表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/51

19 様子がおかしい

 馬車はどんどん屋敷から離れていく。仕方なく私は改めてヨハンのほうに向き直った。


「ヨハン、急に連れ出すのはやめてほしいわ。 私だって予定があるのよ」

「さっきリリアナ嬢のところに寄ってきたけど、リリアナ嬢は領地へバカンスに出かけているんだろう?それならクロエは暇じゃないかい?」


(なんでそんなこと知ってるのよ!というか私だってリリアナと遊ぶ以外にも予定はありますー!)


 ……なんて、そんな虚しいことを反論してもヨハンには響かないだろうと思って黙る。

 とはいえ、この辺ではっきりさせておいたほうがいいだろう。


(ヨハンのことは嫌いじゃないし、傷付けるのは本意じゃない。でもヨハンには婚約者がいて、私にはレオンがいる……)


 傷付けるのを恐れて、流されている場合ではないのだ。

 私は拳をぎゅっとにぎり、気合いを入れた後、胸の奥から湧き上がる緊張を振り払うように、一息ついて言葉を放つ。


「ヨハン、あなたと一緒に出かけるのは今日限りにしましょう。これからは二人きりで会うことはやめたいの」


 私の言葉に、彼の瞳が一瞬揺らぐのが見えた。だが、その刹那、ヨハンの表情が凍りついたように硬くなり、見たことのない怒りの色が浮かんだ。

 その表情に驚く間もなく、突然、ヨハンの両手が私の肩に伸びたかと思うと、そしてそのまま強引に押し倒された。

 背中が硬い床に勢いよく当たり、一瞬息が詰まる。


「……どうしてだよ、クロエ!」

「っ……!」


 はっと目を開けると、ヨハンの顔がすぐ目の前にあった。

 これまで軽薄なところはあっても、明るい印象が強かったヨハン。だけど今の彼は違う。目の前の男は、優しく穏やかだった彼ではない――全く知らない誰かだった。その瞳には狂気の光が宿り、口元は歪んでいる。

 いつもと違うヨハンの様子に恐怖が一気に襲ってくる。 心臓が早鐘を打つ中、身体は金縛りにあったように動かない。

 だけど、押し倒された時につかまれた腕の痛みが増したことで、はっと目が覚めた。このままだと良くないことが起きる気がして、気力をふり絞って声を出す。


「ヨハン、どうしたの?落ち着いて……」

「どうしてなんだ、クロエ……以前は僕が好きだと言ってくれたじゃないか!」

「以前……?」


 抵抗しようと腕を動かすが、ヨハンの力には敵わない。


「僕に婚約者がいるのが気に入らないのか?だったら今すぐ別れるよ!だから――」

「やめて、ヨハン!」


 顔を近づけてきた彼の息遣いが肌に触れるほどの距離。声を振り絞って叫ぶが、ヨハンは止まらない。瞳には執着と悲痛が入り混じっているのが見えた。


「どうして僕を拒むんだ!僕を受け入れてくれないなら、どうすればいいんだよ!」


 彼の声は徐々に上ずり、感情の渦が彼を支配しているのがわかる。

 近づいてくる顔、そして――


「いやぁ……!」


 もうダメだと思った瞬間、ヨハンの動きが突然止まった。

 なにが起こったのかわからず、恐る恐る目を開けてヨハンを見ると、ヨハンは目を見開き、顔を歪め、固まっていた。


「ヨハン……?」


 突然、ヨハンは私から離れたかと思うと、向かいの座席に倒れこんだ。そのまま頭を押さえて苦しみ始める。


「ぐっ……!」

「ヨハン!?」


 今さっきまで押し倒されていたことで感じていた恐怖が残り、ヨハンに近寄るのを一瞬ためらうが、それ以上に今はヨハンの様子が心配だった。


「ヨハン?ねえ、どうしたの?」


 ヨハンの肩に手をやりながら声をかけるが、ヨハンはもがき苦しむばかりで私の問いかけに応えられない様子だ。

 このままでは埒が明かないと、従者に助けを求めることに決め、馬車の窓に向かって声をかけようとすると、ヨハンが「待って」と苦し気につぶやいた。


 ヨハンは荒い息をつきながら、なんとか落ち着きを取り戻したようだった。そして、ぽつりと謝罪の言葉を口にした。


「ごめん……クロエ。君が泣いているのを見たら、急に頭が痛くなって……」


 言われて初めて、自分が泣いていることに気づいた。頬をさわると、涙で濡れていた。

 しかしそんな私の戸惑いなど気付かないまま、ヨハンはさみしそうに目を伏せ、静かに言葉を続ける。


「……ごめん。そんなに嫌がられていたとは思わなくて……」

「あ……」


 違う。嫌っているわけじゃない……。だけど声が出なかった。


「そうだね……もう以前の君ではないんだった……」


 それは記憶をなくす前のクロエのことを言っているのだろうか。

 姿勢を改めたヨハンが、私に向かいのソファに座るよう促し、今度は自ら距離を取った。恐らくもう手を出さないからということを示してくれているのだろう。


「……ごめんね。もう君を無理に誘うのはやめる。でも……」

「でも?」


「……僕を嫌いにはならないでくれ」


 うつむき、震えながら吐き出されたその言葉に、胸が締めつけられるような感覚を覚えた。

 やはりこうなってしまった。私がもっとちゃんと上手く断れていたら……。


「ヨハン……私こそ……ごめんなさい」


 なにを言っても言い訳にしかならない。だから、謝罪することしかできなかった。


 ヨハンは馬車を止め従者になにか伝えたかと思うと、馬車は来た道を戻っていく。

 馬車はそのまま屋敷に到着した。私を降ろしたあと、別れ際にもう一度謝罪し、馬車はそのまま去っていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