5 義兄妹の日課
ここ数日で使用人たちから聞いた情報を整理してみる。
クロエは甘え上手で、特にレオンとヨハンに対してその才能を存分に発揮していたらしい。
性格は、若干ナルシスト気味な一面もあり、自分磨きには余念がなく、美しいものには目がないとか。
さらに、彼女は何事にも凝り性で、一時期はダンスや芸術鑑賞に夢中になっていたそうだが、最近ではその情熱が占いに向けられていたようだ。
「うーん、知れば知るほど、私と違い過ぎて……」
頭を抱えてしまう。ダンスなんて経験はないし、芸術鑑賞も嫌いではないけど、凝るほど熱中したことはない。ナルシスト気質なんてもっと無理がある。
「美しいもの好きだから、この顔も美しく保っていたということ?もしかして、この美少女顔はクロエの努力の結晶なのかしら?」
鏡に映るクロエの顔をじっと見つめ、頬をつついてみる。十代特有の瑞々しく弾力のある肌の感触がする。この世界には成分の良い基礎化粧品なんてないから、これが努力の賜物なのかもしれない。いや、規格外の美少女だから元からの可能性もあるけど。
「とにかく、美容の維持はがんばれても、なりきるのは無理かも……もう開き直るしかないか」
いっそのこと、「記憶喪失後の性格の変化」という設定を前面に押し出してしまったほうが楽かもしれない。
それに、今はクロエになりきることよりも、ストーカー問題を解決するほうが最優先だ。余計な負担はできる限り排除していきたい。
そして、肝心のストーカー問題は――
「やっぱりお父様から貰ったリストぐらいじゃなにもわからないか……」
そもそもストーカーというぐらいだから、表立ってクロエと関わっていた人物ではない可能性が高い。クロエは美少女なので、知らないところで思いを寄せられているかもしれないけど、そういう気配はなにも感じられなかった。
「まあ、思いを寄せられている反対で、勝手に恨みを買ってる説もあるかも……」
ふと、窓の外から馬の嘶きが聞こえる。そちらに視線を向けると、ちょうど屋敷の門前でレオンが馬から降りる姿が見えた。
「いけない、もうこんな時間だったのね」
時計を確認すると、思っていた以上に時間が経っていたことに気付く。慌ててリストやメモを引き出しに仕舞ったところで、部屋の扉がノックされた。
「ただいま、クロエ」
「お帰りなさい、お兄様」
レオンが微笑みながら部屋に入ってきた。
毎日、レオンは帰宅すると真っ先にクロエの部屋を訪れる。この習慣を最初に知ったときは驚いた。しかも、形式的な挨拶だけでは終わらず、その日一日、クロエがどのように過ごしたのか、困ったことはなかったかを事細かに尋ねるのだ。なんとも仲の良い兄妹だと感心したものだ。
「今日は何をしていたんだ?」
「今日は厨房をお借りして、パウンドケーキを作ったのよ。夕食のデザートに出してもらうよう頼んだから、お兄様にもぜひ食べてほしいわ」
「クロエの手作りだって?それは楽しみだ。いつの間にそんなことを覚えたんだ?」
転生前の趣味でした、なんて言えるはずもない。私は「なんとなく新しいことに挑戦してみたくなって」と笑顔で答えて誤魔化す。
「クロエは手先が器用だからな。刺繍が得意だっただろう?きっと菓子作りも上手だろうな。楽しみにしてるよ」
凝り性のクロエなら、得意の範囲を超えてそうだけど……。とはいえ、刺繍はいつか挑戦してみるのもいいかもしれない。なにかを作るのは元々好きな方だし。
「それで、お兄様は今日は一日どうでした?」
私の話がひと段落すると、自然と次はレオンの番になる。
「今日は久しぶりに書類仕事が山積みで、体がまったく動かせなくて苦痛な一日だったよ。アレクシス殿下がすぐに書類を溜め込むからな……」
「ふふ、それはお疲れさま。でも、全部終わらせたのでしょう?」
「まあな。とても疲れたが、こうやってクロエに愚痴を聞いてもらうと、少しスッキリする」
「お兄様ったら……」
肩をすくめて笑うと、レオンもふっと口元を緩めた。
この短いやりとりにも、どこか温かい空気が流れているのを感じる。
