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フォアティルト家の当主、フリード、私の父。四十二歳になる子爵家当主は、寡黙で生真面目な性格だが、家族思いな一面もあり、私も弟も心から慕い、尊敬している。
私はお父さまの執務室の前で、軽い深呼吸をした。気合いを入れるために息を深く吐き出すと、意を決して扉をノックする。
「お父さま、クララです」
「入りなさい」
部屋に進み、スカートの裾を摘んで膝を軽く折る。
「ただいま戻りました」
顔を上げると、お父さまは執務室のデスクに腰掛けたままこちらをじっと見つめていた。
「茶会に行ってきたと聞いたが、楽しかったかね」
「ええ……まあ……」
開口一番にその話題を降られると思わず、不意打ちに曖昧に口ごもってしまったが、お父さまはあまり気にする様子もなく立ち上がった。
「何か話があると聞いたよ。そこへ座りなさい」
応接用のテーブルとソファがある位置を示され、私は頷いて腰掛けた。
「お父さまにお願いがあるんです」
「なんだろうね」
もう一度、小さく深呼吸。
「私は十の時に修道院に入って、一通りの教養や最低限の礼儀作法は身につけて、こちらに戻ってきました」
「長い間家族と離れて寂しい思いもさせてしまったね」
「いいえ、貴重な経験ができて、お父さまには本当に感謝しているんです。ただ――」
ここまではうまく話せた。まずはこれまでのことを感謝してから、本題に入る作戦なのだ。
「貴族社会で社交をうまくやっていくために、修道院で得た経験だけでは足りない部分があると痛感しているんです」
「ほう……?」
「その、実際、どう立ち振る舞うべきなのか……とか。茶会で話題を振られたときにどう返すのが家のためのは一番いいのかとか……夜会や舞踏会でも、上手くいくコツ、みたいなのがあるみたいですし……」
「ふむ、なるほど、わかった」
お父さまが私の前で軽く手を振って、やんわりと話を遮ろうとした。
「クララ、私たちは一度、お前の今後についてしっかりと話し合っておく必要があったね」
社交活動の話をしているのに、今後について、とスケールの大きな話に切り替わって、私は小さく首を傾げる。
「まあ、ひとまず、お前が本当に、社交界で色々とやりたいことがあるのならば、確かに女性の立場からお前に教えてやれる年長者が必要だな。特に夜会にはカドリンに付き添ってもらって色々と教わると良い。覚えているね? 君の叔母にあたる人で、今はチューイン子爵家に嫁いでいる。息子が二人居て、女児できないと嘆いていたから、頼めば張り切ってくれるだろう。私から手紙を書いておくよ」
「ありがとうございます、お父さま!」
「しかし、そもそもだ、クララ」
お父さまは優しいのだが、感情の起伏が顔に表れにくいタイプで、よく知らない人間には「無愛想」であると思われがちだ。今も、よく考えの読みとれない表情をしている。怒っている……? 困っている……?
「お前が社交活動にそんなに積極的になるとは、正直思っていなかったのだよ。急にそんなことを言い出すなんて……今日の茶会で何か嫌な思いでもしたのかね」
「いいえ! とんでもない! ムゴリエ夫人もその他のご婦人がたも、とてもよくしてくださいました。私はただ、貴族令嬢のたしなみというのか……もう少し上手く立ち回れるようになれたら、と……」
「ふむ」
私の言葉に、お父さまは少し考えるように沈黙した後、頷いた。
「ラルーアがいてくれれば、こんな風にお前を惑わせることもなかったかと思うと、胸が痛むよ」
ラルーアは、お母さまの名前だ。私が七歳の時、弟のロベルトを出産後に病みがちになってしまい、亡くなった。貴族令嬢としてのマナーや教養、社交界の渡り歩き方などは、母親から教えられ、受け継ぐのが一般的だ。だが、私はちょうど子女教育を受け始めるべき時期に母を亡くし、師を失ったような状態なのだ。
「幼い頃のお前は、大勢のいる場を楽しんだり、人前で注目を集めることを好む性質ではないと思っていてね。ちょうど良い家庭教師が見つからなかったのもあったが、なによりも、修道院のような環境の方が、お前にはあっているかと思ったから、そこへ送ったのだよ」
「わかっています。修道院では良い出会いもたくさんあって、とても感謝しています」
「だから、今更お前に社交界で活躍して欲しいなどと思っているわけではない。お前にはお前らしく過ごして欲しいんだ。ああ、もちろん、本当に茶会や夜会が楽しいのなら止めはしないよ。でももし義務感でやろうとしているなら、無理をすることはない。結婚相手も、時期が来たら私が良い相手を探そう」
