10 騎士団へ
剣術大会に出かけたり、レオンと遠乗りを楽しんだり、充実した日々を送っているのはいいけれど、肝心のストーカーの件は一向に進展がなかった。
相変らず相手にまったく見当がつかないし、もしすでに接触していたとしても、今まで私が出会った中で、明確に敵意を向けてきた人なんてごくわずかだ。
思い浮かぶのは、ヨハンの婚約者と、レオンに積極的に接近していたヴィオレッタ様の二人。
けれど、ヨハンの婚約者は隣国の貴族のご令嬢で、滅多にこちらの国に来ることはないらしい。
ヴィオレッタ様も、私を睨むような視線を向けていたけど、それはレオンに依存する妹の存在が気に入らない程度だと感じた。あの態度からして、命を狙うほどの恨みを抱いているとは思えなかった。
結局、手がかりが見つからないまま、悶々とした気持ちだけが胸の中に広がっていく。どこから動けばいいのかわからない。
「……こういうときは、お菓子作りでもするか!」
頭を切り替えるためには、なにか夢中になれるものがいい。
刺繍を始めてみるのも良さそうだけど、慣れていない分、かえってイライラしそうだし、お菓子作りなら慣れているから、問題なく没頭できる。
それに甘いものを食べれば、きっと少しは気分も変わるはず!
すぐにキッチンを借りる許可を貰い、準備を始めた。
手を動かしているうちに気持ちも少し落ち着いてきたように感じる。無心で生地をこね、形を整え、天板に並べていく。
(よし、あとは焼き上がりを待つだけ……)
甘い香りがキッチンに漂い始めた。
しかし焼き上がりを見て気付く。
「……これ、食べきれる量じゃないわね」
無心で作りすぎていたらしい。
とりあえず、屋敷の使用人たちに配ってみたものの、それでもまだ余る。
「こういう時はお茶会でも開けばいいのかもしれないけれど、残念ながらお友達と交流してないのよね……」
お父様に貰ったリストから、かつての友人に挨拶をしたいとは思いつつも、落ち着いたら……と後回しにしたままだった。
さてどうしようか、と悩んでいると、ふとマリアが声をかけてきた。
「お嬢様、もしよろしければ、そのクッキーを騎士団の皆様にお持ちになってはいかがですか?」
「騎士団?」
意外な提案に思わず聞き返すと、マリアは微笑みながら続けた。
「はい。訓練の合間に、皆様きっと喜ばれると思います。特にレオン様がいらっしゃるなら、きっと大歓迎されますよ。」
レオンの名前が出た途端、胸が高鳴るのを感じる。
(たしかに、お仕事中のレオンに会いに行くのは初めてだし、行ってみたいけど……)
「騎士団に、差し入れとか持って行っていいものなの?」
騎士団というと厳格なイメージがある。まして詰所は王城の敷地内にあるし、一般人は入れなさそうな……。
「大丈夫ですよ。騎士は女性に人気のお仕事なので、そういう差し入れをしている方はたくさんいらっしゃいます」
思ったより軽い扱いに驚く。セキュリティとか大丈夫なんだろうか。私の疑問が顔に出ていたのか、マリアは説明を続けた。
「もちろん誰でも入れるってわけではありません。ちゃんと身元が保証されている貴族のご令嬢とか、王城に勤めている方が中心なんですが……。でもクロエ様はレオン様のご兄妹でいらっしゃいますから、その点は心配はないかと」
「そっか……それじゃあ持って行こうかな。マリア、付き添いをお願いできる?」
「もちろんです」
マリアの返事を聞いて、早速クッキーを綺麗に箱に詰めて、出かける支度をした。
レオンに渡すとき、どんな反応をするだろうかと思い浮かべながら、心が浮き立つのを感じた。
◇ ◇ ◇
王城の門前に到着すると、門番が私を見るなり一瞬驚いた反応をしたものの、すぐに笑顔で通してくれた。門番の人は、親切にも詰所の方向を詳しく教えてくれる。その対応に少し驚きつつも、私はお礼を言って進んだ。
どうやら私がレオンの妹であることは、王城内では知られているようだ。
「以前の私はよくここに来てたの?」
マリアに尋ねると、彼女は首をふって否定した。
