32 残酷な選択
屋敷への帰路、馬車の中は重苦しい沈黙に包まれていた。
息が詰まりそうな空気の中、レオンは時折何かを言いたそうにこちらを見ていたが、結局最後までその口を開くことはなかった。
屋敷に到着すると、彼は無言のまま私を部屋まで送り届けてくれる。しかし、私が部屋の扉に手をかけた瞬間、それまでの沈黙を破るようにレオンが意を決したように口を開いた。
「少し話したいことがある」
その言葉に一瞬驚いたものの、私は静かに頷き、彼を部屋に招き入れる。
ソファに腰を下ろすと、レオンも隣に座り、そっと私を抱き寄せた。彼の温もりが、張り詰めていた心を少しだけほぐしてくれるように感じた。
「馬車の中でずっと考えていたんだ……。こんな状況で言うのは不謹慎かもしれないけど……」
慎重に言葉を選ぶレオンの様子は珍しく、話すたびに言葉が途切れがちだった。その迷いを浮かべた表情に、私は静かに言葉を促す。
「うん……聞かせて」
私の返事を受けた彼は、しばらく黙り込んでいた。しかしやがて、覚悟を決めたように再び口を開く。
「正直に言うと……妹を好きにならなくてよかった、と思っている。俺が好きになったのは、ミナなんだって、ようやくわかった気がする」
その言葉に宿る複雑な感情が、痛いほど伝わってくる。レオンは私を強く抱きしめ、続けた。
「俺は、ミナのためなら何だってする。お前は、どうしたい?」
――どうしたい?
――元の世界に帰りたい?それとも、このままレオンの傍にいたい?
だけどその問いに答えることは簡単ではなかった。どちらを選んでも重い犠牲が伴う気がして、私は言葉を紡げずにいた。
これはクロエの体だから、本当のクロエに返すべきだろう。それがきっと正しい――
そう思いながらも、レオンのぬくもりを失いたくない自分がいる。それが私のエゴだとわかっていても、その思いを消せなかった。
ふと、頭の中に疑問がよぎる。そもそもクロエに返したところで、私は元の世界に帰れるのだろうか?元の世界の私は――
思考を巡らせた瞬間、車の衝突音、視界が暗転する感覚、事故の状景が鮮明にフラッシュバックした――
「……っ……!」
思わず胸を押さえた私を見て、レオンが慌てて肩を支えた。
「クロ……いや、ミナ!大丈夫か!?」
その声に、私はようやく現実へと引き戻される。震える手を必死に押さえつけながら、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「……私……戻れない……ここに来る前に……死んだと思う」
私の言葉にレオンが衝撃を受けたのがわかった。彼の手に力がこもり、私の肩をしっかりと掴む。その力は痛みを伴ったが、不思議とそれが私を現実につなぎとめるようにも感じられた。
しばらく沈黙のあと、レオンは重く口を開いた。
「薄情な人間だと思われるかもしれないが……」
そう言ってなにかに迷うように一拍置いたあと、意を決したように言葉をつづける。
「俺は……クロエより、お前を救いたい。ミナと一緒にいたいんだ」
彼の真剣な声に、思わず彼の顔を見上げる。
「レオン……それって……」
レオンも同じ気持ちでいてくれた?
問い返す私の声は震えていた。レオンは私の目をしっかりと見つめながら続けた。
「帰る場所が無いのなら、このままクロエの中にいればいい、いや、いてほしい」
レオンは私の肩をつかんだまま、すがるようにした。レオンの決意のこもった言葉に、私は一瞬息を呑んだ。
「でも……それじゃあ本当のクロエは……」
「覚悟の上だ。……俺はミナのほうが大事だ」
私は不謹慎にも、レオンがそう言ってくれたことが嬉しいと思ってしまった。
だけどそれはあまりにも罪深く身勝手な感情だとわかっている。
「……レオンの気持ちは嬉しい。でも、ごめんなさい。今、頭の中がぐちゃぐちゃで……なんて言えばいいかわからない」
その言葉を絞り出すと、レオンはさらに私を強く抱きしめた。
「俺もだ……」
私たちは何も言えなくなり、ただ黙って抱き合った。静寂の中で、お互いの鼓動だけが響いていた。




