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司教さまに一か八かでした私の提案が、聞き入れてもらえたことがわかったのは、運命の日当日の昼下がりだった。私たちは修道院の庭にキャンプを設置することになった。
住処や寝床がない、家に居るのが不安な人を呼び込んで泊まってもらうことになったそうだ。希望者を募り、集まった人たちの修道院までの誘導は王都警備隊が担ってくれたようだ。定住している人々に外出禁止令が出されたのかは私たちには知らされなかったが、一番危険な立場にある人たちに手が差し伸べられたのは良かった、と私は胸をなで下ろす。
「ふう、テントの設置するの初めてだから……なかなか大変だあ」
汗を拭いながらアカリが言う。
「これでみんな安心して一晩過ごせると良いけど……まあ、何事もないのが一番良いんだよね」
「ええ……そうね」
でも、残念ながらそうはならない、と心の中でだけ付け加える。
テントの設営が終わると、今度は炊き出しの準備に取りかかり、そうこうしているうちに日が暮れ始めた。王都警備隊に連れられた市民がぞろぞろと修道院の敷地内へ入ってくる。本来ならば部外者には解放していない場所だ。念のため、建屋へ侵入者がないよう、そちらの方にも警備を当ててもらっている。見慣れぬ厳かな雰囲気に気後れする様子の老人から、無邪気な子供まで、三、四十人ほどはいるだろうか。宿泊にあてがうテントを振り分けたり、食糧を配布したりと慌ただしい時間が一段落した頃には、空はすっかり真っ暗になっていた。もう少しすれば、満月もよく見える高さまで昇ってくるだろう。
「クララ嬢、アカリ嬢、お疲れさーん」
「あ、ユージークさん」
気安い挨拶を交わす二人の声を聞いて、私は慌てて振り返る。ユージーク殿下とフェリクスさまが、連れだってこちらへ歩いてくるところだった。にこにことしながら手を振る殿下から一歩下がって、フェリクスさまは無言で無表情だ。
私は二人に向けて軽くお辞儀をする。
「臨時キャンプ場に避難したいって人たちを誘導してきたとこー。貧民街の辺りも見てきたけど、今のとこ、変わった様子はなかったよん」
「わー、それは良かった。このまま夜が明けてくれるといいな……」
「だね」
会話をする二人の姿にふと違和感を覚えた。ゲームに関してあまり詳細には覚えていないが、この日、二人は修道院には居なかった気がする。メインストーリーは修道院の外で進行したはずだ。
私がこのキャンプを提案したことで、シナリオに影響が出たのだろうか? 奉仕活動の日の朝の一件で、私の行動はシナリオで制限されているのかと思ったのに――
「警備隊、緊急召集!」
突然、広間に緊迫感のある男性の声が響きわたり、私の思考は中断された。実家の屋敷でも、修道院でも決して聞くことのない、戦士のかけ声のような迫力だ。思わず身体が震えた。
「修道院警護担当の者以外は、ただちに集合!」
広間にいた二十人近い男性たちが一斉に、敬礼のポーズのようなものをとった。それからすぐに、修道院の外へ駆けだした。集合場所はこことは別にあるらしい。
「はわわ、なになに!?」
驚くアカリに、ユージーク殿下がウィンクする。
「騎士の出番ぽいねー。アカリちゃん、応援しててー」
軽口を叩く殿下と共に走り去ろうとしたフェリクスさまが、ちらと私たち二人に視線をやった。それは一瞬のことだった。目が会ったと思った。きっと何の意味もないただの目線の動きなのに、どうしてそれだけで私の頭は冷静さを失うのだろう。
「フェリクスさま」
いつもなら逆に声も出なくなりそうだったのに、何故か今は、思わず名前を呼んでしまった。名前を呼ばれても尚、返事もなければ、表情に変化も見られない。
