あれだけ仕事を押し付けておいて婚約者の顔もご存じありませんの?私は妹ですわ!
「フロランス・アーバイン伯爵令嬢!前に出ろ!」
バンジャマン王太子主催の夜会。壇上から王子は叫んだ。
集まった貴族たちは最初は静かだった。なかなかフロランスが出てこないので、妙に通る声で囁き合いながら壁の方に下がって行った。
「フロランス様いらしてたかしら?」
「私はご挨拶していませんわ。」
「バンジャマン様はエスコートされなかったの?」
「おい、何か言われないように後ろの方へ行こう。」
「そうだな絡まれたら大変だからな。」
バンジャマンと貴族たちの間に広がった床は、壇上の人の影が映る程艶めいていた。
「フロランスどこだ!何をしている!すぐに来い!」
バンジャマンがまた叫んだ。
扇で口元を隠した女性が前に進み出た。
「俺を待たせるなんて何様のつもりだ!」
バンジャマンは近くに立っていた可憐な女性を抱き寄せた。
「お前は俺のエレーヌに嫌がらせをして恥ずかしい目にあわせた!お前のようなやつは王太子妃として相応しくない!お前との婚約を破棄し、このエレーヌ・レンフルー伯爵令嬢と婚約する!」
バンジャマンは女性を指差した。彼女は扇を動かさなかった。
「レンフルーは、子爵家ですわ。」
「は?」
「伯爵令嬢ではなく、エレーヌ・レンフルー子爵令嬢です。」
「え?」
「そもそもアーバインは侯爵家です。」
「ん?」
「隣でレンフルー嬢が囁いておられるではありませんか。」
バンジャマンが隣を見るとエレーヌは焦っていた。
「伯爵令嬢以外にもいるのです!」
「なに?エレーヌが貸してくれた本には伯爵令嬢しか出てこなかったぞ?」
「ですから、他にも爵位があるのです。」
「・・・まあ、よい。なんにせよ、フロランスとは婚約破棄だ。いいな?フロランス・アーバイン。」
「よろしくありませんわ。」
「なんだと?」
「あれだけ仕事を押し付けておいて婚約者の顔もご存じありませんの?」
「ん?顔だと?」
「私は妹ですわ!」
「は?」
「フロランス・アーバイン侯爵令嬢の妹、フロリアーヌですわ!」
フロリアーヌは扇を勢いよく閉じた。
「姉は今、安らかに眠っております。」
「は?」
「昨日王宮を訪ねました。バンジャマン様との婚約以来、姉は王宮に居りますでしょ?今日の夜会のことで話がありましたの。近衛の方が姉の部屋に案内してくださいました。すると、そこには乱雑に積まれた大量の資料や本が!」
「なんだあいつ。仕事が遅いな。ホントに使えないな。」
王子は忌々しげに舌打ちをした。
「以前訪ねた時はそのような事はありませんでしたから、慌てて扉を開きました。すると、姉が床に倒れていたのです!私驚いてしまって… 近衛の方が、冷え切った姉を寝室に運んでくださいましたの。」
フロリアーヌはレースのハンカチを目元にあてた。貴族たちは囁いた。
「え、それって亡くなったってこと?」
「死んでしまわれたの?」
「まさか!フロランス様・・・」
バンジャマンは
「え、死んだ?」
と小さく呟いた。エレーヌはバンジャマンの腕にしがみついた。
「その時お姉様の机の上を見てしまいましたの。そこには3つの箱がありました。」
「箱?」
「ええ。『王』『王妃』『王子』と分かりやすく書いてある箱です。中には姉の筆跡の書類が積んでありました。サインはありませんでしたけど。隣には誰が書いたか分からない書類がたくさんありましたわ。」
貴族たちはお互いに顔を見合わせた。
「それって全部フロランス様が?」
「バンジャマン様は公共事業とか法律改正とか・・・」
「丸投げ?」
その時、ホールの入り口からヨレヨレのドレスを着た女性がフラフラしながら歩いてきた。
「きゃーっ!」
「幽霊よー!」
「助けてー!」
貴族たちはさらに壁の方に逃げ、真ん中に道が開いた。
「うわぁぁっ!」
バンジャマンは逃げようとして尻もちをついた。ヨレヨレの女性はバンジャマンがいる方へくる。目が逸らせない。恐怖に震えながら必死に逃げようと手足を動かしていた。
そのヨレヨレはフロリアーヌの近くまで来るとボサボサの頭をわしゃわしゃと掻いた。
「まだ仕事終わってないんだけど?何の用?」
