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1 目覚め ~乙女ゲームの攻略対象の義妹に転生しました~

 目を覚ますと、見覚えのない豪華な部屋にいた。厚手のカーテンの隙間から柔らかな光が漏れ、室内を淡い金色に照らしている。


 天蓋付きのベッドに横たわる私の手を、見知らぬ青年がぎゅっと握りしめていた。

 彼は祈るように目を閉じ、何かを思いつめたような表情を浮かべている。彫刻のように整った横顔、柔らかく光を反射する銀色の髪。思わず目を奪われるほど美しい人だった。現実離れした美しさは、まるで物語の中から飛び出してきたキャラのようで……。


 キャラ?一体私はなにを……?


 困惑していると、青年がふと目を開き、その瞳が私を捉えた瞬間、彼の表情が驚きと歓喜で揺れるのがわかった。


「クロエ!」


 青年は勢いよく私を抱きしめた。


「目を覚ましてよかった、本当に……!」

「く、クロエ?」


 誰のこと? 青年が呼ぶその名前に心当たりがない。混乱した私は、彼の腕から逃れようと身じろぎすると、青年は名残惜しそうに腕を緩め、そっと放してくれた。


「すまない。つい、嬉しくて。大丈夫か?」


 心配そうに覗き込むその顔を、私は改めて見つめる。そして気づいてしまった。


 その顔は、ついさっきまで遊んでいた乙女ゲームで見た顔。攻略対象の一人――

「冷徹な聖騎士」レオンそのものだったから。


「……嘘、でしょ?」


 頭の中が真っ白になる。目の前の光景、そして青年の存在。次第に、目覚めたばかりの自分に降りかかる異常な状況が鮮明になってきた。


(もしかしてここは、ゲームの中の世界……? )


 混乱の中、改めて部屋の内装や家具に目を向ける。それらは確かに、ゲームの中で見た中世ヨーロッパ風のもの。豪奢な装飾、重厚感のある家具、どれをとっても非現実的なほど美しく、馴染みのものではなかった。


「クロエ、本当に大丈夫か?」


 挙動不審な私の様子に気づいたのか、再び青年――いや、レオンが心配そうに問いかけてきた。

 どう答えるべきか迷っていると、彼がふっと顔を引き締めた。


「すまないが、医者を呼んでくるから少しだけ大人しくしていてくれ」


 彼はそう言うと立ち上がり、静かに部屋を出て行った。扉が閉まる音が響いたあと、部屋に静寂が訪れる。


 一人きりになった私は深呼吸をし、混乱する頭を落ち着けようと試みた。目の前にある現実を整理するため、改めて部屋を見回す。

 薄暗い部屋には照明らしきものはなく、揺れるロウソクの灯が壁に影を落としていた。部屋全体がまるで歴史書でしか見ないような、時代を超えた荘厳な雰囲気をまとっている。窓際には、重厚なベルベットのカーテンが垂れ下がっていて、金糸の刺繍は花のような模様が描かれており、気品を感じさせた。

 ベッドから足を下ろすと分厚い敷物が敷かれており、裸足の足にふわりとした感触が伝わる。赤と金の模様が絡み合ったそのカーペットは、明らかに高価なものだと直感的に理解できた。

 ふと、彫刻が施された大きな鏡が目に留まる。

 恐る恐る鏡の前に立つと、そこに映っていたのは――


「……これ、私……?」


 まったく知らない美少女だった。長い髪は深い藍色で、顔立ちはまるで人形のように整っている。だが、その顔には覚えがない。

 そう。レオンのように見覚えのある顔ではなかった。


「ゲームにこんな少女、いた……?」


 自分の姿に戸惑っていると、レオンがお医者様と母親らしき女性を連れて戻ってきた。


 改めてベッドに座り、大人しく診察を受ける。

 お医者様は私の状態を診ながら、レオンから事前に聞いていたのか、神妙な顔つきでいくつか質問を投げかけてきた。


「昨日、君は階段から落ちたんだが、そのことは覚えているかい?」

「いえ……」

「念のため確認するが、自分のことを覚えているかい?」

「……それが……」


 ――なにも


 続く言葉に詰まる。

 自分のことを覚えているか?と問われれば、答えは「はい」だ。

 だけどクロエのことを覚えているか?と問われれば、答えは「いいえ」――


 私はクロエではなく、上条美菜という名前の普通の会社員。そしてこの世界にそっくりな設定の乙女ゲームで遊んでいたこと。そのゲームに登場する攻略対象の一人、レオンを攻略途中で、続きを早く遊びたいからと今日は定時で仕事を切り上げて急いで家に帰ろうとしていたこと。

