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8 その笑顔をまた見たいから

 用意された空っぽのワイングラスに、真っ赤な液体がポタポタと落ちて溜まっていく。


 それは、ベルフェゴール様の腕から出ているもので……話なんて全然頭に入って来なかった。


 目の前で止めどなく流れ続ける血にパニックを起こした頭が、ようやく機能するようになってやっと言葉を紡ぎ出せた。


「自分から刺すなんて、何をやっているのですか! ただでさえ、お顔も怪我をしていらっしゃるのに!」


 止血を、早く止血をしなければ!


 近くに手頃な布が無かったため、来ていたドレスの裾を思いっきり引き裂いた。それを急いでベルフェゴール様の左腕にきつく巻き付ける。


 それでもじわじわと滲んでくる血は止まらなくて、貫通した穴を塞ぐように必死に両手で押さえ込んだ。それでも血は止まらない。赤い血が両手にべっとりとついて滴り落ちる。


「誰か居ませんか! すぐに手当を! ベルフェゴール様の手当をお願いします!」


 叫んだことで部屋の外に控えていたらしい、ヴェルディさんが駆け寄ってきた。


「お願いします! すぐにお医者様を! このままではベルフェゴール様が!」

「落ち着いて下さい、アリア様。ここは私が治しますので」


 ヴェルディさんが右手をかざすと、そこから白い温かな光が放っせられた。ドレスの切れ端と両手で押さえてもまかないきれなくて滴り落ちていた血液が、そこでようやく止まった。


 そっと手を離してびちゃびちゃになったドレスの切れ端を取ると、ベルフェゴール様の左腕は綺麗に治っていた。


 ほっと安堵のため息を漏らす私を見て、ベルフェゴール様は戸惑いがちに声を絞り出す。


「私の心配などせずともよいのに。何故自分の心配をしないのだ。其方はいつもそうだ、孤児院でも就職先のパン屋でも、自分よりまず周りを優先し、いつも我慢を強いられてきた。ここではそんな事、せずともよいのだぞ」


 強く拳を握り締めたベルフェゴール様の手が、小刻みに震えている。どうやらこの方は、真剣に私の心配をしてくれているらしい。


 別に我慢してきたわけではない。母を失って自暴自棄になって、それでも生きるしか道は残されてなかった。


 空っぽだった私はただ、生きる理由が欲しかった。誰かの役に立っている時は、必要とされているんだと安心感を感じる事が出来た。そこに居ていいのだと、居場所を与えられて嬉しかった。


 だから誰かが困っていたらすぐに助けたし、率先してお手伝いもした。それらは全て生きるための理由が欲しくて、自分の居場所を確保したいがために行っていた事だ。


 そんな事を考えて、ふと疑問がわき上がる。会ったのがあのサンドイッチを差し入れした時だけだとしたら、孤児院での事や就職してからの事なんてこの方が知っているはずがない。


 ルシファー様に聞いたのかとも思ったが、ベルフェゴール様の口ぶりはまるで自身でその姿をずっと見てきたかのような発言だった。


「どうしてそれを、ご存知なのですか?」


 聞いておかなければならない気がした。向けられる愛情が何故、そんなにも深いのか。知りたかったから。


「本当は、あの時が初めてではないのだ。そろそろ妃をと望まれ続けて百年。贈られてくる花嫁に、どうしても愛情を抱く事が出来なくて断り続けた。それなら自分で見つけようと、妃を探すため、エルグランドに度々足を運んでおったのだ。そこで父上の世話を焼く其方を見つけたのが始まりだ。最初は単なる興味だった。あの父上が心を許しているように見えたから、珍しく思って。視察に来る度に、私はずっと其方を見てきた。次第に其方の人となりが見えてきて、その健気さと努力を惜しまぬ姿にいつの間にか好意を抱いていた」


 たまに、視線を感じることがあった。気のせいだと思っていたけど、その正体はどうやらベルフェゴール様だったらしい。もしかして──


「孤児院に居た頃、定期的にたくさんの食材が寄付されて来ていたのですが……それはもしかして……」

「何をあげたら喜んでくれるのか考えて、其方なら皆で分けられるものじゃないかと思ったのだ。其方が幼子達に自身の食事を分け与えなくてすむよう多めに食材を用意していたのだが……その、迷惑ではなかっただろうか?」


