第65章 森の向こう側の国
いよいよ森の向こう側の国の調査が始まります。
「ねえ、ハンガリーの事件もセルビアの事件も起こった場所なんだけど...」これまでの記録に目を通していたカイアが顔を上げて言った。「二つともルーマニア国境付近だった。」
「国境の向こう側から来た災厄なのかも。」夢火の感は鋭い。
「ルーマニアってどうなっているの?」カイアが誰にともなく尋ねた。
「南部はオスマン、北部はいちおうハプスブルク家が支配している。」夢水が答えた。
「北部なら行けるってことか。」カイアは行く気になっている。
「森の向こう側の国トランシルヴァニアが広がってるよ。」ミネルネも行きたそうだ。
「少なくともヴァンパイアについての情報収集は必要だな。」夢水も同意した。
「フロムバルトさんに相談しましょう。」カイアが決定した。
「というわけで、トランシルヴァニアまで調査に行こうと思います。」とカイアがフロムバルトに言った。
「なるほど、カルパティア山脈か。ここセルビアもなかなかのものだが、トランシルヴァニアはヨーロッパの中で最も文明から離れた土地で、迷信と異教崇拝が渦巻く世界だ。理が通用しない魔界かもしれないぞ。行くのはかまわないが、十分に気をつけるように。」フロムバルトは緊張した面持ちで言った。
「あなたまでがそのようなことを言うとは。」と奥の廊下からスヴィーテン宮廷医師がこちらへ歩いてきながらフロムバルトに対して眉間にしわを寄せて言った。「それではまるで迷信に怯える村人ではありませんか。」
「やあ、面目ない。」
「ところで皆さんに報告すべきことがある。」スヴィーテンは目を見開いて皆を見た。
「私が前に切り取った肉片、あれはもはや有機物とさえ呼べない軽石のようなものでした。それが動いて人を攻撃するとはとても考えられない。そこで私は再びあの檻へ行き、魔物の胸に管を差し込んで心臓から液体を抜き出してみたのです。管から出てきたのは血液と呼べるかどうかわからない黒い液体でしたが、顕微鏡で観察したところ、異常な速度で動き回る微少な球体が認められたのです。赤血球や白血球とは明らかに違う未知の細胞でした。異物なら通常は白血球に捕食されますが、その物体は逆に白血球を捕食して増殖するようです。私はこれがヴァンパイアの本体ではないかと睨んでいます。これがどこから現れて拡散したのか、徹底的に調べ上げなければなりません。そこで...」スヴィーテンは数秒間息を止めた。「そこで私もトランシルヴァニアへ同行します。」
「え?スヴィーテン先生がトランシルヴァニアへ?」ミネルネがユニゾンで驚いた。
「なんか意外。一番合わなそうな人なのに。」夢火は失礼だ。
「怖くないんですか?」夢水はもっとあからさまに失礼だ。
「ご同行いただけるなら、これ以上の心強さはありません。」カイアは礼儀正しい。
「私も身を守るためにそれなるの準備はして行こう。」スヴィーテンは覚悟を決めた。
翌日一行は国境を越えてルーマニアに入り、かつてザクセン人たちが「7つ尾根」と呼んだ山岳地帯に足を踏み入れた。標高が高いので空気が薄い。1日歩いて集落が1つあるかないか、荒廃した様子はないが、そもそも人の手が入った様子も希薄だ。たまに現れる集落でヴァンパイアについて聴き取りが行われた。まだドイツ語は通じた。人々は過去の、あるいは最近のヴァンパイア事件について生々しい記憶を語ってくれた。そして誰もが判を押すように東を指さした。災厄の源は東にあると教えてくれるように。
「で、出たそのヴァンパイアはどうしたの?」カイアが村人に尋ねた。
「犠牲を出しながら追い詰めて胸に杭を打ち込むんでさあ。」
「そして首を切り落として火を放つ、これで万全でさあ。」
村人たちの話によれば、ヴァンパイアに噛まれた人間が必ずしもヴァンパイアになるわけではなく、多くの場合はそこで絶命するだけだが、東へ行けば行くほどヴァンパイア化する確率が増えるらしい。もしこれが疫病のようなものならば、感染の源泉は東にあり、末端になればなるほど感染力は弱まると考えられる。スヴェーテン博士は病を根絶しようと奮戦する医師の顔になっていた。
スヴェーテン博士がだんだん頼りがいがある人になってきた。




