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 夜会を抜けて馬車に乗る。何かただならぬことが起こったと顔色を変えた私を心配して、カドリン叔母も付き添ってくれることになった。


 ルブルス伯爵邸の庭を出て、それを囲む林に入ると、満月の夜だというのに、辺りは真っ暗になった。伯爵邸は王都の中でも中心部にあるからまだ大丈夫だが、これが郊外にある邸宅なら、魔物に怯えて駆け抜けなければならなかっただろう。最近では、都を囲む壁の外にある邸宅では夜会の開催頻度が減っているという話も聞く。


 林を抜けると、月が南の空に高く昇っていた。


「お兄さまは手紙でなんて?」


 事情を詳しく話していなかったため、カドリン叔母が尋ねてきた。


「よくわからないんです、急いでピューリオ家に来てくれとしか……」

「ピューリオ家に?」


 不可解だと言わんばかりに眉根を潜められたが、私もわけがわからず困惑しているところだ。


 フェリクスさまの実家でもあるピューリオ家は、父方の縁戚にあたる。すなわち、カドリン叔母とも血が繋がっていることになる。しかし、こんな時間に緊急で呼び出される理由が思い当たらない。落ち着かない気分のまま、二人沈黙する。


 四半刻も経たない内にたどり着いたタウンハウスは、我が家のものよりやや大きいものだった。玄関に明りは灯っているが、大々的に客人を出迎える様子はなく、執事の男性一人と数人の使用人だけが立っていた。


「お待ちしておりました、クララ嬢」

「父からここに来るように言われたの」

「詳細を屋敷の中でご説明いたします」


 初老の男は慇懃だが、どこか緊張した面もちにも思える。

 通されたのは客人用の応接間だった。


「クララ、来てくれたか」

「お父さま、これは一体?」


 部屋にいたのは父とその護衛騎士ひとりだけだった。私と叔母が入室すると同時に、ピューリオー家の執事が一旦退出し、部屋には身内の四人だけとなる。


「お前の力を借りたくて呼び出した」

「私の力?」

「我が一族はラーダ神の光の加護を受けている。お前はその中でも幼い頃から魔法の才があった。修道院では治癒魔法を中心に修学していたはずだね?」

「はい……学士相当の資格を拾得しています」

「実践の経験はどれぐらいある」


 話が見えてくると同時に、動悸がしてきた。光魔法は治癒魔法に通ずるため、いずれ役に立つこともあろうと積極的に勉強したが、あくまでも座学が中心だった。実際に治癒魔法を発動した機会は、奉仕活動での簡単な怪我や病の治療程度だ。

 しかし、おそらくこの屋敷内には、それとは比にならない何か深刻な状態の人物がいるのだ。私が実践で使ったことがあるのと同じ程度の光魔法なら、父やピューリオー家の関係者でも可能なはずだから。


「……どなたかが、大がかりな治療を必要としているのですね」

「かなり重傷の怪我を負っている人物がいる。ピューリオー家の主治医や私の光魔法では歯が立たなかった」

「誰なんですか?」


 聞きながら、緊張で口の中が乾いているのを感じた。唾を飲み込む。父が困ったように目を伏せる。


「……できそうか?」


 確証がなければ、当人の姿を見せられない、ということなのだろう。つまりそれだけ、ピューリオー家にとって重要な人物だということだ。安請負をしておいて結局治せなかったとなれば、両家の関係にヒビが入る可能性もある。


 ――でも、もしも、それがフェリクスさまだというなら。


「やらせてください、お父さま」

「大丈夫なのか、実践経験はどれほどある」


 そう言われると苦しい。言い方を考えなければならない。絶対にここで引くわけにはいかなかった。


「修道院内でも、怪我や病の治療に携わる機会は多々ありました。司教さまには治療師として従軍してもよい程度の力はあると評して頂いています」


 まっすぐ父の目を見つめ、堂々と言い切る。

 嘘は言っていない。そう自分に言い聞かせている間にも、瞳は揺れていたかもしれない。父が私を見る目が、少し哀んでいるようにも見えたから。父には幼い頃から、私の気持ちがばれているのかもしれない。


「……わかった。お前に任せよう」


 執事に案内され、静かな館の廊下を黙って歩く。大きな扉をゆっくりと開けると共に、何か圧倒してくるような、気配が襲ってきた。


 ――これは……闇魔法のオーラ?