「王城には何度かご主人様や奥様と共に来られることはありましたが、詰所にはほとんど来られていません。クロエ様はこうした埃っぽい場所は苦手でしたので」
「そうなんだ……」
美しいもの好きというぐらいだし、潔癖症なところがあったのかな。
まあ、いくら仲の良い義兄妹といっても、家で会えるからわざわざ職場にお邪魔しなかっただけかもしれない。
「じゃあ、こういう差し入れには来なかった感じ?」
「いえ、奥様のおつかいで何度か来てます。差し入れの他に忘れ物を届けたりとか。ただ長居はしませんでしたが」
そんなことを話しながら進んでいると、目の前に、地面に散らばった布を拾い集めている若い男性がいることに気付く。
その焦った様子に、私は思わず駆け寄って、拾うのを手伝った。
近くで見ると、布はシャツやズボンのようなもので、どうやら騎士の制服の下に着用するものらしい。
「ありがとうございます! 本当に助かりました!」
マリアも手伝ってくれて、なんとか落ちていた衣類をすべて籠に回収でき、男性は目を輝かせながら感謝の言葉を述べた。
どうやら彼は騎士見習いらしく、慣れない場所で迷子になっていたら、段差につまずいて洗濯物をばらまいてしまったようだ。しょんぼりと土まみれになった制服を抱えているその姿は、どこか前世で新入社員時代の自分を思い出させた。
「あの……もしよかったら、洗い場まで付き添いましょうか? 少しでも手伝えることがあれば……」
そう提案すると、男性は驚き、さらに隣のマリアまで目を丸くしている。
「お嬢様が……洗濯を?」
マリアの戸惑いにハッとする。
確かに令嬢が洗濯を手伝うなど、普通は考えられないことだった。そもそもこの時代では洗濯機もないし、自分がどれほど役に立つかもわからない。
「そ、そうよね。ごめんなさい、私が手伝っても大した役には立てないわね……」
気恥ずかしさに視線を落としていると、不意に背後から声がかかった。
「こんなところで何をしている?」
振り返ると、そこにはレオンが立っていた。
レオンは私の姿を見て、一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐにその視線は男性に向けられた。
険しい目つきで睨みつけられた男性は、慌てて姿勢を正しながら恐縮しきった声で謝罪を口にした。
「あの、すみません! これは僕の不注意で……!」
その態度から察するに、レオンはどうやら彼の上官にあたるようだ。
「ちょっと待って!」
私はとっさに彼の前に立ち、手を広げて男性をかばった。
「あまり怒らないであげて。失敗なんて誰にでもあるし、第一、こんな大量の洗濯物を一人で運ばせるのはどうかと思うわ」
レオンを真っ直ぐ見つめて抗議する。レオンは目を見開いて驚いたような反応をしたあと、ため息をついた。
「クロエの言うことはもっともだが、そもそもこの業務の当番は三人いるはずだろう。どうして一人で運んでいるんだ?」
「え? そうなの?」
呆れてそう言うレオンに、思わず男性のほうを見ると、男性はビクリと肩を震わせ、気まずそうに視線を泳がせた。
「えっと……その……他の二人は用事と言って……いなくなり……」
「用事?」
レオンの声には、明らかに疑念が含まれていた。私もその言葉を聞いてピンときた。
(きっとサボりね。それでこの人に仕事を押し付けたと……)
男性の困惑した表情がそのことを物語っている。レオンはしばらく彼を見つめたあと、深くため息をついた。
「……わかった。あとで二人には話をつけておく。それより、洗濯物を放置するわけにはいかないだろう。俺も手伝おう」
レオンはそう言うと、どこかへ歩き出した。男性は恐縮しきった表情で頭を下げてついて行く。
仕事の邪魔をするのもなんだし……と、二人を見送ろうとしたら、レオンがこちらを振り返る。
「クロエもついてこい」
有無を言わせぬ口調に、私は小さく頷き、彼の後を追った。
洗濯場に到着し、レオンは手慣れた様子でたらいに制服を入れると、水で浸した。一緒にいた男性がブーツを脱いで洗濯物を踏みつけ始める。
(ゲームの世界なのにこういうところは史実通りなの!?)
