第75章 ドラキュラ・カプリッチョ
トランシルヴァニアでハプスブルク家の財力とファン・スヴィーテン博士の機転で封じ込めたドラキュラが復活します。でも、ロンドンで大変な目に遭っちゃいますよ。
「おーい、おまえは誰だ?」
「はい、信恋です。」
「なんだと?ノブコイだと?」
「はい、親父が家計簿、じゃなくて家系図見てたら、信愛ってのがいて、」
「く、あいつか。」
「これ、めっちゃアゲアゲだって。愛は地球を救うとか。」
「もう元ネタがわからねえ。」
「でもって、愛と来たら恋でしょと。」
「昭和のヤンキーマンガの会話だな。」
「と言うわけで、信恋です。よろしくね。」
「わかった、もういい。で、いまは何年だ?」
「1893年です。」
「は?なんでそんな端数の付いた年に?」
「青水さんより上の審級の決定らしいです。酒の勢いで。」
「まあ、そういうことならまあいいいや。」
「では世界の変化についてお伝えします。」
「おう、頼むぞ。」
「いっぱい発明されましたよ。電気、タイプライター、自動車、コダックポケットカメラ、録音機、ウィンチェスター・ライフル、ガトリング砲、自動ピストル、長距離列車、映画、もう数えきれません。」
「工業化社会としては飽和の直前だな。」
「世界情勢としてはイギリスが最強国。」
「くっそー、奴隷貿易をやってたくせに腹立たしいな。」
「でもロンドンの潜入員とインドの潜入員の活躍で、イギリス・インド・清の三角貿易は壊滅させられ、イギリスは国際社会で評判を落としましたよ。」
「奴隷貿易のときと同じじゃないか、阿漕な三角貿易!」
「ええ、潰し方も似ていましたけどね。」
「ジャーナリズムを利用した三角潰し?」
「はい、かつてラナさんたちが編み出した国際的な諜報実力攻撃です。」
「頼もしいな。」
「経済力では日本がイギリスの次ぐらいですかね。」
「植民地を持たないのに善戦しているな。」
「カムチャッカから台湾までが領土なので、資源的に恵まれていますからね。」
「アメリカはどうなってる?」
「西アメリカ、めっちゃ栄えてますよ。東アメリカからたくさんの有色人種の方々が移民としてやってきて、国を盛り上げてくれています。いまは英語が公用語で、太平洋方面に交易の幅を広げています。隣国メキシコや西カナダとの関係も良港で、交易でお互いに欠けているものを融通し合ってウィンウィンの関係を築いています。」
「で、次はどこが潜入先なのか?」
「新たに潜入はしませんよ。ロンドンですから。」
「1893年のロンドンか。ピンポイントだな。」
「ほかの拠点と比べると、ロンドンの拠点は豪華だな。」金時が呟いた。
「17世紀にラナさんという先輩が貴族のご婦人から相続したらしい。」美夜が答える。
「奴隷貿易に自分の一族も関与していたことを知って、懺悔の意味で財産の大半をあちこちに寄贈したそうよ。西アフリカの復興関係とか。」華夜が説明した。・
「で、今回の日本からの指令は何だ?」と新人の金時が尋ねた。
「ロンドンにおけるドラキュラの計画を阻止すること。犠牲者を出さないこと。」美夜と華夜がユニゾンで書状を読み上げた。
「ドラキュラって、18世紀に金竜疾風とハプスブルク家によって封印されたろ?」
「ええ、封印の効力は150年だったから数年前に解けたの。」美夜が説明する。
「で、奴がロンドンへやって来ると?」
「日本からの指令にはそう書いてあった。」
「相変わらず謎の未来予測だな。」
4月25日、ロンドン、キングス・クロス駅。恋人同士と思われる男女が別れを惜しんでいた。
「ミナ、心配しないでくれ。しっかり務めを果たして戻ってくるよ。」と若き事務弁護士ジョナサン・ハーカーが婚約者ミナ・マレイの手を取って言った。
「信じてるわ,ジョナサン。」ミナは気丈に涙を抑えている。
「この仕事を成功させれば、エクセターのピーター・ホーキング氏の信頼に応えることができる。彼は大恩人だからね。」
「私、立派なあなたの妻になれるよう,速記とタイプライティングを頑張って練習します。」
「汽笛が鳴った。行ってくるよ、ミナ!」
「で、ドラキュラはいつロンドンへ来るんだ?」と金時が得物を磨きながら言った。
