色……もしかして)
「ひょっとして、皇后様の親戚の方ですか?」
瑞英は以前、聞いたことがあった。
詠心が宮廷巫女だったころにとても親しくしてくれていたという皇后様の魂は、普通の人間とは別の輝きを放っているのだと。
「親戚……というか、孫だ」
「孫……?」
「……詳しくは中で話そう。どうせ、わかることだ」
そう言って、男は下女に案内されるまま、詠心の寝所がある部屋へ入った。
瑞英も後に続いて中に入る。
すると、詠心は腰痛の為に略式ではあるが頭を下げる。
「このような場所から失礼します。東宮様」
(と……東宮様!? 孫って……確かに、それは、そうだけど……え? これが噂の!?)
「――――いや、私は東宮様ではない」
(違うの!?)
「私は弟の悠信。兄の婚姻の件で、急ぎ、話があって来た」
東宮ではないにしろ、皇族であることに変わりはない。
詠心は自分の予想が外れて、少し驚いたように目を見開いた。
「東宮の婚姻? それなら、つい先日六度目の婚姻が済んだばかりじゃ……」
「四日前に新たに禁婚令が出されたが……知らないのか?」
「四日前? となると、この村では今朝貼りだされたというところですね。私は今日は一歩も外に出てはおりませんので、知りませんでした」
帝都からは離れているため、速馬でもこの村の役所に張り出されるには四日以上遅れる。
悠信達はその触書が王都で張り出された前日に出発していた為、七度目の禁婚令について詠心が知らないのは当然のことだ。
「七度目の禁婚令ということは、六人目の妃にもまた、何か問題があったと?」
最初の妃は病死、二人目は妃選びで不正を働いたことが発覚、三人目は子供がいるのを隠していた……と、どれも妃に問題があってということになっている。
しかし、中にはそんな理由で?と思ってしまうものもあり、本当の理由は東宮にあるのではないか、というのが、宮廷の外では噂されていた。
詠心も、何かあるとは思っていたが、試しに六人目の妃と東宮の相性を占った結果は良縁であった。
こうも禁婚令が何度も発令されては、子玉以外にも婚姻が延期になることが多く、これで一安心だと思っていたのだが……
「……六人目の妃は、自ら命を絶った。東宮と初夜を過ごした後から、まるで人が変わってしまったようにおかしくなってしまって――――」
六人目の妃は、悠信も子供のころからよく知っている娘だった。
いつも元気で、明るく、笑顔が絶えない。
例えるなら、太陽のような娘だったのだが……
「気持ちの悪い蝶が見えると言っていた。羽が人の顔のようだと。しかも、その蝶は夜な夜な恐ろしい声で叫ぶのだそうだ。それ以降ろくに眠ることができず……」
耳をふさいでも聞こえる叫び声。
眠ることができず、やがては起きている間もその蝶が体に纏わりついてくるようになった――――と、妃は訴えたが、誰もそんな蝶なんて見ていない。
叫んでいるというその声も、聞こえているのは妃だけだ。
「後から知ったのですが、その前の妃もその前の妃もみんな、同じようなことを言っていたのだとか。自分が仕えている妃がおかしくなったと思われてるのを恐れて、女官たちは黙っていたようで……」
表向きは公表されている理由で、皆廃妃となっているが、実際は違う。
様々な理由をつけて廃妃となり、実家に戻った後も、その蝶に悩まされて、命を絶とうとする妃が後を絶たなかった。
「これは何か呪詛でもかけられているのではないかと、礼部の方で調べたのだが、結果、何もわからず……とにかくお祓いをしてみようということになった。けれど、そのお祓いをした神官たちが次々と倒れてしまって――――」
詠心の代で、それまで礼部とは別に皇室専門の呪詛の解呪や病を治すための祈祷などをする宮廷巫女の制度は廃止されている。
西方の国から伝わった新しい医学がこの国でも発展し、これまで呪詛や祟りではと言われていたものの多くが、人の手によるものだと判明したからだ。
皇族にかけられているという呪詛も、すでに解呪されている。
宮廷巫女の必要がなくなったからだ。
「宮廷巫女であったあなたであれば、解決できるはずだと伯母上から聞いたのだ。是非、力を貸して欲しい……と、頼みに来たのだが――――その腰痛はいつ頃治るだろうか?」
絶対安静と医から言われている老人を、何日も馬に乗せるわけにもいかない。
振動が腰に来る。
できることなら七度目の妃選びが行われる前に、どうにかして欲しいとここまで来た悠信は、どうしたものかと困った顔をしていた。
また新たな妃に何かあれば、今度こそ問題は東宮にあると思われても仕方がない状態になってしまう。
そうなると、東宮の座から降ろされてもおかしくない。
「兄はすっかり気落ちして、私に東宮の座を譲るとまで言っている。それだけは天地がひっくり返ろうと絶対に嫌なのだ」
眉間に深いしわを寄せ、美しい顔が歪む。
本当に嫌だと顔に書いてあるようだった。
「……なるほど、それなら仕方がないですね。瑞英――――」
「は、はい」
急に詠心に名前を呼ばれ、瑞英は驚いて肩を揺らす。
「あたしの代わりに、瑞英を行かせましょう」
「え!?」
「占いはまだまだ経験が足りませんが、解呪の才能なら、十分あるので問題はないかと」
「ちょっと、お祖母様!?」
瑞英は自分には無理だと拒否したが、詠心は構わず話を進める。
「どうせ、また袖の下をもらってるんだろう? もらった分はきっちり働いて来なさい。あの女を捜すことに無駄な金をかけるんじゃないよ!」
「な、何で知って――!?」
「あたしを誰だと思ってるんだい。元宮廷巫女をなめるんじゃないよ。つべこべ言わず、さっさと準備しな」
「そんな……!!」
かくして、瑞英は詠心の代わりに帝都・長苑に向かうことになった。