 そして……そして――


「っ……!」


 突然胸に鋭い痛みが走る。

 眩しいライト、鋭い音――あれは、横断歩道を渡ろうとした時、信号無視の車が突っ込んできて……――

 私の記憶はそこで途切れている。おそらく私は――


 あの瞬間、命を落としたんだ。そして、今この場所に「転生」したのだろう。


(まさか、小説や漫画で読んでいたあのシチュエーションが自分に降りかかるなんて……)


 恐ろしい記憶をこれ以上思い出したくないからか、不思議なほど冷静に状況を分析している自分に気づいて笑いそうになる。


「先生……私、記憶を失っている気がします……」


 焦りのあまり言葉が少し不自然になったが、お医者様には伝わったらしい。やはりという顔で頷いた。


「君は階段から落ちた際に頭を強く打ち、丸一日目を覚まさなかった。記憶の混乱や一部の欠落があるのかもしれない」


 そう言った先生の言葉に、レオンが動揺した様子で声を漏らした。


「記憶が……ない?それは本当か!?」


 その迫力に少し圧倒されながらも、私は首を縦に振った。


「ごめんなさい……何も……」


 震えながら謝罪する私に、レオンははっとしたように引き下がる。そして苦しげに眉を寄せ、黙り込んだ。


「クロエちゃん、私のことも……?」


 先程から黙っていた母らしき女性が震える声で尋ねてきた。だが、申し訳ないことに、この女性にも心当たりはない。


「はい……」


 私の返事を聞いた女性は顔を覆ってしまい、足元がおぼつかなくなる。慌ててレオンが支えた。

 二人の姿を見ていると、私が彼らを悲しませていることに、胸が締めつけられる思いがする。

 だけど、どうしたらいいか、今の私にはわからなかった。


 診察を終えた先生は、「しばらく様子を見ましょう」と告げて、母を支えながら部屋を出て行った。

 部屋には私とレオンだけになる。

 彼はベッドの脇に腰を下ろし、じっと私を見つめていた。その視線には不安と悲しみ、そして微かな期待が混じっているように思えた。


「クロエ、本当に……何も覚えていないのか?」

「はい、何も……」


 私は戸惑いながらも頷いた。レオンの瞳に浮かんだ失望と悲しみが痛いほど伝わってくる。


「……そうか……」


 呟いたレオンは俯き、何かを考え込むように沈黙した。私も何か言葉を返そうとしたが、喉に引っかかって言葉が出てこない。

 レオンは長い沈黙の後、顔を上げる。


「まあ……まだ目覚めたばかりだ、思い出せないのも仕方ない」


 その言葉に、落ち着いたらクロエの記憶を思い出せるのかと疑問が浮かぶ。そもそも姿はクロエだけど、中身は完全に私に入れ替わっているだけのような気もするし。でもそうすると、本来のクロエはどこへ……?

 黙り込んだ私の様子に、諦めたのか、レオンは静かに立ち上がった。


「長居してすまなかった。まだ完全ではないようだし、もう少し休むといい」


 レオンはそう言い残し、静かに部屋を出て行った。扉が閉じる音が微かに響き、再び部屋には静寂が戻った。


 ◇ ◇ ◇


 一人きりになった私はベッドの上で膝を抱き、頭の中を整理しようとする。

 ここが乙女ゲームの世界だとすれば、ゲームの設定を思い出せばクロエのことも何か手がかりがあるはず……。


 そのゲームのタイトルは『運命の輪舞曲(ロンド)』。転生前の私が遊んでいた乙女ゲームだ。

 ストーリーは、攻略対象全員が過去にトラウマを抱えており、ヒロインと交流することで克服したり癒されたりして、トラウマを乗り越えていくというもの。

 普通の恋愛アドベンチャーゲームだったけど、例えばレオンのように冷徹かつ完全無欠なキャラにも弱い部分があって、思わず守ってあげたくなったり、癒してあげたくなるような、ギャップ萌えに焦点に置いたキャラ設定が魅力の人気ゲームだった。

 とはいえ、実はまだレオンは攻略途中で、レオンの冷徹な部分は見ているけど、弱い部分はまだ見ていないのだけど……。


「レオンのトラウマの原因はたしか……」


 レオンには大切にしていた義妹がいたけど、ストーカーに襲われて命を落としてしまう。大切な義妹を守れなかったことでレオンは心を閉ざしてしまい、やがて誰に対しても心を開かなくなった結果、「冷徹な聖騎士」と呼ばれるようになる。ゲームではそんなレオンを癒すことで、徐々に本来の優しさを取り戻していく。レオンが仕えている王太子のアレクシスが「妹を溺愛する優しい奴だった」と語っていたのを思い出した。

 そしてその義妹の名もアレクシスが語っていた。そう、その名は――


「クロエ……!」


 つまり、レオンのトラウマの元凶である義妹に転生した、ということ。

 そしてそれは――


「私は……いつかストーカーに殺される……?」


 状況が飲み込めた瞬間、背筋に冷たいものが走った。


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