序 四
世界の歪みは、既に深く進行していた。
その事実を、最も早く察知したのは、古の血を引く者たちだった。
南方の大陸、終わりなき砂漠の深奥に佇む古城で、一人の老賢者が星図を広げていた。
「異変が、加速している」
ラーミス・エル・サイードの声は、重く響く。褐色の肌に深い皺を刻んだ老人は、何度目かの確認を終えると、ゆっくりと立ち上がった。
円形の書斎の壁には、星々の運行を記録した古文書が所狭しと並んでいる。それらは全て、かつての言霊使いたちが残した記録。世界の理を読み解くための、貴重な手掛かりだった。
「報告を」
老人の言葉に応えて、一人の青年が進み出る。
「はい。北方からの報せでは、『星見の塔』に対する襲撃が始まったとのこと」
「やはり、か」
ラーミスは深いため息をつく。
「アルフェウス殿、無事でありますように」
「それと」
青年は続ける。
「各地で、『星の印』を持つ者たちの出現が確認されています」
「何人だ?」
「現時点で、十二の存在が確認できました」
老賢者は、意味ありげに頷く。
「十二の星位」
彼は呟く。
「古の伝承通りの数だ」
ラーミスは、書斎の中央に置かれた水盤に近づく。その中には、特別な水が満たされていた。星の光を集めて生成された、言霊使いたちの聖水。その表面に、老人は枯れた指を触れる。
「見せよ」
静かな詠唱が響く。
「選ばれし者たちの、運命の糸を」
水面が波打ち、そこに幻想的な映像が浮かび上がる。
世界の各地で、星々に導かれる若者たち。
北方の針葉樹林では、銀髪の少女が古代の遺跡を探索していた。
東の群島では、若き航海士が不思議な羅針盤を手に、未知の航路を進んでいる。
西の大陸では、修道院で学ぶ青年が、古い経典の中に隠された真実を見出そうとしていた。
そして――。
「ほう」
ラーミスの目が、特別な光を帯びる。
「アルフェウス殿の跡継ぎが、動き始めたか」
水面に映し出されるリオンの姿。夜明けの光の中、確かな足取りで歩を進める少年。
「あの方の目に狂いはなかったようじゃ」
老賢者は満足げに頷く。
「彼こそが、『星詠み』の資質を持つ者」
「『星詠み』」
青年が驚きの声を上げる。
「伝説の――」
「そうじゃ」
ラーミスは頷く。
「星辰の言霊使いの中でも、最も深い力を持つという存在。星々の真意を直接理解し、その力を正しく導く者」
水面の映像が、次第に拡大していく。リオンの胸に抱かれた三つの巻物が、かすかに光を放っているのが見える。
「だが」
老賢者の声が沈む。
「力は、常に両刃の剣」
その言葉と共に、水面に新たな映像が浮かび上がる。
北方での戦い。天文台を包む不気味な赤い光。そして、その中で毅然と立つアルフェウスの姿。
「既に、彼らも動き始めている」
ラーミスは静かに告げる。
「古の力を求める者たち。創世の言葉を、自らの野望のために利用せんとする者たちが」
映像は次々と切り替わる。
世界の各地で進行する、不穏な動き。
秘密の結社が行う、禁断の儀式。
古代の遺跡から発掘される、危険な遺物。
全ては、一つの目的に向かって収束しようとしていた。
「我々も、行動を開始せねばならない」
ラーミスは決然と告げる。
「『守り人』としての責務を果たすために」
老賢者は、壁に掛けられた古い杖を手に取る。その先端には、星の結晶が埋め込まれている。
「準備を」
彼は青年に命じる。
「各地の同胞たちに連絡を。そして、選ばれし者たちの保護に向かわせよ」
「はい」
青年は素早く応じ、部屋を後にする。
残されたラーミスは、再び水盤を覗き込んだ。
「時は来た」
老賢者は静かに呟く。
「世界の歯車が、大きく回り始める時が」
*
紫苑の谷では、夜明けの光が深い霧を照らしていた。
谷の中央に佇む古い神殿で、一人の少女が目覚める。
「また、あの夢」
アイリスは、長い黒髪を掻き上げながら呟いた。数日前から、彼女は同じ夢を見続けていた。星々が語りかけ、来訪者の到来を告げる夢。
「本当に、誰かが来るの?」
少女は、窓辺に置かれた水晶を手に取る。その中で、星の光が不思議な模様を描いている。
この谷は、古くから言霊使いたちの聖地とされてきた場所だった。谷全体を覆う濃い霧は、外界からの侵入を防ぐ結界の役割を果たしている。この場所に足を踏み入れることができるのは、星々に選ばれた者たちだけ。