「わからないわ。それまではおとなしく薬の商売に精を出しなさい。」美夜は冷静だ。
「稼がないとご飯が食べられないからね。」華夜は家計簿を見ている。
4月28日、ミュンヘン、ホテル「四季亭」。
「私に電報だって?」ジョナサンは支配人から紙切れを受け取った。
「はい、トランシルヴァニアからでございます。」
「何々、近郊の山嶺の墓地には近づかぬよう。 By Count Dracula」
「もしお出かけなら、護衛を付けますが。」
「いや、依頼主の忠告に従って、町の外へは出ないよ。」
「では、地元の名店パウラーナーでお食事などはいかがでしょう?」
「ほう、ビール醸造所が経営するビアホールか。期待できそうだね。」
「薬箱の補充に行ってくる。」金時が背中に大きな行商箱を背負いながら言った。
「きょうはどっち方面?」美夜は薬を仕分けしながら訊いた。
「ハムステッドだ。あそこは金持ちのお得意さんがいる地区だ。」
「グッドアフタヌーン!移動薬局です。薬の補充に来ました。」金時は »Westenra »という表札がかかった大きな玄関の呼び鈴を鳴らして来訪を告げた。
「いらっしゃい、待ってたのよ。」上品そうな50代の女性が出迎えた。
「頭痛と動悸がひどいので、薬が切れそうだったの。」
「では補充させていただきます。」
「いつも助かっているのよ。ありがとう。」婦人は代金を渡しながら微笑んだ。
「こちらこそ、いつもご贔屓にしていただいてありがとうございます。」金時は頭を下げた。
5月3日、ビストリッツ(ルーマニア)。ホテル「ゴールデン・クローネ」。
「遅くなってしまったが、まだ夕食はいただけるかい?」ジョナサンは空腹だった。
「はい、当店自慢のパプリカの肉詰めがございます。」支配人はつたない英語で答えた。
「明日ブコヴィナ行きの乗合馬車に乗りたいのだが。」
「はい、チケットは預かっております。」
5月25日、ハムステッドのウェステンラ家。
「すごいわ、ルーシー、1日で3人の殿方から告白されたなんて。」ミナはルーシーの目を見つめた。
「びっくりしたのよ、私も。みんな素敵な方々ばかりで。家同士で長いお付き合いのあるゴダルミング家の跡取りアーサー・ホルムウッドさん、そのお友だちで精神科医のジョン・セワードさん、それからテキサスの大富豪クインシー・モリスさん。お断りするのが心苦しかったけれど、1人に決めなければなりません。私はアーサーの手を取りました。」
「立派だわ,ルーシー。しっかり自分の意見を言えたのね。これからの女性はそうでなくっちゃ。だって、もうすぐ20世紀ですもの。」
8月10日、ホイトビー(ノース・ヨークシャー)。
「来てくれてありがとう、ミナ。」ルーシーは少し青ざめている。
「お母様の静養のために保養地に来たのにあなたが不調だなんて。」
「たぶんただの貧血だと思うのよ。すぐ治るわ。」
「月が綺麗ね。少し散歩しましょうか?」
「ええ、風も気持ちいいし。」
別荘の屋根に大きなコウモリが止まっていた。
8月20日、ブダペスト(ハンガリー)。バプティスト修道会病院。
「あれは悪夢だったのだろうか?オオカミの群れに守られた城の庭。朽ち果てた礼拝堂の棺桶に詰められた瘴気を湛えた土。3人の宙を舞う悪魔のような女たち。出口のない城壁。あ、ああ、あああ!」ジョナサンは病室のベッドで錯乱状態に陥った。
修道女アガサがミナを連れて部屋へ来た。
「しっかりなさって、ジョナサンさん、ミナさんが来てくれましたよ!」
「ジョナサン!ジョナサン!私です!ミナです!」ミナはジョナサンの手を取って呼びかけた。
「ああ、ああ、幻か?それでも良い。死ぬ前に会えて良かった。」ジョナサンは混乱している。
「ジョナサン!ジョナサン!しっかりして!ああ、なんてことでしょう!」
「いまドクターを呼んできます!」アガサが医師を呼びに病室を出た。
9月3日、グレート・イースタン・ホテル(ロンドン)。
「一刻を争う。手順を間違えると大変なことになる。」ヴァン・ヘルシングは緊張した面持ちでセワード医師に語りかけた。
「ルーシーに会いに行くのですか?」
「ああ、彼女の容体を確認しなければ話が始まらない。今すぐ出よう。」
