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 五ヶ月前、修道院を出る日の朝。

 実家から迎えに来た馬車に乗り込もうとしたまさにその直前だった。


「クララ!」


 人気のない修道院の前の路地を、目立たぬ地味な色のフード付きローブを羽織った少女が、こちらへ向かって走ってきた。

 護衛の者が警戒してそれを阻もうとしたのを見て、私は慌てて声を上げた。


「待って! 私の友達なの」


 それを言い終えるより先に、アカリは私に思い切り抱きついてきた。勢いで倒れそうになるぐらいの衝撃だった。もうずっと、家族同士ですらありないような距離感、熱い抱擁だった。


「クララ、よかった、間に合った」

「アカリ、一体どうしたの」


 アカリは私の身体に手を回したまま、興奮気味にまくし立てた。


「クララが今日、修道院から出ちゃうって聞いて! もう二度と会えなくなるかもって思って! 私、あの後、大変なことになっちゃって急に王宮に連れて行かれて、もう何がなんだかわかんなくて、ずっとクララがそばに居てくれたらってずっと思ってたのに、私、わたし……」

「あ、アカリ、その話、大声で言って良いことなのかしら……」


 アカリは建前上国外の実家へ戻ったということになっている。私は特殊な事情で真実を知っているわけだが、おそらく機密事項とされているのではないだろうか。

 そう思って小声で耳打ちしたもののアカリは聞いてはいない。


「あのね、クララ、わたし、わたし」


 涙ぐみながら私を見つめるアカリは可憐で、美しく、しかし生命力に溢れていて、誰の心も奪わずにはいられないだろう。と、私は頭の片隅で思う。


「この世界で、クララに出会えて、本当に良かった。クララにたくさん助けてもらったの。ありがとう、ありがとう……!」

「アカリ……」


 私の肩にアカリが顔をうずめる。温もりが伝わってくる。綺麗な長いアカリの黒髪をそっと撫でた。ゲームのヒロインであるアカリにはきっとこの先、苦難はあっても報われ満たされる未来が待っているだろうと。でも、私たちふたりの関係の行く末はわからない。


「アカリ。私もよ。あなたの幸せを、ずっと願っているから……身体を大事にして、元気でいてね」


 アカリが無言で頷いている。


「お嬢さま、そろそろ……」


 遠慮がちに声をかけられ、私より先にアカリが動いた。私から離れ、涙を拭いながら、笑顔をつくる。


「ごめんね、出発の朝に、いきなり。でも本当に、会えて良かった」

「ええ、本当に」

「じゃあ、ね」


 私は護衛の者に手を貸され、馬車に乗り込む。扉が閉められ、もう一度窓からアカリに声をかけた。


「アカリ、元気でね」

「うん! あ、そうだ。フェリクスにも、伝言とか、ある? 今日、クララが修道院から出発するって、フェリクスから聞いたんだ」


 ――その瞬間、さっと、血の気が引くような、目の前が真っ暗になるような感覚がして、その後馬車が出発するまでの数秒のことを、あまりよく覚えていない。


 +++


「まったく、あなたったら、せっかく茶会に出ても、全然しゃべられないじゃないの」


 茶会が終わり、そろそろ帰るという段になって、ジデルは私に耳打ちしてきた。急に会話の中に私の名を出されたときは冷や冷やしたものだったが、彼女の方は彼女の方で私の様子にやきもきしていたらしい。


「もっと自分から話すべきだったのかしら」

「当たり前じゃないの、特にあの、ユージーク殿下の話題になったときなんて! つながりを示せる絶好の機会だったのに」

「つながりなんて」


 ジデルも、フェリクスさまと殿下が親しいこと、私とフェリクスさまが縁戚であることを把握している。そのことを言っているのだろう。

 何か言い返そうと思ったが、母親に呼ばれたジデルは私を遮ってそそくさと立ち去っていった。


 主催のムゴリエ夫人やその他の参加者に丁重に挨拶をし、自分の馬車に乗り込む。修道院にいた六年間の間に一切機会のなかった、馬車なるものの乗り心地には、数ヶ月経っても未だ慣れない。時々大きく揺れる度に腰に衝撃と痛みを感じながら、茶会でのご婦人がたの態度を振り返る。穏やかな笑みを向けてはくれていたが、よそよそしさも感じられなくもなかった。大きな粗相はなかった代わりに、ジデルの言うとおり、爪痕は残せなかった、ということなのかもしれない。


 茶会は貴族女性にとって大事な社交場だ。主催する夫人に気に入られなければ二度と呼ばれることはないし、茶会にあまり呼ばれなくなってしまうと、貴族女性同士での貴重な情報交換の場へアクセスができなくなってしまう、ということだ。


 私は今はまだ修道院から出たばかりの新顔で珍しいからと、時々茶会や夜会に呼ばれているが、「二度目はない」が続けばそのうち招待状もゼロになってしまうだろう。フォアティルト家は何もしなくてもお近づきになりたい貴族が数多、という立派な家柄というわけでもない。


 ――気が重い。


 父や、いずれその後を継ぐ弟のためにも、できることをするのが令嬢の努めなのだろうけれど。


 向いていないことで心身が疲弊すると、考えたくないことを余計に考えてしまう。今日はテーブルの上で魔物討伐の話題が上がってしまったから尚更だ。


 今頃、アカリとフェリクスさまはどこにいるのだろう。修道院を出る日に会いに来たということは、あの時点ではまだ王都内にいて、旅には出ていなかったということだ。戦いに備えた訓練などしていたのだろうか。


 「フェリクスが」と、ごく自然に彼の名を口にした、あのときのアカリの様子を、何度も思い出してしまう。随分と親しくなったのだろう。当たり前だ。ずっと一緒に、同じ目標を共有して、過ごしているのだから。私がもう長い間、ただ彼のことを一人で思い、時折姿を見かけられるだけで胸を騒がせていた、そんな薄っぺらい、相手には届かないようなものよりも、ずっとずっと濃い時間を、まさに今、二人は過ごしているのだ。


「お嬢さま」


 屋敷の使用人の声で私は我に返った。いつの間にか馬車はタウン・ハウスの前に到着していた。


「お顔の色が悪うございますが……ご気分が優れないようでしたら、医師をお呼びしますが……」

「いえ……大丈夫よ。お父さまは、いるのかしら」

「ええ、書斎にいらっしゃいます」

「お話があると伝えてくれる? 着替えてからそちらに伺うわ」

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