現れたもの
「到着、しました、茜さん」
「はい! お疲れ様ですっ。ここが深層、ですっ! さてさてリアルタイムアタックの結果は──」
よっこいしょっと茜さんを下ろす。
当の茜さんは、しっかりラジ夫の方を向いて、視聴者に語りかけるように告げると、一度手元のスマホへ視線を落とす。ストップウォッチの機能で、時間をはかっていたようだ。
──なるほど。常に、視聴者の存在を意識してるし、ああやって、見る側にそれがちゃんと伝わるようにしてるんだ。その上で、間をつくって期待を煽るのか。勉強になるな……
俺は感心して茜さんの振る舞いを観察する。学ぶべきところが多い。そしてその茜さんの振る舞いで炎上していたコメントもかなり方向性が変わりつつあった。
'ようやく離れやがったぞ。もっと距離とれやっ。'
'これ、相当良いタイムが出たんじゃね'
'良いも悪いも、比較対象ないだろ。深層RTAなんて'
'これが深層か。ダンジョン配信史上でも、かなり貴重な絵だろこれ'
'ぱっと見は意外と普通?'
'いや、よく見ろ。高濃度の魔素がまるで霧のように漂ってる。あれ、すぐにでもモンスターがポップするぞ'
'まじか、あ'
'現れた瞬間、瞬殺された'
'今のオーガ系上位種だったよな。ワンパンかよ'
'オーガさん涙目'
俺は茜さんの邪魔になりそうなものを排除しながら、その語り口やボディランゲージに集中する。
そのときだった。俺のカンストさせた全探索スキルに未知の反応。
──なんだこれは? え、お休みトラップの方から!?
俺は配信の邪魔になるのは承知の上で、茜さんの前に割り込む。
「あっ、ん……」
そのまま茜さんを抱き上げて、お休みトラップから距離をとるように一足飛びに移動する。
次の瞬間、ダンジョン内に充満する魔素を吹き散らかす勢いで、お休みトラップから何かが溢れだす。
半実体化している魔素が、叩きつるように俺たちへと迫るのを、俺は背中で受けて茜さんを庇う。
「な、何が起きてるの……」
「しっ!」
俺は茜さんの口をそっと片手で塞ぐ。何か未知の存在が顕現したことが、俺の全探索スキルを通じて伝わってくる。
俺は吹き荒れる魔素の霧に隠れるようにして、その謎の存在を確かめようと目を凝らす。
──逃げるにしろ決死の覚悟で戦うにしろ、全ての要となるのは情報だ。音に過敏に反応する敵の可能性もある。茜さんにはすまないけど静かにしてもらわないと。
まだ、見えてこない。ジリジリとした緊張。
──いざとなれば。茜さんだけでも……
腕のなかに茜さんをそっと抱きしめ、焦燥を抑え込みながら、俺は必死に目を凝らし続ける。
ようやく、その存在の影形が少し見えてくる。
──あれ? ──意外と、小さい? いや、気を抜くな。脅威度と体のサイズは比例しない。
「ん、んっ」
押さえた手のひらにかかる、茜さんの熱い吐息。しかし今は気にしていられない。
「……犬? え、ポメラニアン?」
漂っていた魔素の霧が落ち着く。
晴れた視界の先。お休みトラップから現れた存在は、まるでポメラニアンの子犬のように、俺には見えた。