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奉仕活動の日は丸一日それに費やされるが、翌日からは通常の生活リズムに戻ってゆく。
礼拝堂の掃除をアカリと二人でしていると、ふと奉仕活動中に感じたらしい疑問を口にした。
「それにしても昨日、支援を求めてやってきた人、とっても多かったね。病気や怪我をしている大人も大勢いたし……ずっと昔からのことなの?」
「……いいえ」
私は、わずかな緊張から唾を飲み込んだ。
「そうね、三年ぐらい前からかしら……」
「ええっ? 一体どうして……」
これは、アカリのストーリーの進行のキーになる世界観の説明だ。そう言えば、ゲームでもこの通りの流れだったような気がする。
不自然でないように、何気ない会話に聞こえるように努めながら、私は言葉を選ぶ。
「その頃から、どうしてかわからないけど、首都の周辺に時々、怪物が出るようになったの」
「かい……ぶつ……?」
「魔力を持った異形の存在……オークとか、ゴブリンとか、理性を持たず人々を無差別に襲う魔物。元々は人里離れた場所に時々出没するぐらいで、あまり存在も知られていなかったものだったんだけど……三年前から急に、この首都近くの田畑に出没するようになって……襲われて怪我を負った人が農業をできなくなったり、安全に都の周りを出歩けなくなったせいで物流に影響が出たりして、生活が苦しくなっている人が段々と増えているの」
「そんな……大変なことが起こっているのね」
「あ、でも、人の多い場所にはまだ出没することはないみたい。首都には防壁もあるし、ここまでは襲ってこないはずよ」
「そっか……でもきっと、出没場所の近い人たちは毎日不安だろうね……」
「ええ……」
実際、魔物に襲われて命からがら都の中まで逃げてきた人も多く、教会が保護して治療やその後のケアに当たっている。
「士官学校の人たちはゆくゆくは王家の騎士になるために鍛錬や勉学に勤しんでいるんだけど、魔物が増加するようになってから、王都内外の警備隊の仕事に実習という形で加わるようになったの。奉仕活動の時も士官学校の方々がいてくれたのは、そのため」
「そうだったんだ……」
「修道院はもともと、神に祈ることに生涯を捧げる女のための場所だったの。だから今も、一般に生活してる人々からは隔絶されているけれど――困ってる人々には、私たちができることを精一杯してあげたいわよね」
「できることって、お祈りとか奉仕活動、だけなのかなあ」
「え?」
アカリはすっかり窓を磨いていた手を止めてしまって、真剣な表情で言葉を選んでいる。
「たとえばさ……その、神さまに、怪物を追い払ってくださいってお願いしたら――とか」
「もちろん、儀式の際には、司教さまもそのようなことをお祈りはされているはずだけど……」
信仰心に関しては、私たち世代の者は、だいたい同じレベルだと想う。聖典に描かれるこの世界の「理」については信じているし、生活の規範はすべてラーダ神を信仰するこの宗教の教えに基づいているものだが、前世の世界によくあった神話のように、具体的な肉体を持った、神と名乗る超人が現れて、人智を越えたすさまじい力で敵をなぎ払ってくれる……とか、そういうことを期待はしていない。
「うーん……」
何かを考え込みながら、アカリは再び窓磨きの作業に集中し始めた。私も食事用の長いテーブルを磨き始めながら、アカリの言ったことについて考える。
私たちにできること。もちろん、アカリはこの後、その怪物たちと直接戦い、おそらくは、この王国に再び平和を取り戻す。
でも私は……?
