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2 夢じゃない

 翌朝。

 目を覚ますと、体調はすっかり回復しているのを感じた。同時に、窓の外から差し込む柔らかな陽光と遠くから聞こえる鳥のさえずりが、この異世界が現実であることを否応なく実感させた。


「やっぱり夢じゃない……か」


 ベッドの上で小さくつぶやき、うなだれていると、部屋のドアがノックされ、重厚な木製のドアの向こうから一人の女性が現れる。

 黒と白を基調としたエプロンドレスに身を包んだその姿は、一目で「メイド」とわかる格好だった。すらりと背が高く、端正な顔立ちに、一見するとクールな印象だが、一礼したあとに見せた人懐こい笑顔が可愛らしかった。


「お嬢様、失礼いたします。お加減はいかがでしょうか? 皆様、大変心配されておりましたよ」

「心配をかけてごめんなさい。この通り、なんとかよくなったわ」


 そう答えると、彼女は嬉しそうに微笑みを返してくれた。その後、使用人たちがどれほど自分を心配していたかを聞かされた。


(そうだ、大事なことを確認しなきゃ)


「ごめんなさい。まずあなたの名前を教えてくれるかしら。もう聞いているかもしれないけれど、私、記憶がなくて……」

「私はマリアと申します。クロエ様付きのメイドです。お嬢様がすべてを忘れられてしまったのは寂しいですが、改めてよろしくお願いいたします」

「忘れてしまってごめんなさい。でも改めて仲良くしてくれると嬉しいわ」

「もちろんです!」


 彼女の明るい返事に少しだけ救われた気持ちになる。レオンも、母も、そしてマリアも、こんなに良い人たちを悲しませるのは辛い。でも、こうなってしまった以上、関係を一つずつ再構築していくしかない。


「あの……。私は今、何歳か教えてくれる?」

「十六歳です」

「そう……」


 設定では、クロエはレオンの三歳下だったはず。つまり、レオンは――


「それじゃあ、お兄様は?」

「十九歳です。あと数ヶ月で二十歳になられ、正式に聖騎士になる予定ですよ。今からとても楽しみです!」


 マリアは嬉しそうに答えた。聖騎士の地位が特別なものであることは、ゲーム内でも語られていた。使用人たちにとっても誇らしいことなのだろう。

 だけど、私が注目していたのは別の点。ゲームのレオンは二十一歳。そして、クロエが命を落としたのは約半年前という設定だった。


 つまり――

 クロエが殺されるまで残された時間は、もう……一年もない?


 その現実に思わず息が詰まる。焦燥感と絶望が胸を締め付けた。


「お嬢様? お顔の色が優れませんが、大丈夫ですか? まだご気分が悪いのでしょうか?」

「あ……ごめんなさい。大丈夫よ。少しめまいがしただけ」

「まあ! 大変です。お医者様をお呼びしましょうか?」

「いいえ、本当に大丈夫。ありがとう。でも、もう少しだけ横になるわね」

「それが良いですね。消化に良いお食事をご用意しますので、目が覚めたらお呼びください」

「ありがとう。助かるわ」


 マリアは優しい笑顔を浮かべ、静かに部屋を出ていった。


 一人になると、絶望感が押し寄せてきて、私は身を震わせた。

 ただでさえクロエの体を乗っ取ったようになってしまい、どうすればいいかわからない状況なのに、すぐそこに死が迫っている。混乱しそうになる思考を必死で整理する。

 本来のクロエの人格や記憶がどこに行ったのか、私が元の世界に戻れる可能性はあるのか。気になることは山ほどある。

 だけど、すべては命あってのものだ。まずはストーカーのことを調べて死を回避しないと。


「とはいえ、なにから調べればいいの……」


 考え込んでいると、再び部屋のドアがノックされ、今度はレオンが部屋に入ってきた。


「クロエ、入るぞ」


 彼はベッドに横たわる私の顔色を見た途端、驚いたように駆け寄ってきた。


「どうした? まだ具合が悪いのか?」


 心配そうに覗き込む彼の瞳には、昨日と同じく冷たさの欠片もない。


「大丈夫……ありがとう、お兄様」


 クロエの死について考えていたとは言えず、誤魔化すように答える。

 レオンは椅子に腰を下ろすと、そっと私の頭を撫でた。その手の暖かさに、安心感とともに、なぜか漠然とした不安も胸に湧き上がった。


「お前が階段から落ちたとき、心臓が止まるかと思った。本当に無事でよかった」

「……助けてくれたのは、お兄様だったの?」

「ああ。たまたま早く帰宅していて、階段の上にお前がいるのが見えたんだ。それで声をかけようとしたら――」


 彼はその時を思い出したのか、拳を握りしめ、顔を曇らせた。


「お前が動かなくなった姿を見たとき、本当に息が止まりそうだったよ。冷たくて、呼吸しているかもわからなくて……」


 その声はわずかに震えていた。


「お願いだから、自分をもっと大切にしてくれ。お前がいなくなるなんて、考えただけで耐えられない」

「お兄様……」


 クロエを失い心を閉ざしたレオンの姿をゲームで知っているだけに、彼の言葉に込められた想いが痛いほど伝わってくる。


(この短い時間の中で、クロエはとても愛されているということが十分わかったわ。そんなクロエが死ねば、レオンだけではなく、母もマリアも…色んな人が悲しむのが目に浮かぶ……)


 今この世界で、私だけがこれから先に起こる未来を知っている。

 だからこそ、私なら皆が悲しむ未来を回避することができるかもしれない。

 なにより、私も死にたくない。


( なんとしても、この悲劇を回避しないと!)


 私はそう強く決意した――


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