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「はじめまして、あたし、タケノアカリです!」


 溌剌とした声でそう名乗ると、少女ははじけるような笑顔とともに、こちらへ右手を差し出してきた。


 窓から差す光を受けて輝く、黒く艶やかな長い髪。さらりと揺れるその色と揃いの、黒曜石のような瞳からは、声と同じく若くエネルギーを湛え不思議と人を引きつける何かを持っている。


 差し出された右手が何を意味しているのか、わからなかった。

 わからなかったはずなのに、何故か私の体は自然と動いていた。自分の右手と彼女の右手が絡み合う。ほんの少しだけ私より温い彼女の手のひらと、自分のものが合わさったその瞬間、突然足下をさらわれるような、強い衝撃とめまいに襲われた。


 頭の中に、ものすごい勢いで、砕けてしまったガラス片が降ってくるみたいだった。バラバラになった光が豪雨のように押し寄せてくる。そんな感覚。


「おや、クララ嬢」


 もう少しで気を失いそうだった私の意識を、そばにいた司教さまの声が呼び戻した。


「アカリ嬢のその仕草を、クララ嬢はご存じなのですか?」


 司教さまの目線に導かれるように、私は繋がれたアカリと自分の右手を見つめる。私が何かを口にするより先に、アカリが慌てたように声をあげた。


「はわわ、ごめんなさい! 握手って、この世界の女性はしないってさっき言われたばっかりだったのに――えっと、でも、クララ――さん? は、握手のこと、知ってるんだね!」

「いえ、私は――」


 私はアカリから手をほどき、軽く膝を曲げて、貴族令嬢式のお辞儀をした。


「クララ・フォアティルトと申します。お見知り置きを、アカリさん」


 心臓が早鐘のように打っていた。


 そう、私は知っていた。握手というのが、友好の証としてお互いの手を握りあう挨拶として、こことは別の世界では男女問わず一般的に行われているということを。

 彼女が着ている見慣れぬ衣装が、その世界ではセーラー服と呼称され、女学生が一般的に着用する制服であるということを。

 彼女の名が、漢字では「竹野たけのあかり」と書くことを。


 私は知っていたのだ。

 ――正確には、前世の私が。


 +++


 ラトア王国の子爵令嬢である私、クララ・フォアティルトには、生まれたときから前世の記憶があった。

 とはいえそれは、そんなにはっきりしたものではなく、ふとした瞬間に「ここではないどこか」での断片的な「思い出」が頭の中に蘇ることがある、といった程度だった。

 しかしそれは、気まぐれに見る「夢」などと同一視するにはあまりにもはっきりと鮮明で、リアルだった。


 やがて、自分の頭の中を色々と言語化できる程度に心身が成長した頃、それらがいわゆる「前世の記憶」というやつだと、私は確信した。

 そしてそれを、無邪気にも、周囲の大人に話したのだった。


「まあ、それは素敵ね」


 新緑の香りがくすぐったい春の昼下がりだった。優しい母は、優しく微笑みながら、私の自慢の、柔らかなウェーブがかかったブロンドの頭をそっと撫でた。


「クララは、お話を作るのが上手なのね」


 今思えば、このときの母の反応は、至極当然のことだったと納得できる。

 いきなり前世だの、小学校で給食を一人だけ居残りさせられた話(私は前世でも小食でどんくさかった)だの、バレンタインにチョコレートを送る製菓業界が仕掛けた陰謀による習慣(ちなみに前世の私は奥手過ぎて、今やあこがれとなってしまった自由恋愛を前世でも全く謳歌できなかった)だの、厳しいお受験戦争や就活戦線(運に恵まれずいつも第一希望には行けなかった)だのを語られても、理解してまともに取り合ってもらえるわけがないだろう。


 でも当時の私はいたいけな五歳だった。

 「日本」という国の「平成」という世で過ごした日々。口数は少ないが頼れる父、ちょっとケチだけど優しい母に愛情持って育てられ、気の置けない友人に囲まれて過ごしたかけがえのない青春。

 それらは確実に私の記憶であり、私の一部であり、それを他愛もない空想話だと言われたことに、少なからずショックを受けたのだった。


 母だけではなく、父も、乳母やメイドたちからも同じ反応をされた私は、ひどく落ち込んだ。

 でもそんなとき、彼だけが私の話を、ただの夢だと一蹴することなく、作り話や妄想だとバカにすることもなく、ただじっと聞いてくれたのだ。


 フェリクス・ピューリオ。


 私にとって、再従兄はとこにあたる、伯爵ピューリオ家の次男。私が修道院に、彼が士官学校に入学し、今はほとんど顔を合わすことはないが、幼い頃は度々お互いの家を行き来し、交流があった。いわゆる幼なじみというやつだ。


「それって、生まれる前のことを、覚えてるってこと?」


 庭のバラ園でのかくれんぼに飽きて、芝生の上に座り込みながらそれを打ち明けたとき、彼は真剣な顔で私の話を聞いてくれた。六歳の頃のことだ。

 私はまた一笑に付されるのが怖くて、少しおどおどしながら頷いた。彼は真剣な顔のまま、言った。


「すごいね」

「フェリクス……信じて、くれるの?」

「え?」


 フェリクスは驚いたように目を丸くした。


「嘘だって、思わないの?」

「え、嘘なの?」

「う、ううん! 本当だよ!」


 慌てて首を振って、力強く声を上げると、ふっと彼は笑った。


「俺は、クララのことを、信じるよ。いつだって」


 太陽の強い光が、彼の艶やかな黒髪を、透き通るような白い肌を、長く見つめてしまうと吸い込まれそうなブラウンの瞳を強く照らしていて、私は眩しくて、急にそれらを見つめていられなくなった。

 言われた言葉が嬉しいのに、藪から出てきたヘビに脅かされたときみたいに、心臓が急にバクバク鳴り出して苦しくなった。


 幼かった私はその日の夜、いつかフェリクスと結婚する、などと無邪気に思っていた。


 それから十年間。

 前世の記憶があることは、私の子爵令嬢としての今世での生活に、特に何の影響も与えなかった。平成の日本とこの世界の貴族の生活はあまりにも違い過ぎて、前世の記憶が役に立つようなこともなかったのだ。


 私は何の役にも立たない前世の記憶を保有しているだけの、どこにでもいるただの子爵令嬢だった。

 はずだった。


 気づいてしまったのだ。

 私は、この世界を知っている。

 突然この世界に現れた少女が何者なのかも。

 その少女を巻き込んでこの世界にこれから起こる展開も――少しだけ。


 そう、この世界は、どこにでもいる普通の女子高生・竹野輝が、突然飛ばされた異世界で魅力的なイケメンたちとパーティを組んで悪しき敵と戦い国を救いながら恋にも励む乙女ゲーム「mythical moon~聖女の世界救済~」の中なのだ。


 そして今、私はもう一つの重大な事実に気がついてしまった。


 私ってもしかして――「悪役令嬢」、というやつなのでは?

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