 目には見えない、第六感に訴えかけてくる不穏な「何か」が、部屋に充満している。

 質素な部屋の中央のベッドに、果たして、その人はいた。


「フェリクスさま」


 部屋に入った瞬間は、闇魔法のオーラに縛られそうなぐらいの圧を感じたのに。

 その姿が目に入った瞬間、私は人目も気にせず駆け寄っていた。

 部屋の灯りが、完全に血の気の引いてしまった顔を照らしている。黒い毛先が汗と血で固まり汚れた肌に張り付いている。


 ――血のにおい。


 かけられたシーツの下を目視しなくても、相当の出血をしたことが、それだけ大きな怪我をしたということが、わかった。


「フェリクスさまは……魔獣に襲われたのですか?」


 尋ねると、父と執事が軽く顔を見合わせた。


「クララ、彼が魔獣討伐の任務に就いていたことを知っていたのか?」

「ええ……まあ……」


 曖昧に答えると、視線をフェリクスさまに戻す。呼吸は辛うじて続いているようだが、かなり消耗していることが伺える。


「私の力と反発し合う、闇魔法に似た気配が感じられます。詳しくないのですが、魔獣の仕業だとしたら、私の光魔法で相殺することができるかも……」

「それは、簡単にできることなのか?」

「……やってみます」


 言い切った声が掠れた。途端に、背後に控えていた執事の顔が急激に崩れた。


「どうか……どうか、坊ちゃまを、お助けください……!」


 先ほどまでの、執事の手本となりそうな完璧な所作から一変し、感情があふれ出したようだった。きっとこの執事は、フェリクスさまのことを、幼少期から知っていて、深い情を抱いているのだろう。もしかすると、私も小さい頃に何度か会っているかもしれない。


「絶対に、助けます、絶対に……」


 宣言すると、二人には部屋から退出してもらった。

 私はベッドサイドで、眠り続けるフェリクスさまを観察する。重病人や怪我人に詳しいわけではないが、これはおそらく、怪我そのものが原因ではない。気、と定義される、人の体に巡る根本的なエネルギーが枯渇して、そのせいで身体の損傷が回復しないのだ。


 ベッドサイドに膝をつく。フェリクスさまの目線と同じ高さに。まるで死んだように眠っている。こんなに汚れ色を失っても尚、美しい顔だと思う。


 この人を、私は、恋慕っていたのではなかったのか。つらくて会えなくなるほど。つらくて、もう会いたくなくて、別の恋にでも落ちようと、好きでもない夜会に無理をして行ってしまうほど。


 煌びやかな饗宴で、のうのうと無為な時間を過ごしていた間に、この人は、国のため、人のため、未知の危険な敵と戦っていたのだ。


 ――私……私は……。


 自分が情けなくて、フェリクスさまが心配で、涙が流れてきて、慌てて拭った。今の自分にそんな資格などあるものか、と思う。


 私はそっと、フェリクスさまの額に手を添える。そこからやはり、私にはあまり馴染みのない、光魔法とは相性の悪い魔力の流れを感じ取ることができる。


 呪いか、それに近いものが、フェリクスさまの体に流れている。これを取り除けば、その後は一般的な医療で回復できるだろう。


 手を取る。あまりにも冷たく、皮膚の硬さは彼が剣をどれだけ沢山振るってきたか――その年月を感じさせた。わずかに彼自身の魔力のオーラが漏れ出ているのがわかる。私は彼の右手を包み込むようにして握り、意識を集中した。


 光魔法で治療をするときは、私自身の体の中にある光の精霊の加護を、対象者に与えるだけでよかった。

 しかし今は、フェリクスさまの「中」にある魔法の力を読みとることが必要だ。彼自身の本当の力と、呪いの闇魔法。


 理論上は、できるはずだ。太古の時代は「除霊」や「浄化」などと呼ばれていた呪術に相当するものだと、最新の光魔法学では結論づけられている。


 意識を収束し、拡張し、また収束する。私の体中の魔力が反応する。フェリクスさまの手のひらでも、魔力が集まり、エネルギーを起こしているのがわかる。熱くなってくる。


 大丈夫だろうか、これで正しい? でも何かが起き始めているのは確かだ。ここれ引くわけにはいかない。


 この人は、絶対に、私が助けたい。

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