最初は、この日課が不思議で仕方なかった。ただ仲が良いだけの兄妹がここまでするのかなと思ったりして。正直、クロエの日常を監視しているかのようにも見えたし、何か裏があるのではないかと勘ぐったこともある。
けれど、それも最初のうちだけだった。日が経つにつれて、私はこの時間を待ち遠しく思うようになっていた。
レオンの話は聞いていて楽しく、なにより興味深いことが多かった。そもそもこの世界は私にとってはゲームの世界。その世界の仕組みや日常の細部を知ることは、ゲームの設定集を見ているような感じで楽しい。だから思わず会話にのめりこんでしまうことも多かった。
「毎日こんなふうにお前と話せるのが、俺のささやかな楽しみなんだ」
ふとレオンがそんなことを言ったことがある。
レオンもまた、この時間を楽しみにしてくれていることがわかり、最初に勘ぐった自分を反省した。そして今では、このひとときをとても大切にしている。
もしかしたら、かつてのクロエも同じように感じていて、この時間を受け入れていたのかもしれない。
私は過去のクロエにはなれない。それでも、レオンは変わらず今のクロエも大切にしてくれている。それなら、私にできる形でレオンに兄妹孝行してあげたら……と思うようになった。
そんなことを考えていると、レオンが少しだけ表情を緩めて言った。
「まあ、明日から騎士団の剣術大会が始まる。思いっきり暴れられるからよしとするよ」
本当に書類仕事に参っていた様子のレオンが、伸びをしながらどこか嬉しそうに言った。
「剣術大会?」
「ああ、毎年この時期に行われるものだ。ここで勝ち抜いた者は団長候補や聖騎士候補に選ばれるんだ」
「でもお兄様って……」
そう言いかけて口をつぐむ。もうすぐ聖騎士になると聞いていたし、ゲームの中では確かにそうなっていた。気のせいだったかな?
「俺はすでに聖騎士になることは確定している。だから今回は特別枠での参加になる」
「特別枠!ちなみに大会ということは、誰でも見学できるの?」
「この時期のお祭りみたいなものだからな。一般、関係者問わず、見学者たくさん来てにぎわうよ」
見学者がたくさんいて賑わうか……。
人が多い場所に出れば、ストーカーがアクションを起こしてくるかもしれない。それになにかが起こっても周囲は騎士もたくさんいるだろうし……。
「私も行ってもいい?」
その一言に、レオンは少し驚いたような表情を見せる。そして、困ったように眉を寄せた。
「どうした急に。今までそんなことに興味を示さなかったじゃないか」
やっぱり、興味なかったか……。
それなら、さっき考えていた「記憶喪失後の変化」作戦を早速実行してみようかな。
「お兄様も感じていると思うけど、私、記憶を失ってから考え方が変わったみたいなの。いろんなことを知りたくて……」
レオンはなるほどというように頷いた。よかった、これに関してはクリアできそう。
「それはわかる。だがな……騎士団は荒くれ者ばかりで危ない。お前は家にいたほうがいい」
「見学するだけなのに危ないの?それに一般人もたくさん来るのでしょう?お兄様の勇姿を見てみたいわ」
私は少しレオンの前に身を乗り出して、できるだけ可愛らしくお願いしてみる。申し訳ないけど、こういうことに関してはクロエ本来の武器を使っていくほうが早い。
ここ数日、レオンと接していて気付いたけど、彼はクロエの「お願い」にとても弱い。クロエは甘え上手な性格と聞いているけど、レオンの反応を見ると、クロエが上手いのではなく、レオンが弱すぎるだけにも思える。
とにかく、その反応を観察しながら、追い打ちをかけるように言葉を重ねた。
「ねえ、お願い。お兄様の応援をしたいの」
レオンはしばらく視線を泳がせた後、深いため息をついて頭をかいた。
「……分かったよ。でも、絶対に一人では行かないこと。必ず従者を連れてくるんだ」
「もちろん! 約束するわ」
満面の笑みで応えると、レオンの顔がほんのり赤く染まったように見えた。その表情が何とも愛らしく感じてしまう。
とにかくこれで、ストーカーが本当にいるのなら、この剣術大会で何らかのアクションに遭遇できるかもしれない。
(どうか手がかりを掴めますように――!)
心の中でそう祈りながら、私は新たな計画を頭の中で練り始めた。