何かできることはあるだろうか。私の立場で。
「あ……そうだ」
ぽつりと、思わず呟いてしまった私の声に、アカリが反応する。
「どうしたの? 何か思いついた、クララ?」
「あ、いえ、ごめん、なんでもないわ」
私とアカリとの関係も、あと数日で変化が訪れるだろう。そしてその運命の日は、初めて首都内に危機が訪れる日でもある。
掃除の時間が終わった後、私は一人で司教さまの執務室を訪れた。
司教さまはこの修道院の中で一番立場が高い人だ。修道院の中の私たちの様子を見て回り、声をかけてはくれることはよくあるが、本来の仕事がお忙しい時期などはしばらく顔を見かけないこともある。
「クララ嬢、お久しぶりですね。おつとめには励んでいらっしゃいますか」
「はい、司教さま」
「アカリ嬢もお元気にやっていますか。異界からやってきたという特殊な事情を抱えた少女の世話役をいきなり頼んでしまって、苦労をかけていないか少し心配していたのです。しかし、クララ嬢以上の適任はいないと想いましたので」
「アカリは利発で心根も優しくて、すぐに周囲に馴染んでしまいました。何も心配要りません」
これは事実であり、私の本音であった。はっきりとそう言い切ると、司教さまは安堵したように微笑む。
「それはよかった。それで、今日は私に何か相談があるようですが?」
「はい、司教さま。先日、奉仕活動で、貧民街の様子を見て参りました」
「クララ嬢は奉仕活動に熱心で、とても良い心がけですね」
「ありがとうございます。それで……やはり、市外から逃げてきた者や、実際に魔物に襲われて怪我をした者……そういった、魔物の被害者が増えているのを感じます」
「胸の痛むことです」
「それで、司教さま」
本題に入る前に、軽く深呼吸する。目上の人にこのように何かを提案するのはこの世界に生まれて初めてのことだ。
「明後日は、満月なのです」
「確かそうですね」
「奉仕活動の時に、士官学校の方とお話する機会があり得た情報なのですが、満月の夜は、魔物の出没する機会が多くなると言われているそうなのです」
「それは、本当ですか」
全くの嘘だ。士官学校の人から聞いた話でもないし、そんな統計も伝説も存在しない。単純に、二日後の満月の日にそれが起こるということを、私だけが知っているのだ。
「――はい、本当です。あくまで現場で警備に当たっている方々の感覚的なものではあるそうなのですが」
生まれて初めてのはったりが、あまりに堂々と言い切れたことに、罪悪感――というより、自分の怖さを一瞬感じないでもなかったが、とにかく、話はこれからがキモだ。
「それで――クララ嬢の言いたいことは?」
「万が一に備えて、その日は、日没後に街の人々に外出禁止令を出して、家がなくて困っている人には修道院か教会で一晩寝泊まりをしてもらう、というのはどうでしょうか」
ゲームでは、このときに実際に死者などが出たのか、どんな人が被害にあったのかはわからなかった。でもたぶん、都の中に進入してきたモンスターの犠牲に真っ先になったのは、貧民街に住む弱者が主ではないかと予想される。
「クララ嬢、しかしそれは……魔物たちが都の中に進入してくることがなければ、必要がないのでは?」
「今のところは、都内への進入も直接の被害もありません。騎士団の皆さんのお働きもあってのことだと思います。でも魔物の数は徐々に増えていて、市民の――特に貧しかったり、弱い立場にある者たちの不安も日ごと高まっています。そういう人たちに、いざというときは市政や教会が市民へ手を差し伸べるし、普段から常に気にかけている、という態度を示すためにも、今からこう言った手を打っておくのも、必要ではないかと――」
語っているうちに、緊張していたのが解けてむしろ熱く夢中になっていたことに気づいた。真剣な表情で考え込む司教さまの様子に、急激に頭が冷える。
「あの、突然、私、生意気なことを言ってしまって――」
「いえ、クララ嬢。あなたが優秀な女性であることを知ってはいましたが、このような意見を聞かせてくれるとは思いませんでしたよ。感心いたしました」
司教さまが静かに立ち上がる。少し厳しげにも見えた先ほどまでの表情が、わずかに緩んだ。
「このお話は、市長どのにも伝えておきましょう。確かに、魔物の驚異はこれからもまだ続きそうですから――」
「あ、ありがとうございます!」
できれば聞き入れてもらえると嬉しい。ヒロインでもない、悪役令嬢かもしれない私にできそうなことといえば、これぐらいのものだから。