苛ついた様子でヨレヨレが喋った。
「ランスお姉様、素が出ていますわ。今王太子殿下主催の夜会です。」
フロリアーヌが不満げに言うと、フロランスは周りを見た。
「あら。」
「ねえ、お二人共全然似てませんわね。」
「王太子殿下間違われてましたわよね?」
「フロランス様ボロボロですわ。」
「あんなドレス、王太子殿下の婚約者なのになぜ。」
「エスコートもなく・・・」
そのヨレヨレがフロランスだと理解したバンジャマンは、何事もなかったようにスッと立った。エレーヌはまだ顔色が悪い。
「やっと来たようだな、フロランス!お前との婚約破棄は宣言した後だ!今さら来ても遅かったな!」
「婚約破棄?」
「そうだ!嫉妬に狂ったお前はスクラントン王立学園でエレーヌに暴言を吐き、小さな嫌がらせから、大きな嫌がらせまで数々の悪行を重ねた。」
「私婚約してたの?」
フロランスはフロリアーヌを見た。
「・・・ランスお姉様、婚約したから王宮で暮らすことになったんですわ。」
フロリアーヌは扇で口元を隠しながら囁いた。
「そうなの?雇われたんだと思ってバリバリ仕事しちゃったわ。」
「無休な上に無給だったのでは?」
「え!そうなの?」
フロランスはバンジャマンを見た。
「あなたがどなたか存じませんが王族の方ですよね?壇上にいますもの。私のお給料が払われてないって本当ですか?」
「俺は知らん。そんな事より、学園でエレーヌに嫌がらせをしたことを謝れ!転ばせたり、池に突き落としたり、階段に突き落としたり、」
「私は学園には通っておりませんわ。」
フロランスは腕を組んだ。
「入学はしました。通う前に王宮で働くように言われて、特例とやらで卒業資格をもらいましたわ。試験と論文提出がありましたけど、全て王宮でやりとりしました。ですから、学園には通っていないし、なんなら既に卒業しております。」
バンジャマンは考えた。
「はっ!では誰かにやらせたのか!」
「誰に?学園の方との交流はありませんわ。ああ、リアーヌは通ってた?」
「ランスお姉様、通っていましたけどバンジャマン様は見たことがありませんわ。校舎が違いますもの。」
「そうなの?」
「成績で分かれておりますから。」
「・・・とにかく婚約は破棄する。お前が何らかの方法で傷つけたエレーヌは勇気を出して俺に相談してくれた。」
バンジャマンはエレーヌを見つめた。
「すまなかった、エレーヌ。俺のせいで苦しませて。」
フロランスは手を挙げた。
「あのー、そちらの女性は第一王子ファブリス様のお友だちの方では?愛妾にされると聞いて諸々手配していたんですけれども。」
「何を言っている!エレーヌは俺の妻になる女だ!」
「先週ファブリス様に紹介された人に似ているような・・・誰かファブリス様をお呼びして!」
フロランスが指示を出すと、男性が走っていった。エレーヌは逃げたそうにしているが、悦に入ったバンジャマンがガッチリとエレーヌの腰を抱いている。
「えぇっと、」
「バンジャマン様ですわ」
「もしかして第三王子の?」
フロランスはバンジャマンを見た。
「私のお給料なんですけども・・・」
「生意気な!お前ごときに払う金などない!俺が婚約してやったから働けたのだ!感謝しろ!婚約は破棄するが、今後も働かせてやってもいいぞ?王太子の俺のことが好きなんだろう?」
バンジャマンは得意げにニヤリとした。
「え?払う金がないってどういうこと?嘘でしょう?はあぁぁ、何のために公共事業とか法律改正とかあんなに時間割いたのよ!・・・いや、みんなのためよ?暮らしやすくしたかったわよ?でも無給だなんて・・・」
フロランスはへたり込んだ。
「無給って、タダ働き?」
「王太子殿下の名で発表されてたわよね?」
「優秀だから王太子だったんじゃないの?」
「え?丸投げ無給王子?」
貴族たちは囁き合った。フロランスは項垂れていた。
「では改めて、皆のものよく聞け!俺、バンジャマン・スクラントンはフロランス・アーバインとの婚約を破棄し、この麗しきエレーヌ・レンフルーと新たに婚約することをここで宣言する!」
「エレーヌ!」
誰かが駆け込んできた。
「愛しのエレーヌ、どこだ?なにがあった?」
