14 レオンとお出かけ
朝の柔らかな光が窓から差し込む室内には、焼きたてのパンの芳醇な香りが漂っている。
テーブルの上には、湯気が立つ淹れたての紅茶、温かいスープ。中央にはこんがり焼きあがったトーストがあり、その隣には黄身がとろりと輝く目玉焼きが鎮座。さらに、カリカリに焼けたベーコンがその周りを囲む。彩り豊かなサラダも添えられ、新鮮な野菜が瑞々しい輝きを放っている。
私はまずトーストを手に取り、たっぷりとバターを塗った。ひと口かじると、香ばしい風味が口いっぱいに広がり、思わず笑みがこぼれる。
続いて、スープを一口すすると、じんわりと体の中に温かさが広がり、少しずつ目が覚めていく。
最後に、半熟の目玉焼きとカリカリのベーコンをそれぞれ一口ずつ味わう。濃厚で深い味わいが口の中に広がり、心まで満たされるような幸せな気分に包まれた。
「ククッ……本当に美味しそうに食べるんだな」
レオンの声にハッとして、口に運んでいたフォークの動きが止まった。
(そうだった、今日はレオンと一緒だったんだ)
普段の朝食時は私一人が多い。レオンは鍛錬で朝が早いし、父や母もそれぞれ予定が違って、時間が合わないことが多いからだ。
(でも今日は休日だからと、レオンから朝食を一緒に食べようと誘ってくれたんだった。つい、いつもの調子で食べちゃったわ)
ちなみに、この世界の食事やお風呂事情に関しては、ゲームの世界だからか、妙に現代っぽい。
おかげで今のところ大助かりどころか、この通り、ヨハンやレオンに食べる所を観察されてしまうぐらいには、食いしん坊と化している私……。
美少女のクロエが、子豚さんとなってしまわないよう、気を付けないといけない……。
「ところでクロエ、今日の予定は?」
「特になにもないわ」
私は首をかしげながら、今日の予定を思い出す。……まあ元々、あまり予定がないんだけど。
「それなら一緒に街へ出かけないか?」
レオンからの突然のお誘いに、一瞬心が浮き立つが……
(ストーカーやヨハンのこと……正直考えなければいけない事がたくさんある……)
とはいえ、考え事ばかりしていても、気が滅入るだけだと思いなおす。せっかくのお誘いだし、気分転換に外に出てみるのも悪くないかもしれない。
「行こうかな」
そう返事をすると、レオンは嬉しそうに微笑んだあと、カップに残ったコーヒーを飲み干し、テーブルを立った。
「それじゃあ準備ができたら声をかけてくれ」
レオンが部屋から出るのを見送ったあと、私は軽く息をついた後、マリアに支度を頼んだ。
◇ ◇ ◇
賑やかな市場は多くの人で溢れ、活気に満ちていた。
色とりどりの果物が並ぶ屋台や、甘く香ばしい香りが漂うパン屋を見て回りながら、私はレオンと他愛のない会話を交わしながら歩く。
レオンが歩きながら、紺藍のコートの襟を軽く整える。その仕草ひとつ取っても様になっていて、周囲の女性たちが振り返るのが目に入る。
(目立つなぁ……)
剣術大会で注目を浴びた時のことを思い出し、少し気が滅入りそうになった。
ふと、耳元にかすかな泣き声が聞こえる。
「……ん?」
「どうした?」
私が立ち止まると、レオンが不思議そうに声をかけてくる。私は周囲を見回しながら答えた。
「子どもの泣き声が聞こえた気がして……」
レオンも気になったのか、あたりを見回す。
そのとき、人ごみの中にぽつんと小さな男の子が立っているのが目に入った。大きな瞳に涙をためながら、誰かを探すようにきょろきょろしている。
「あの子、迷子じゃない?」
私はレオンの袖を引っ張りながら男の子を指さす。レオンもすぐに気づき、私たちはその子のもとへ急いだ。
「ねえ、どうしたの?」
そっとしゃがみ込んで声をかけると、男の子は一瞬びくりと肩を震わせたが、私たちの様子を見て少し安心したのか、泣くのを我慢してぽつりと答えた。
「お母さん……いなくなっちゃった……」
男の子との言葉と表情に、胸がきゅっと締めつけられるのを感じた。
できるだけ穏やかに微笑みながら、男の子の目線に合わせて話す。
「大丈夫。一緒にお母さんを探そうね。お母さん、どんな服を着てたか覚えてる?」
「赤いスカート……それから、大きな帽子……」
男の子が一生懸命思い出しながら話すのを聞き、私はその情報を頭に刻む。そしてレオンの方を見た。
「向こうの通りを見てみよう。人が多いから、近くにいるかもしれない」
レオンは心得たように、冷静に提案し、レオンも男の子の目線に合わせて優しく微笑む。
私は男の子の小さな手をそっと握りしめ歩き出す。
市場の通りを歩きながら、私たちは店の人たちにも声をかけて情報を集める。
そして、ついに赤いスカートに大きな帽子をかぶった女性が人ごみの向こうに見えた。
「お母さん!」
男の子が弾けるように叫ぶと、女性も驚いたようにこちらを振り返り、急いで駆け寄ってきた。
「この子、迷子になっていたようで……」
私が説明すると、女性は安堵の表情を浮かべ、男の子をぎゅっと抱きしめた。
「本当にありがとうございました!」
親子は手を取り合い、何度もお礼を言いながら去っていった。その背中を見送りながら、私はほっと胸をなでおろす。
「よかった……」
レオンがふっと笑って私を見た。
「お前、随分と子どもの扱いが上手いな。意外だった」
それは、以前の私ならそんなことをしなかっただろう……という意味だろうか。
とはいえ、ここで追及するのも気が引けたので、素直にお礼を返すことにした。
「そんなことないわ。お兄様が一緒にいてくれたからよ。ありがとう」
「いや……大したことはしていない」
照れくさそうに答えるレオン。その表情が思わず可愛く見えてしまった。
◇ ◇ ◇
気を取り直し、市場散策を再開する。この世界のお店をじっくり見て回るのは初めてで、何もかもが新鮮で楽しい。
ふと、いちごの甘い香りに誘われて、果物屋らしきお店の前で足を止めた。
(どれも新鮮でおいしそう。しかも安い……!)
元の世界でも果物は豊富にあったけど、安くはなかった。懐かしさに浸っていると、隣にいたレオンが声をかけてきた。
「クロエ、ほら」
振り向くと、レオンがいちごをつまんでこちらに差し出していた。私は思わず右手を伸ばして受け取ろうとしたが、レオンが首を振って「そうじゃない」と言いながら、口を開けるように促してくる。
(え、私があーんされるってこと!? ヨハンの時と逆じゃない!?)
しかもレオンの手から直接食べるなんて……。
戸惑いつつも、彼の好意を無下にするのは悪い気がして、観念して口を開ける。
レオンはいちごをそっと私の口に運び、その手が離れる瞬間、指先がほんの一瞬だけ私の唇に触れた気がした。胸がドキッとして、思わず顔が赤くなる。誤魔化すように俯いて、ゆっくりいちごを咀嚼した。
「……瑞々しくて甘酸っぱい……とてもおいしい」
「そうか」
私の感想に、レオンが柔らかな笑みを見せた。
その笑顔がどこか嬉しそうで、少し恥ずかしい気持ちになる。
その後、レオンも自分でひとつ味見してみて気に入ったらしく、「料理長に頼んでデザートを作らせよう」と言いながら、店主からいちごをいくつか購入していた。その真剣な横顔を見て、私は少し笑ってしまう。
レオンと一緒の市場探索は、とても楽しかった。