同刻、ウェステンラ邸。美夜と華夜が玄関前に来たとき、黒い影のような獣が館の塀に飛び乗った。そして窓をめがけて跳躍しようとしたとき、美夜の手裏剣が獣の脇腹に命中して獣は館の庭に落下した。その瞬間、屋根に止まっていた大きなコウモリがバサバサと羽ばたきの音を残して飛び去った。美夜と華夜は呼び鈴を鳴らして女中を呼んだ。
「大きな獣が窓に飛び込もうとしていました。」美夜は庭の死体を指さして言った。
「とっさに薬屋協会の護身武器で仕留めましたが。」華夜は苦しい嘘で乗り切ろうとした。
ウェステンラ夫人が出てきて、オオカミの死骸を見て失神しそうになった。美夜は気付け薬で彼女を目覚めさせ、とりあえず安静にするため女中に命じて彼女を寝室のベッドまで運ばせた。
「何があったの?」ルーシーが怯えた様子で現れた。
「オオカミが侵入する寸前でした。」華夜が説明した。
「たぶん動物園から逃げ出してきたのでしょう。」美夜が補足した。
「動物園に連絡して死体を引き取ってもらわなければ。」ルーシーが気丈に言った。
そのときヴァン・ヘルシング教授とセワード医師が辻馬車でやってきた。混乱している現場を見て、教授は「何が起こったのか」と尋ねた。要領を得ない女中たちに代わって、美夜と華夜が状況を説明した。
「これは由々しき事態だ。思ったより展開が早い。」教授は腕組みして考えている。
「立ち去った大コウモリというのが気になります。」セワード医師のカンが冴えている。
「君たちは出入りの薬屋なのか?」教授が値踏みするように2人を見る。
「はい、ご贔屓にさせていただいております。」
「頼みたいことがある。私たちはここを離れられない。薬屋ならつてはあるだろう。オランダのハールレムから大量のニンニクの花をこの屋敷に届けさせて欲しい。ルーシーさん、あなたと母上の命に関わるのです。どうかこの薬屋に仕入れの金を渡してやってください。」
9月5日、ウェステンラ邸。深夜。
大きな羽ばたきとともに巨大なコウモリが屋根に降り立った。だが屋敷に入る手立てがない。操ったオオカミは謎の武器で殺された。コウモリは庭に降り立ち身体を霧に変えた。窓枠の隙間から流れ込むこともできそうだ。とそのとき、霧は実体のドラキュラの姿に戻ってしまい、彼はマントで苦しそうに口を押さえている。
「なんだ、この忌々しい匂いは?身体を組み上げている結合組織が溶けてしまいそうだ。」
ドラキュラはよろめきながら屋敷の外へ出て、コウモリになって飛び去った。
9月22日、ピカデリー(ロンドン)。
ジョナサンとミナが新婚夫婦になって初めてのデートだ。ミナはすっかり回復して頼もしい夫になったジョナサンと腕を組んでピカデリーを歩いていた。街の華やかさが2人を祝福しているようだった。そのとき、ジョナサンの顔が突然真っ青になった。
「あいつだ、あいつがいる。なんてことだ。若返っている。」震えながらジョナサンは20mほど先に立っている長身の男を凝視していた。
「なぜだ、なぜあいつがロンドンにいる?この町を、この国を、あの毒牙で覆う尽くそうというのか?血の呪いでこの帝国を穢し闇に染めようというのか?」
「どうしたの、ジョナサン?顔色が悪いわ。」
「...るものか!させるものか!思い通りにさせるものか!」ジョナサンは拳を握った。
いまにもその男に殴りかかろうとするジョナサンを黒い影が引き止めた。
「おっと、慌てちゃダメですよ。」金時は笑顔で諭した。
「こういうことはしっかり準備しないと。」
「君は誰だ?」
「ウェステンラ家出入りの薬屋です。」
「まあ、ルーシーの?」ミナの顔が明るくなった。
「はい、ルーシー様にもご贔屓にしていただいております。それはそうと、旦那、あやつを退治するならお仲間が必要です。ルーシーさんの家に集まっています。ぜひ行ってあげてください。」
9月25日、メイフェアの屋敷(拠点)。
「ついに出たね、ドラキュラ。」美夜が切り出す。
「勝てるかなあ、私たち?」華夜が少し弱気だ。
「150年前は土木工事で封印したっていう話だけど。」金時も不安がっている。
「あのときはハプスブルク家のえらいお医者さんが頑張ってくれたのよ。」と美夜。
「オランダ人のファン・スヴィーテン博士。」華夜が記録で確認した。
