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「ここが私たちの部屋になるわ。原則、二人で一部屋なの」
私は異世界――というか、平成の日本からやってきた謎の少女・アカリの、修道院での生活を手助けする役目を仰せつかった。
現在ここにいる、アカリと歳の近い女子の中では私が一番身分が高く、先生方からの覚えも良かったし、更に都合の良いことに、つい先週まで私と同部屋だった友が実家から呼ばれて修道院を出ていったばかりで、ちょうど同部屋のベッドが空いていたためである。
「朝は太陽が出たらおつとめをして、日が沈んだら就寝時間よ」
「おつとめ……って?」
アカリが不思議そうに首を傾げる。
「ここは「修道院」なの。この国で奉っているラーダ神へ祈りを捧げたり、地域へ奉仕活動をしたりすることを、おつとめって言うのよ。私たち若い女子はそのおつとめの合間に、神話や医術、歴史、魔法について学んだりしているの」
「魔法……」
アカリが少し不安げな顔で、私の言葉を小さく繰り返した。そのファンタジーめいた言葉に、異世界に来たことを実感し、心細くなっているのだろう。
というか、ゲーム中にそういうモノローグがあった気がする。
「すっかり暗くなっちゃったから、そろそろ寝ましょう。明日また、ここでの生活について詳しく案内するわ。今日は疲れたでしょう? とりあえず今夜は、しっかり休んで」
「うん、ありがとう、クララ!」
アカリは何かを吹っ切るように笑顔を作った。
この世界では見慣れない東洋風の顔立ちだが、それでも可愛らしく人目を引くことは間違いない。
まさにヒロイン、という存在感だ。
+++
日が沈み、月もまだ出ていない。部屋の中は真っ暗だ。アカリは寝ているのだろうか。寝息は特に聞こえない。
私は、というと、全く眠れそうになかった。
今日になって急に蘇ってしまった、大量の記憶で頭が混乱している。
乙女ゲーム「mythical moon~聖女の世界救済~」は、確か、前世の私が大学一年生の頃に発売されたコンシューマー型のPC用ゲームだ。
前世の私は小説やマンガを読むのは好きだけれど、あまりゲームはやらないタチだったのだが、その頃、大学に入ってすぐに一目惚れした同じ学部の男子生徒に失恋してしまい(私が彼の名前を知り、相手に名前を覚えてもらい、三日に一回の頻度ででも「おはよう」と挨拶を交わせるようになったことに幸せを感じられるようになった三ヶ月の間に、彼はとっくにおしゃれで垢抜けた可愛らしい女の子と不純異性交遊を開始していた)、結構な精神的ダメージを受けており、そんな様子を見かねた高校時代からの友人が軽い調子で勧めたてきたのが、「乙女ゲーム」だった。
そもそも恋愛経験も浅いのだし、ゲームの中で恋愛をシミュレーション、疑似体験してから、現実に目を向けてみれば。あと、今の失恋のショックを、新しい趣味に向けることで忘れられるかも。などと言われ、グーグル先生に「乙女ゲーム」「おすすめ」で検索して出てきた「おすすめ!話題の乙女ゲーム最新情報」の中に、「mythical moon~聖女の世界救済~」はあった。
正直どんなゲームが良いのかわからないし、比較的新しめの作品の中で、パッケージの絵が綺麗でかわいらしく、華やかな雰囲気を醸し出しているし、と特に深く考えずにdダウンロード・インストールをして、プレイを始めたのだ。
うん、そうそう、そういう経緯で始めたゲームだった……。
そこまで思い出して、ふう、とため息をつく。
前世での人生は、全てを思い出せているわけじゃない。前の人生で特に印象的だったことが、より現世の私の脳によみがえりやすいのだと思う。
だから、このゲームとの出会いのことは本当に今日、あの瞬間まで一度も思い出したことがなかった。
それもそのはず。
前世の私はこのゲームのプレイを、途中で飽きてやめてしまったのだ。つまり、存在すら忘れてしまうぐらい、ひとつも思い入れがなかったのだ。
このゲームは、日本からこの世界にやってきた女子高生のアカリが、修道院で暮らしながらこの世界のルールや理を学ぶ、いわゆるチュートリアルパートから始まる。
その次に、いよいよこの世界を乱す通称「魔王」との戦いの為に世界を旅する本編パートが展開されるのだが――
この本編パート開始直後にいきなり発生した中ボス戦で、ゲーム、とくにRPGに慣れていなかった前世の私は、何度もパーティが壊滅しゲームオーバーになり、ぜんぜん勝てる気がせず、すべてを諦めてしまったのだった。
ゲームソフトの入ったケースと、購入時についてきたノベルティ(攻略キャラの誰かのキーホルダーだった気がする)は大量のホコリにまみれ、死後はおそらく家族にリサイクルショップにでも売られただろう。まあそれはいいんだけど……。
問題は、前世の私はこのゲームのプレイを途中で放り投げてしまっていたために、肝心の、本当のメインストーリーの展開をほとんど知らないということだ。いやまあ乙女ゲームなんだから、攻略対象のイケメンたちと愛をはぐくんだりしながら悪しき敵と戦い抜き、王国を守るという展開なんだろうけれど――
この「mythical moon~聖女の世界救済~」に関してもう一つ、完全に忘れていた記憶が蘇った。
それは、社会人になり、鬱々としたりストレスフルになったりしながら、憂さ晴らしができそうなゴシップを探してインターネットをサーフィンしていた、件のゲームを放り出して五年とちょっとほどが過ぎた頃のことだ。
「乙女ゲームで一番悲惨な目に遭ったキャラ決めようぜwww」という5チャンネルのまとめブログを見つけた。
なんでそのリンクをクリックしてしまったのかは覚えていない。とりあえず中を見てしまったら、まさかの一位に見覚えのある文字列がでかでかと記されていた。
悲惨度、堂々の一位……「mythical moon~聖女の世界救済~」のサブキャラ クララ・フォアティルト!
――ああ、そういえばこのゲーム、途中で挫折したけどプレイしたなあ。クララって最初の方で主人公に親切にしてくれた女の子で、修道院を出たらもう関わりなさそうなポジションじゃなかった?
とはいえ、そのときの私にはそれ以上の感想は湧かなかった。どうでも良かったから。
どうしてあのとき、もう少し興味を持って、ウィキペディアとかでネタバレ情報をかき集めなかったんだろう。
クララ・フォアティルト。
異世界からやってきったばかりのヒロイン・アカリに修道院で色々教えてあげる脇キャラ。
どう考えても、今の私である。