アイリスは、代々この神殿を守護する一族の末裔。幼い頃から、言霊の力を扱う修行を積んできた。しかし、彼女の中には常に、どこか埋めようのない空虚があった。
何かが、足りない。
誰かを、待っている。
その想いは、最近になってより一層強くなっていた。
「来訪者……」
少女は、遠い地平を見つめる。霧の向こうに、何かの気配を感じていた。
*
一方、その頃。
「halt!(止まれ!)」
厳しい声が、夜の闇を切り裂く。
天文台の廃墟と化した建物の前で、黒装束の集団が、一人の老人を取り囲んでいた。
「諦めろ、アルフェウス」
集団の首領らしき男が告げる。
「観測器を、渡してもらおう」
アルフェウスは、毅然として答えた。
「それは、できぬ相談」
老人の手には、星見の器が握られている。水晶球の中で、星々の光が激しく明滅していた。
「貴様らには、その力を扱う資格などない」
「資格だと?」
首領が嘲笑う。
「そんなものは、力で勝ち取るものだ」
黒装束の男たちが、徐々に包囲網を狭めていく。彼らの手には、不気味な輝きを放つ武器が握られていた。
「おやおや」
アルフェウスが、意外なほど穏やかな声で告げる。
「見たところ、汝らは『禁書』の力を使っているようじゃな」
「よく分かるではないか」
首領が不敵な笑みを浮かべる。
「そう、我々は既に古の力を手に入れた。星辰の言葉など、もはや必要ない」
「愚かな」
老人は嘆息する。
「禁書の力など、所詮は歪んだ模倣にすぎん。本来の姿から逸脱した力は、必ず使用者を滅ぼす」
「黙れ!」
首領が短剣を突き付ける。
「説教は聞き飽きた。さっさと観測器を渡せ。でなければ――」
その時、アルフェウスが静かに目を閉じた。
「やれやれ」
老人は呟く。
「こうなることは、予測していたがな」
突如、星見の器が眩い光を放ち始める。その光は、まるで星々の力そのものが具現化したかのように、闇を切り裂いていく。
「なっ!」
黒装束の男たちが、思わず目を覆う。
「見よ」
アルフェウスの声が、厳かに響く。
「これぞ、真なる星辰の力」
光は、渦を巻きながら拡大していく。それは、かつて言霊使いたちが、最後の手段として用いた禁忌の術。使用者の生命力と引き換えに、星々の力を解き放つ技。
「バカな!」
首領が叫ぶ。
「自殺行為か!」
「星見の器は」
老人は微笑を浮かべる。
「我が命と共に、消え去るのみ」
光は、天文台全体を包み込んでいく。
「さらばじゃ」
アルフェウスの最後の言葉が、静かに夜空に溶けていく。
「リオン、後は頼んだぞ」
そして――。
眩い閃光が、夜の闇を引き裂いた。
*
その光は、世界の各地で目撃された。
古の力を知る者たちは、その意味を理解していた。
新たな時代の幕開けを、告げる光として。
選ばれし者たちの戦いが、始まろうとしていた。
星辰の言霊使いたちの、新たな物語が。
(序章・完)
リオン出立のシーン:画像生成プロンプト(適当に画像生成AIに投げてみてください。Bing image creator DALLIE-3 おすすめ)15歳にしちゃ幼い。Geminiでも画像にできます。
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画像生成:A solemn front view of a young boy Rion (15, blue eyes, silver-white hair) running forward with tears streaming down his face, determined expression, wearing a simple tunic and carrying scrolls, illuminated by the crimson glow from behind, dramatic lighting with a massive astronomy tower engulfed in mysterious red light and explosions in the background, moonlit night sky with visible stars, cinematic composition, Studio Ghibli style, highly detailed, emotional atmosphere