「結婚……」
思わぬ言葉が出てつい小声で反復してしまった。父の眉がぴくりと動く。それから、にやりと笑った。
「なんだ、もしや、結婚のことが不安でこんなことを言い出したのか?」
「い、いえ、そ、そういうわけじゃ……」
さっきまで深刻な顔で語っているばかりだった父の口調が突然軽やかなものになる。からかい気味なその言葉にかっと頬が熱くなり、慌てて否定してから、いったん口を閉ざし、考える。
「いえ、全く、というわけでもないですが……その……」
「そうか、クララ、お前も年頃の少女だなあ。良いだろう。カドリンにその辺りのこともしっかりと「ご指導」してもらいなさい」
「し、指導って」
「あれは今は落ち着いているが、若い頃はあちこちの夜会で注目を集めていたからね。お前の求める助言も貰えるだろう」
朗らかに笑う父を見て、戸惑いながらもそれを受け入れた。とりあえずの要求は通ったので、多少の誤解は良しとしよう。
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アカリがヒロインのゲーム「mythical moon~聖女の世界救済~」の登場人物としてのクララ・フォアティルトは、まとめサイトに載ってしまうぐらい悲惨な結末を迎えるらしい。一体それがどういった類のものなのか、情報はないが――現状、私の立ち位置が、ヒロインの攻略対象の一人に横恋慕するライバル、と定義されておかしくないことを考慮すると、いわゆる「悪役令嬢」的展開になると推測するのが妥当だろう。
前世では結局乙女ゲームなるものにあまり親しんで来なかった私でも、一時期、恋のライバルであるお嬢さまがヒロインに残酷ないじめや嫌がらせを繰り返し、最終的に「断罪」という名のイベントで死んでしまう、という展開がもてはやされていたらしい、と言うことぐらいは聞いたことがある。
自分が、恋に狂って人を――短い間ではあったが友として過ごした少女を――傷つけるなど、考えたくないけれども。
フェリクスさまとアカリの関係のことを考えるだけで落ち着かなくなる今の自分を思うと、あり得ないと断ずることも難しい。
加えて、もしも私が死罪になるほどの問題を起こしたとするなら、実家であるフォアティルト家が無事であるとも考えづらい。
私はなんとしても、謎の「悲惨な結末」を回避しなければならない。
そのためにはどうすべきか、ずっと考えてきた。
最後に会ったあの日以来、アカリとは今のところ何の接点もない状態だ。つまり、アカリの「ストーリー」には、私は現状関わりがないということ。このままずっと関係を絶っていれば、私がアカリに害を及ぼすことはあり得ないわけだから、私が「悪役令嬢」として君臨することもない。
しかし、これからも無関係でいられる保証はない。アカリがフェリクスさまやユージーク殿下と初めて会った奉仕活動の日の朝、私は「ストーリー」に関わるのを避けようとしたが、突然、無限ループが発生して、結局三人の邂逅イベントに立ち会うハメになってしまった。あのときは、決まったストーリーから逸脱することはできないのだと思った。
だがその後、私の知るストーリーとは違う展開も発生した。あの、魔物が市中に進入した夜だ。
私の記憶では、ゲームの中では、アカリが魔物と対峙して秘められた力が突然解放されるのは、修道院からかなり離れた場所だった。
アカリは何らかの理由で修道院を抜け出して、一人で街に出たところで魔物に出会うのだが――そういえば、なんでアカリは修道院を抜け出したんだったろうか……どうしても思い出せない……が、それはいいとして……
どうして魔物が修道院の近くまで押し寄せてきたのか、あの後私は考えていた。
あの日、私は司教さまに陳情して、貧民街の人たちを避難させた。魔物は壁を破って都の中へ侵入したが、貧民街の人々が避難済みで、襲う標的が少なかったために、元々のストーリーよりも更に広範囲を暴れ回ってしまったのではないか。
もしそうであれば、私は、アカリに関わらない場所でなら、ストーリーに影響を与える範囲の行動を起こすことができるということだ。
ならば、私が悲劇から逃れるために行動を起こせるタイミングは、アカリたちからのアクセスがない、今しかない。
魔物退治をする一行とは関わりのない生活に没頭し――フェリクスさまへの気持ちを断ち切るのだ。