エレーヌは壇上でバンジャマンに腹に手を回されて逃げられないでいた。
「エレーヌ!」
エレーヌは目を逸らした。
「バンジャマン!何をしている!」
「ファブリス兄上、フロランスとの婚約は破棄し、新しい俺の婚約者を発表しておりました。」
「なんだと?王太子を降りるのか?」
「え?なぜですか?」
「フロランス嬢との結婚が王太子の条件だったからだ。お前1人で何ができる。私には愛する婚約者がいるからと継承権を放棄したのを忘れたか?」
「ランスお姉様が好みじゃなかったってことかしら?」
フロリアーヌは扇の陰で呟いた。フロランスは無給の衝撃から立ち上がった。
「ファブリス様、あの女性は先週愛妾の件でお会いした方ですよね?」
それはもう会場中に響くような声だった。
「フロランス嬢!どうしたんだその格好は?」
「5連勤です。文字の解読に時間がかかった上に資料の添付もなく制度を調べたりなんだりとにかく時間がかかりまして。急に呼び出されて来たらこの状況です。」
フロランスは捲し立てた。
「ランスお姉様、どうなさいます?婚約破棄を受け入れますか?」
「受け入れるも何も、さっきまで知らなかったんだからどっちでもいいわ。それよりもお給料をもらわなくっちゃ。こんな職場、こっちから願い下げよ!」
フロランスはぷりぷりと怒りながらホールから出て行った。
「エレーヌ!どちらを選ぶんだ?私か?それともそのバンジャマンか?私はお前のどんな過去も愛せる自信がある。ちなみにバンジャマンは王太子にはなれないぞ?」
「えっ。」
エレーヌは迷っている様子だった。
「ファブリス様は婚約者の方がいるけど、どうなの?」
囁き貴族たちがまた囁きなのに妙に通る声で会話を始めた。
「ドライな方だから愛妾は受け入れると思うわ。」
「政略結婚でしょ?」
「第一王子に新しい公爵家を興させるには問題があったみたいよ?」
「それでタウンゼント公爵家が引き受けることに?」
「現当主様がしっかりしているから誰が婿でも大丈夫だと思うわ。」
「ファブリス様はお顔は綺麗ですもの。」
エレーヌはバンジャマンの手を振り解いてファブリスへと走った。
「ファブリス様、私怖かったですわ。」
「エレーヌ!」
二人はヒシッと抱き合い、手を取り合ってホールから出て行った。
バンジャマンは呆然としていた。
「ではバンジャマン様、婚約解消の件フロリアーヌ・アーバインが承りましたわ。これにて失礼いたします。」
フロリアーヌは優雅にカーテシーをしてホールから出て行った。囁き貴族たちもそれに続いた。残された貴族たちも一人、また一人とホールを出た。バンジャマンの執事が迎えにくるまで、誰もバンジャマンに声をかける者はいなかった。
「だって私は『死んだ』とは言っていませんもの。」
フロリアーヌは侯爵家の談話室にいた。
「紛らわしい事を言ったんじゃないのか?」
アーバイン侯爵は訝しげにフロリアーヌを見た。
今までの分の給料を金貨で持ち帰って来たフロランスはご機嫌だった。昨日は実によく眠れたのだ。
「良いじゃないお父さま、リアーヌは立派だったわよ。」
金貨を眺めては数えているフロランス。アーバイン侯爵は深いため息をついた。
「まったく。婚約者が居なくなったんだぞ。もう少し落ち込むものでは?」
「居た覚えがないのですけれど?」
バンジャマンは王位継承権を失った。陰で頭がお花畑と揶揄されていたこともあり、誰も反対しなかった。すっかり心が折れた王妃とお花畑バンジャマンはファブリスが婿入りしたタウンゼント公爵家の領地で暮らしている。タウンゼントの職人がビシバシ躾けて今では良いワインの作り手になったとか。
王にはもう一人息子がいた。側妃の息子、ステファン第二王子。心優しく実直な彼が王太子になった。婚約者はフロリアーヌの友人の隣国の王女。フロリアーヌはステファンの側近と結婚し、アーバイン侯爵家を継いだ。フロランスは契約書有りで王宮に復帰し、宰相の地位を得た。
給料を貯めてはパーっと使うフロランス。街は綺麗で暮らしやすくなり、商店街も発展。医療も充実。
「私好みの快適な街になったわ。」
とご満悦だった。
完
少しでも楽しんでもらえていたら嬉しいです!