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第一部 二 「霧の巫女」

夜明け前、紫苑神殿の鐘が鳴る。


深い霧に包まれた谷間に、清らかな音が響き渡る。アイリスは静かに目を開けた。


「今日、来る」


少女は確信を持って呟く。昨夜の夢は、いつになく鮮明だった。星々の声が、はっきりと告げていた。扉が開かれる時が来たのだと。


アイリスは身支度を整える。巫女装束の白い衣に深い紫の袴。長い黒髪を丁寧に結い上げ、首飾りの水晶を胸元で整える。その一連の動作には、幼い頃から身に付いた厳かな作法が滲んでいた。


神殿の廊下を歩きながら、少女は昨夜の夢を反芻する。


星々は示していた。東の門から、一人の旅人が訪れる。その者は「星詠み」の力を持つという。伝説の言霊使い、その資質を持つ者が――。


「アイリス様」


廊下の向こうから、老巫女の声が響く。


「おはようございます、カナエ様」


アイリスは深々と礼をする。カナエは神殿の管理者であり、少女の師でもあった。


「また、夢を?」


老巫女は、まるで孫娘を見るような優しい眼差しでアイリスを見つめる。


「はい」

少女は頷く。

「今日、来訪者が――」


「分かっております」

カナエは静かに告げる。

「星々の導きは、私にも伝わっています。さて」


老巫女は、アイリスに小さな包みを手渡した。


「これを」


開いてみると、中には一枚の古い羊皮紙。星辰文字で記された何らかの詠唱が書かれている。


「結界の扉を開くための言霊です」

カナエが説明する。

「来訪者を迎え入れる時に、必要となるでしょう」


アイリスは丁寧に包みを受け取った。その瞬間、水晶の首飾りが微かに明滅する。


「導きの印」

老巫女が呟く。

「全てが、星々の意志の下にあるのです」



その頃、リオンは既に歩き始めていた。


夜明け前に目覚め、簡単な言霊の修練を済ませた後、少年は最後の道のりを進んでいた。星標の示す反応は、これまでで最も強い。目的地が、確実に近づいている。


山道を登り切ったところで、リオンは足を止めた。


目の前に広がる光景に、思わず息を呑む。


深い霧に包まれた谷が、眼下に広がっていた。霧は渦を巻き、まるで生きているかのように揺らめいている。その中心に、古い神殿らしき建物の屋根が見える。


「紫苑の谷」


少年は、思わず声に出す。霧の向こうから、かすかに鐘の音が聞こえてきた。


リオンは、『言霊綴りの書』を開く。谷を包む霧は明らかに結界だ。その中に入るためには、何らかの手段が必要なはずだった。


しかし――。


「待ちなさい」


突然、清らかな声が響く。


リオンが驚いて顔を上げると、霧の中から一人の少女が姿を現した。


長い黒髪を結い上げ、巫女装束に身を包んだ少女。胸元の水晶が、星標と呼応するように光を放っている。


「私の名は、アイリス」


少女は、厳かな声で告げる。


「紫苑神殿の巫女。そして――星々に選ばれし者の一人」


リオンは、言葉を失っていた。


予想はしていた。星標が導く先に、自分と同じ運命を持つ者がいることは。しかし、その出会いがこれほど鮮やかな形で訪れるとは。


「リオン」


少年は、自分の名を告げる。


「天文台より来た、言霊使いの――」


「知っています」


アイリスが言葉を遮る。


「星々が、あなたのことを教えてくれました。『星詠み』の資質を持つ方だと」


少女は、懐から一枚の羊皮紙を取り出す。


「共に」

アイリスが告げる。

「結界の扉を開きましょう」


二人は向かい合って立つ。アイリスが羊皮紙を広げ、詠唱を始める。


「星たちの名において――」


清らかな声が、霧に包まれた空間に響く。リオンは、直感的にその詠唱が導く場所を理解した。少年も、声を重ねる。


「汝らの導きにより――」


二つの声が交わり、共鳴する。周囲の霧が、渦を巻き始めた。


アイリスの胸元の水晶と、リオンの持つ星標が呼応するように輝きを放つ。そして――。


「扉を開かん!」


最後の言葉と共に、霧が大きく割れた。そこに、神殿への道が現れる。


「参りましょう」


アイリスが手を差し伸べる。


「多くの話を、しなければなりません」


リオンは、差し出された手を取った。


この出会いが、自分の運命を大きく変えることを、少年は直感的に理解していた。全ては、星々の導きの下に。


二人は、霧の向こうへと歩を進めた。



紫苑神殿の書庫で、カナエは古い巻物を広げていた。


「全てが、予言通りに」


老巫女は、満足げに頷く。千年前に記された予言が、今まさに現実となろうとしている。


書庫の窓から差し込む光が、不思議な模様を床に描く。それは、まるで星座のような形。


カナエは、静かに目を閉じた。


「始まりの時」

老巫女は呟く。

「全ては、これからなのじゃ」



神殿の門をくぐった時、リオンは不思議な感覚に包まれた。


まるで、異世界に足を踏み入れたかのよう。霧に包まれた空間の中で、時間の流れが違って感じられる。


「この先に」

アイリスが告げる。

「私たちの物語が、待っています」


少女の声には、確かな意志が込められていた。


二人は、神殿の中庭へと歩を進めた。周囲の霧が、まるで祝福するかのように、優しく二人を包み込む。


そうして、新たな章が、始まろうとしていた。



その頃、世界の各地では、他の言霊使いたちも、それぞれの運命の道を歩み始めていた。


北方の針葉樹林では、銀髪の少女が古代の遺跡で何かを発見し。

東の群島では、若き航海士が不思議な航路図を手に入れ。

西の大陸では、修道院の青年が禁書の一節を解読していた。


全ては、より大きな物語の一部。

星々に導かれし者たちの、交差する運命の糸。


その物語は、ここから本格的に動き出す。

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