30 異世界転生のこと
「……別人?」
訝しげに問いかける声が、空気を震わせた。その声の硬さに、私の心臓はますます強く打ち始める。
「どういうことだ?」
その声には、不信感と困惑が露わだった。レオンの鋭い視線が私を貫くように向けられているのを感じる。しかし、私は彼の目を見る勇気がなく、ただ両手を強く握りしめ、俯いたまま身動きが取れなかった。
そんな私の様子には気づかないかのように、占い師はゆったりとテーブルの上に置かれた紙を手に取る。その上には精密な魔法陣が描かれていた。占い師はそれをじっくりと眺めた後、満足そうに微笑む。
「ふむ……貴女、いえ、以前のクロエさんが描いた魔法陣は、実に見事な仕上がりです。正直、術が成功するとは思っておりませんでしたが、彼女はこの方面の才能もあったのかもしれませんね」
その余裕ある口調と態度に、レオンの苛立ちは明らかに増していった。彼はテーブルを軽く叩き、不満を露わにする。
「そんな悠長なことを言っている場合じゃないだろう!どういうことなのか、はっきり説明してくれ!」
その激しい声に、私は肩を震わせる。しかし、占い師は微動だにせず、穏やかな表情で私に目を向ける。
「私から説明してもよろしいでしょうか?」
占い師の瞳には、全てを見透かしたような光が宿っている。その視線にさらされると、かえって心が焦る。隠し通すことができない状況であることは理解している。それでも、何をどう説明すれば良いのかが分からない。
悩んだ末、私は占い師に全てを任せることにし、わずかに頷いた。
占い師は私の意思を汲み取り、静かに口を開いた。
「……クロエさんは、おまじないの力を借り、確実にかわって愛を得たいと願いました。正直古いおまじないでしたし、読み解いていくうちに、結果として超常現象を起こすものでしたので、私も半信半疑で彼女に魔法陣の描き方を教えました。しかし彼女は見事成功させ……その結果として、異なる魂がクロエさんの身体に宿ったのです。交代するように」
――異なる魂――
私がクロエに転生したことを指しているのだろう。だけどそんな…非科学的なことを、「そうなんですね」と簡単に信じられるわけがない。まあ、転生自体が非科学的なんだけど……。
「異なる魂……だと?クロエは魔法を使えない。そんな馬鹿げたことができるわけ……」
「ですから超常現象と言ったのです。信じがたいのは分かります。しかし、まじないや魔術とは常識では計り知れないものなのです。実際、クロエさんの変化がその結果を証明しています」
占い師が私を見つめて言った。
超常現象――確かにその通りだ。むしろ突如として異世界転生したのではなく、ちゃんと理由があったことに納得はできたけど……。
レオンは拳を強く握りしめ、しぼりだすように言った。
「つまり……記憶を無くしたのではなく、まったく別人がクロエの中にいると?」
その問い詰めるような声が、私の胸に刺さる。否定するべきなのか、認めるべきなのか。その答えを見つけられないまま、私はただ唇を震わせ、うつむくことしかできなかった。
その沈黙が、答えであることをレオンは悟ったようだった。
占い師が私の様子を見て、問いかける。
「ですが、私にもわからないのは、今の貴女はどこから来たのですか?」
私はびくりと体を震わせた。
部屋に張り詰めた緊張感が漂う。うつむいていてもレオンの視線もこちらに向いているのがわかる。
「……こんな話、自分でも信じられないので、皆さんに信じてもらえるかはわかりませんが……」
震える手を膝の上で握りしめながらそう言うと、レオンの手がそっと私の手に重なった。レオンから伝わるぬくもりは、血の気の引いた私の体にじんわりと伝わり、安心感を与えてくれる。
「もうすでに信じられないことだらけだ。だが、お前の言うことは信じる。だから、説明してくれるか?」
レオンの声は優しく、その表情には、私を受け止める覚悟がにじんでいる。
私はその言葉に救われるような気持ちになり、小さくうなずくと、ゆっくりと口を開いた。
「私はこの世界の者ではありません。異世界から来ました」
私の言葉に、レオンの目が驚きで見開かれるのが分かった。占い師も一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに興味深そうな笑みを浮かべ、問い返す。
「異世界から…?」
「はい。目が覚めたら、クロエの体になっていましたが、元々は『日本』という国で暮らしていた、上条美菜という普通のOLでした」
「カミジョウ…?オーエル…?」
レオンが不思議そうに問う。
「すみません。名前はミナのほうです。OLは元の世界の言葉ですね。えっと……、社会人?会社員?とにかく、成人して仕事をしている女性です」
「なるほど。異世界の言葉ということですね」
占い師は好奇心を抑えきれない表情で言った。レオンは困惑した表情を浮かべて黙っている。
そのまま私は慎重に言葉を選びながら、自分がどうしてここにいるのかを語った。日本での日常や、自分のこと、そして気付いたらクロエとして目覚めていたことまでを。
占い師は私の話を聞き終えると、目を輝かせて声を上げた。
「実に素晴らしい!異世界転生の類は理論としては存在しますが、こうして現実に出会えるとは……」
その言葉に、私も少し安堵した。少なくとも占い師は私の話を真実として受け止めているらしい。だが、隣にいるレオンは全く別だった。
「異世界……?そんなものが……」
レオンは絶句した様子で、呟くように言った。その顔には困惑と動揺が色濃く滲んでいる。だがやがて、納得せざる得ないというような感じで首を振り、深いため息をついた。
「……確かに、お前があまりにも変わりすぎていた理由が、その異世界転生というものが原因なら納得はできる。だが……」
レオンは迷うように言葉を切り、しかし意を決したように口を開いた。
「だったら……元のクロエはどうなったんだ?」