「――お気をつけて」
わずかに頷いたように見えたのは、私の願望が見せた幻覚だろうか。
走り去る騎士たちの後ろ姿を見送ると、今度は庭内がにわかにざわつき始める。
「司教さま、何が起きたのでしょう」
キャンプの世話に来ていた修道女たちを集めると、司教さまは声を潜め、しかし威厳を損なうことなく毅然とした様子で告げた。
「王都内に魔物が進入したそうです。警備隊はその討伐のために一部を残してここを離れました」
日も落ちてきたので、庭で支援に当たっているのは年長者だけだ。その女子たちが動揺で取り乱すより前に、司教さまは続ける。
「皆さんは、この修道院の庭に招き入れた人々が混乱しないよう寄り添い、また、救護が必要になった時に備えなさい」
「承知いたしました」
私たちはすぐに庭内に散らばり、人々が不安がらないように話し相手になったり、年寄りや乳幼児の世話の介助をしたりして回った。
警備隊の面々が物々しく修道院の庭を去ったときは動揺していた人々も、次第に落ち着きを取り戻す。
元気の余った幼い子どもたちが数人、無邪気に駆け回っている。アカリはその子どもたちに付き添っているようだ。ちょうど手が空いた私は、アカリに声をかける。
「子供たち、元気そうね」
「うん、兵隊さんたちが大きな声を出した時にちょっと怖がってた子もいたんだけど、もうすっかり落ち着いたみたい」
「ターシャは一緒じゃないの?」
私は駆け回っている子供たちの面々を見回して、ターシャがいないことに気づいた。彼女たち親子は今は貧民街の近くに家があるのだが、自分の帰りが遅くなるかもしれないからと心配した母親が、昼頃に修道院にターシャを預けていったのだ。
「あれ? さっきまで一緒に遊んでたんだけど……」
じゃれ合っている子供たちの中に、その姿はない。周辺やテントの中を見回ってもターシャは見つからなかった。
修道院の出入り口は、王都警備隊の人が護衛の為に立ってくれている。その人に尋ねても、八歳ぐらいの少女を見てはいないという。
「どこかで迷ってるのかな……」
私とアカリは手分けして修道院の敷地内を捜索することにした。
満月とはいえ建物の影に入ると途端に暗くなる。うっかり暗い場所に迷い込んで、怖くなって動けなくなっているのだろうか。ランタンを手に、ターシャの名を呼びながらあちこちを歩き回る。
建物の周りをぐるりと一周してしまい、尚も見つからず焦りを覚えたそのとき、修道院と街を隔てる塀の向こうから、悲鳴が聞こえた。
「キャー!」
「ターシャ!?」
私がその名を呼ぶのと同時に、どこかからアカリの声も響いてくる。ターシャはどうしてだか、修道院の敷地から出て行ってしまったようだ。
――どうしよう、塀の向こう側へ行かなきゃ。正面の門まで回り道をすると時間がかかってしまう……。確か、この辺りに非常用の小さい扉があったはず……。
急いで煉瓦づくりの塀の壁を触りながら扉を探す。錆び付きかけたドアロックを手間取りながらなんとか開けると、小さな扉から塀の外へ這い出る。
塀の外に出てしまうと、満月の光で視界は比較的明るかった。辺りを見回すと、数十フィート先に、ターシャがいるのがすぐに見つかった。
そして、ターシャの悲鳴の原因も。
「そ……んな……!?」
予想外のことに、私は思わず息を呑んで固まる。
今日、何が起こるのか、私は前世の記憶によって知っていた。でもこれはもっと修道院から離れた場所で起こるはずだったのに。
腰を抜かし震えるターシャの前に、巨大な魔物がいた。
姿形は、人間の中年男性に似ているようにも思える。しかし衣服をほとんど纏わず、頭髪や髭を無造作に伸ばし、背骨が大きく前のめりに歪み、虚ろな目からは我々と交信できるような知性を感じさせない。
「オーガ……!」




