21 クロエの日記
レオンと過ごす日々は甘美そのもので、幸福に満ちていた。その感情に相反するように、胸の奥底には漠然とした恐怖が芽生え始めていた。
――クロエはストーカーに襲われて死ぬ運命――
何一つ解決していない状況に、この幸せには終わりがあるという、焦燥と恐怖が私を苛んでいた。
その感情は日に日に現実味を帯び、屋敷を一歩出ることすら恐ろしく感じるようになった。リリアナの家に顔を出すこともできず、私は次第に自室に閉じこもるようになった。
(動かなければ何も変わらない……それは分かってる。でも、部屋から出るのが怖い……!)
誰もいない部屋で、ソファの上に膝を抱え込む。窓の外は青空が広がり、庭師や使用人たちの声が微かに聞こえてくる。何の恐れもなく自由に外を歩き回りたい。それなのに、足が竦んで動けない自分がもどかしい。
ぼんやりと窓の外を見つめていると、ふと視線は窓の横の本棚やドレッサー周りを捉えた。毎日見慣れている光景だけど、実はそこに並ぶもののほとんどには触れたことがない。なぜなら記憶を失う前のクロエの私物――それらには極力手を触れないようにしていたから。過去の彼女のプライバシーを侵すようで、どうしても気が引けてしまっていたのだ。
だけど、ふと気付く。
(もしかしたら、この部屋の中にも何かヒントがあるかもしれない)
何気なく目をやった本棚や引き出しに、ストーカ事件に繋がる鍵が隠されているかもしれないという考えが胸をよぎる。
(私はクロエのことをなにも知らなさすぎるから……)
表立った交友関係には怪しそうな人はいなかった。だけど見えないところでは?クロエしか知らないことを私は知らない。それを知ろうとしていなかった。
「そう、例えば、日記とか……」
そう呟きながら、私は室内を調べる決意を固めて立ち上がった。
引き出しや棚を一つ一つ開けていく。しばらくして、本棚の奥に、本で隠すように置かれた箱が目に留まった。
箱を取り出してみる。それは宝石箱のようにも見えるが少し大きめで、どちらかというと道具箱のような雰囲気だった。側面にはアンティークな装飾が施されており、重厚な雰囲気があったが、鍵はかかっておらず、簡単に開くことができた。
中を覗くと、タロットカードのようなものや、色とりどりの天然石、お守りのようなアクセサリーが丁寧に収められていた。
「クロエの私物よね……?占いに凝っていたみたいだし、その関連のものかしら……ん?」
箱の中身をすべて取り出して空にすると、箱の底が不自然に盛り上がっていることに気づいた。
「これ、二重底……?」
そっと底を開けると、現れたのは数冊の冊子だった。表紙には繊細な花柄が描かれており、一番底にあったものは経年を感じさせる色褪せがあった。私は一番古そうな一冊を手に取り、恐る恐るページをめくる。そこには、見覚えのある筆跡がびっしりと並んでいた。
「やっぱり日記だわ……!」
日記だからこそ、こんなふうに隠されていたのだろうと納得しながら、私は中身を読み進めることにした。
最初の数ページには、家族や使用人、友人たちと過ごす平穏な日常が綴られていた。年頃の少女らしい無邪気な記録に安心しながらページを進めていく。
しかし、やがて――。
「……ヨハンのことばかりになってきたわね?」
日記の内容は、ヨハンとの出来事を中心にした内容になってきていた。家族の記述よりも圧倒的に頻繁に登場している。さらに読み進めると、ヨハンへの思いが溢れ出すような、熱を帯びた文章が目立ち始める。それは、純粋で真っ直ぐな感情に満ちていたが、同時に強い執着心を感じさせるものだった。
「これって……どう読んでも……」
――クロエはヨハンのことが好きだったのでは?――
だけど、クロエはレオンと恋人同士だったはず。これは二人が付き合う以前のことなのだろうか?
胸騒ぎを覚えながら、私はさらにページをめくっていった。
 