 私の事を思って、一番喜ぶことを考えて実行してくれた。そこまで裕福な孤児院じゃなかったから、その援助がどれだけありがたかったか。本当に感謝してもしきれないな。


「迷惑だなんて、そんな事はありません。とても嬉しかったです。その日は皆で夕食の準備をして、ご馳走を前にパーティー気分を味わって、頂いた食材は皆で美味しく頂きました」

「そうか、喜んでもらえたのならなによりだ」


 包帯のせいで表情は分からないけど、弾んだ声色と優しく注がれる眼差しから、ベルフェゴール様が今、嬉しそうに微笑んでくれているのは容易に想像出来た。


 この方は優しい。そしてきっと誰よりも、愛が深い。何のためらいもなく、私のために自身の腕を傷付けられた。普通なら中々出来ることではない。


 だからこそ、本当の事を言わなければならない。幻想を抱かせたままでは、あまりにも可哀想だと思った。


「ベルフェゴール様。私は貴方が思っているほど、綺麗な人間ではありません。死にたいと思った時に無理矢理生かされて、ただ生きる理由が欲しくて、確かな居場所が欲しくて、周囲の人々に手を差し伸べていただけにすぎない卑しい人間です。なので好意を寄せて頂いたアリアという人間は、ただの虚像にすぎません。勘違いをさせてしまい、申しわけありませんでした」

「だったら何故、先ほど私の心配をしたのだ?」

「それは……身体が勝手に……」

「考えるより先に身体が勝手に動く。それが其方の本質だ。アリア、自分を卑下する必要は無い」

「ですが……」

「そのように謙虚な所も其方の魅力だが、私は其方にもっと自信を持って欲しい。無理して自分を偽る必要は無い。自然体で其方が安らげる居場所を、私が必ず作ると約束しよう」


 自分で作らなければ、認めてもらわなければ、赤の他人である自分が受け入れてもらえるはずがない。ずっとそう思って生きてきた。


 それなのにこの方は、わざわざ私のために居場所を作ってくれるとおっしゃっている。まさに青天の霹靂だった。


「だから先に転化を終わらせても良いだろうか? ヴェルディ、ナイフを」

「こちらを使われて下さい」


 差し出されたナイフを、再び自身の腕に突き刺そうとしたベルフェゴール様の手を、私は慌てて掴んで止めた。


「ベルフェゴール様。私のためにご自身をお傷つけになるのはどうかお止め下さい」

「しかし転化をはやく終わらせねば……」

「他にも方法があるじゃないですか」

「だがそれは……」


 共に夜を過ごすのは正直恥ずかしい。でも、ベルフェゴール様がさっきみたいに独りで傷つかれるよりは断然良い。


「私、ずっと思ってたんです。旦那様にするなら、『美味しい』って嬉しそうに私の焼いたパンを食べてくれる人が良いって」

「それはつまり……」

「こちらのシェフの方が作ったプロのお料理には到底及びませんが、私の作ったパンも、たまには食べて頂けますか?」


 あんなに美味しい料理を作るシェフの方がいらっしゃるのに、図々しいお願いだったかもしれない。不安に駆られながらベルフェゴール様を仰ぎ見る。


「勿論だ! アリアが作ったものなら、何でも残さず食べると誓おう!」


 嬉しそうに弾んだ声が返ってきて、ほっと胸を撫で下ろす。


 顔に巻かれている包帯が、非常に残念でならない。絶対今、良い笑顔をして下さっているはずなのに、それが見られないとは悔しすぎる。


「ベルフェゴール様。これから少しずつ、貴方の事を知っていきたいです。不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」


 知りたいと思った。もっとこの人の事を。笑って欲しいと思った。あの時見せてくれた笑顔がとても素敵だったから。今度は本当の姿で、その笑顔をみせて欲しい。


 共に過ごしたのは本当にわずかな時間だけれど、あの時感じた幸せは確かに私の胸の中にある。


 私の作った粗末なサンドイッチで、あんなにも喜んでくれた。この方とならこれからも、当たり前の日常にある小さな幸せを、共に感じていけると思った。


 今までの人生が、この人に出会うための布石だと考えたら、理不尽だと思った世界も少しは許せる気がした。


 そしていつの日か、貴方に出会うために生まれてきたのだと思えるようになったら、この残酷な世界を、少しは好きになれそうな気がする。

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