「オランダ人と言えば...」3人の考えが一致した。
「ヴァン・ヘルシング教授!」
「イギリスにいるからヴァンって呼ばれてるけどね。」
「頑張ってくれそうね?」
10月1日、カーファックス(パーフリート、エセックス)。
「良いかね,諸君。あの魔物はトランシルヴァニアから運び込んだ土が命綱だ。その土さえすべて捨ててしまえば、やつはもう力を発揮できず、トランシルヴァニアへ逃げ帰ることすらできないだろう。この精神病院の隣の廃屋、あそこが奴のねぐらだ。おそらく土もそこに運び込まれているだろう。いまから行って運び出すぞ。」ヴァン・ヘルシングは、アーサー、セワード、クインシー、そしてジョナサンを激励して士気を高めた。
同刻、隣の廃屋の屋根。忍び装束の3人。
「教授たちはこれから作戦開始かな?」金時が言った。
「教授たちの中にミナさんも含まれているかな?」美夜は不安になった。
「おそらく病院に残されるわね。女は待ってろって。」華夜が推測した。
「危ないわ。私と華夜でミナさんを守る。」美夜が宣言した。
「なら俺はこっちでおっさんたちを見守るぜ。」
病院内にあてがわれたミナの寝室。廊下のドアが開き、ドラキュラが入ってくる。恐怖に固まるミナ。声も出せない。ベッドに進むドラキュラ。だが進めない。
「レディーにおいたはいただけないわね。」美夜の声。
「動けないわよ。強化版蜘蛛糸だから。」華夜が忍具をきつく絞める。
「ニンニクでも食べるかい?」美夜は何かを取り出した。
「うわ、臭っ!」華夜が鼻をつまんだ。
「摺り下ろしてから一晩寝かせたからね、効果抜群だよ。」
「眠れなくなっちゃうかもよ、おじさん!」華夜は高笑いした。
口から無理矢理ニンニクのすりおろしを流し込まれてドラキュラは悶絶した。
「どうする、こいつ?」美夜はつま先で横たわるドラキュラを突いた。
「そのうち復活するからなあ。」
「まあどうせ復活するでしょうけど、とりあえずニンニクてんこ盛りにして、隣の廃屋の棺桶に突っ込んでおこうかね。」
「じゃあ、ミナさん、私たちはこれで失礼するので、皆さんによろしく。」
10月3日、ピカデリーサーカス、エロス像の噴水前。
「では手分けして,奴が分散して保管している残りの土を探しだそう。セワードくんとクインシーくんは、先回りしてバーモンジーとマイルエンドへ向かってくれ。もし奴が現れたら無理して戦わず,撤退してこちらと合流すること。良いね。残りのわれわれはここピカデリーで最後の砦を見張ろう。」教授は手短に指示を出した。
同刻、ピカデリー347番地、屋敷の屋根。忍び装束の3人。
「来るかな、ドラキュラ?」金時が呟いた。
「来るんじゃない。残りの土はここにしかないんだから。」美夜は確信している。
「先回りして土にニンニクと唐辛子を混ぜておこうか?」華夜が軽口を叩く。
「やめなさい、キムチじゃないんだから。」美夜が真顔で諫める。」
「あ、始まったみたいだぜ。」金時が屋根の煙突から中を覗いて言った。
室内では戦闘が始まっていた。教授を含めて5人の男たちをもってしても、ドラキュラの人間離れしたスピードを止めることはできないようだ。いくつかの切り傷をマントに受けつつも、ドラキュラは木箱を抱えてコウモリになって離脱しようとしていた。
「はい、おしまい!」美夜の蜘蛛糸がコウモリを捕らえた。
「ニンニクのスープで煮込んであげようか?」華夜は相変わらずだ。
「教授たちに引き渡して、正しく処理してもらおう。専門家なんだから。」金時は真面目だ。
「ありがとう、助かったよ。」教授が安心した様子で感謝を述べる。
「君たちの薬屋協会、寡聞にして存じ上げないが、さまざまなスキルを持っているようだね。」セワードは興味津々だ。
「終わったのね?」ミナとジョナサンが駆け込んできた。
「で、教授、こいつをどうするんですか?」金時が訊いた。
「そうだな、2~3日、すりおろしたニンニクを詰めた樽につけ込んでから、胸に杭を打ち込んで首をはねよう。」
「え?!」3人の忍びは顔を見合わせた。
この章は無理矢理挟み込んだ奇想譚です。わりと独立性が高いかもしれません。次回から通常モードに戻ります。