たしか中世のお洗濯事情はそんな感じだった気がする。ただ、これが騎士団独特のものかどうかは判別がつかないが……。
どちらにしてもこれでは手伝えることは少なそうだと二人を見守っていると、マリアが洗い終わった洗濯物を干す手伝いを始めたので、私はそちらを手伝うことにした。
「え!? クロエ様、私ひとりで大丈夫ですから……」
「いいのよ。二人でしたほうが早いじゃない」
「申し訳ございません……ありがとうございます」
私たちの様子に気づいたレオンが慌てて駆け寄ってきた。
「クロエ! そんな汚いもの触らなくていいから」
「汚いなんてとんでもない。民を守ってくださる騎士の皆さんの制服をそんな風には思わないわ。むしろこうしてお手伝いできて嬉しいぐらい!」
たしかに、雑に洗われ続けているのか、決して綺麗とは言い難い状態だけど、それを汚いから触りたくもないとか、そんな風には思わなかった。
とはいえ以前のクロエならたしかに汚いと言って触らなかったのかもしれない。
でも「記憶喪失後の性格の変化」は前に伝えてあるから大丈夫だろう。
案の定レオンは、無理はするなよと言って、自分の作業に戻った。
こうして私たちは協力しあって洗濯を終わらせた。
◇ ◇ ◇
男性は何度も頭を下げ、恐縮しきった様子でお礼を述べながら持ち場へと戻っていった。
その姿を見送りながら、レオンは私のほうに振り返った。
「それで、クロエ。どうしてここにいるんだ?」
少しだけ眉を寄せた表情で尋ねてきた。心配しているのか、それとも呆れているのか、どちらとも取れる表情だ。
「クッキーを焼きすぎちゃったから、差し入れに来たの」
そう説明すると、レオンは驚いたような顔をしたあと、溜息をついた。
「そんなの家に置いておけばいい。俺が全部食べるから」
「本当にたくさんあるのよ。この量を一人で食べたら太っちゃうわ」
クッキーが入ったバスケットを見せながら説明すると、レオンは少し眉をひそめたが、やがてしぶしぶといった様子で頷いた。
「……わかった。詰所に案内するからついてこい」
私は頷いたあと、レオンの背中を追って歩き始める。辿り着いた詰所の扉をレオンが開けると、以前出会ったストラールが立っていた。
「あれ!クロエちゃんだ。どうしたの?」
明るい声で歓迎してくれるストラールに、私は軽く頭を下げた。彼の親しげな態度に、詰所の中の騎士たちも興味津々といった様子でこちらを見てくる。
「クッキーをたくさん作りすぎてしまったので、よかったら皆さんにと思いまして」
そう言ってかごいっぱいのクッキーを差し出すと、騎士たちの反応が一変した。
「手作りですか!?」
「嘘だろ、本当に!?」
「俺も欲しい!」
興奮のあまりか、あちこちから雄叫びが上がり始める。その迫力に私は驚き、目を丸くして固まる。
見かねたレオンが、私の前に立ちはだかり
「お前ら、興奮するな!おいこら!そこ!両手いっぱいに持って行くな!」
レオンは、順番だとか、一つずつだとか注意しているけど、皆さん聞いていないようだ。
動物園で檻に入った熊に餌を与える雰囲気に圧倒されていると、いつの間にか、籠いっぱいあったはずのクッキーは空っぽになっていた。
「……おい、待て。俺の分は?」
レオンが地を這うような低い声で問いかける。
詰所にいた全員がその声に気付き、ハッとした顔を見せたが、既にクッキーは全員の手元に渡ってしまっていた。
レオンは目に見えて不機嫌になり、眉間にしわを寄せた。その雰囲気に危険を感じた私はあわててレオンに駆け寄る。
「また焼くから!ちゃんとお兄様の分は取っておくから、ね?」
私の言葉に、レオンは溜息をつきながらも渋々納得したようだった。
猛獣をなだめてくれてありがとう……という、皆の視線を感じながら、私は詰所を後にした。
◇ ◇ ◇
門までレオンに送ってもらう。雑談をしながら歩いていると、唐突に話題を切り替えてきた。
「ところで、今度から、ここに来る時は事前に連絡しろよ」
「無許可で来るのは、やっぱりダメだった?」
素直に謝罪すると、レオンはふっと笑ったあと、首を横に振った。
「そういうことじゃない。お前が心配だからだ。門まで迎えに行く」
「問題なくここまで来られたけど……?」
そう返すと、レオンはため息をついて、私の顔をじっと見つめる。
「今のお前は、なんだか心配すぎるんだ」
その言葉に、どういう意味なのかと問いかけようとしたが、馬車が待っている場所に着いてしまい、結局、聞きそびれてしまった。
レオンのエスコートで馬車に乗り込もうとした瞬間、私はつま先を少し滑らせてしまい、ふいにバランスを崩した。
「――っ!」
倒れ込みそうになる私を、レオンの腕がしっかりと支えてくれる。距離が一気に近くなり、彼の息遣いが耳元に触れる。驚いて顔を上げたその時、低く響く声が囁いた。
「次は、俺だけのために作ってくれ」
耳元にかすめたその声に、心臓が跳ねる。レオンの視線が私を捉えたままで、逃げることもできない。真剣な瞳に射抜かれたまま、私はただ小さく頷くしかなかった。
レオンの手がそっと私を元の体勢に戻し、再び馬車に乗り込むよう促される。馬車の中に入った瞬間、扉が静かに閉じられた。
馬車が動き始めても、心の中に響いたレオンの囁きは消えることがなかった。
赤くなって固まる私の様子を、マリアが微笑ましく見ていたことも気付かずに――。




