3 痛みが長引くのは嫌なので、ひとおもいに食べて下さい
床には赤い絨毯がしかれていて、その先に立派な漆黒の翼を携えた一人の悪魔が立っている。
彼が振り向いた瞬間、腰まで伸びた色素の薄い綺麗な青い髪がふわりと宙を舞った。その人間離れした美しさに目を奪われながら、私は彼の顔を見た瞬間、驚きで固まった。
切れ長の凛々しい目元に、通った鼻筋と薄い唇。いつも不機嫌そうに眉間に皺を寄せて難しい顔をしていたルシファー様に、あまりにもそっくりだったから。きっと彼を若くしたら、この悪魔の青年みたいな顔立ちだと思う。
私を見るなり、こちらへ優雅に歩を進めた悪魔の青年は見たこともない笑顔でこう言った。
「ようこそ、我が花嫁よ。長旅で疲れただろう? すぐに食事と風呂を用意しよう」
食事?! 風呂?! 何故そうなる?!
ていうか、ルシファー様が笑った顔なんてレアすぎる。まさかこんな所でそんな顔を拝めるなんて、神様が最後に私にご褒美をくれたのだろうか。
私を生かしてくれたのはルシファー様だ。それなら最後の時も、彼に似た悪魔に命を奪われるなら本望かもしれない。
「失礼、自己紹介もまだであったな。私はこの魔神国の王、ベルフェゴールだ。アリアよ、よくぞ私の元へ来てくれた。首を長くして、其方が来るのを待っておったぞ」
そんなに人を食べたかったんですか。
「あの……私を食べるのならはやく、ひとおもいにガブリと食べて下さい」
痛みが長引くのは嫌だ。意識をさっくり持って行かれたい。
私の言葉に魔王様は思わずといった様子で生唾をごくんと飲み込むと、やけに瞳をギラギラさせてこちらを見つめている。
「えらく積極的だな、アリア。そうか、それが望みならすぐに応えよう。人の娘はムードを気にすると聞いていたが本当に良いのか?」
ムード? ムードのある食べ方って何だよ、意味が分からない。
「ええ、どうぞ」
「では、行くぞ」
血が吹き出る瞬間とか見たくない。目を瞑ってその時を待つと、何故か身体に浮遊感を感じた。まだかまだかと待つが、中々痛みは訪れない。
浮遊感が消えた瞬間、背中には柔らかな布の感触が。これは一体どういうことか……恐る恐る目を開けると、魔王様が私に覆い被さっていた。
鼻息荒く徐々に近付いてくる顔に、今まさに食されようとする瞬間に運悪く目を開けてしまったのだと気付く。怖くなって再び瞳を閉じた。
次の瞬間、ガブリとかまれた。しかし全く痛くない。それよりも、場所の方が気になった。何故唇を?
変な所から食す魔王様だと思っていると、唇から割り入った魔王様の舌が私の口内を荒らしてゆく。
体内の臓器から食べると? そんなグロテスクな事は止めて欲しい。中からじわじわ痛みを感じるとか拷問みたいだ。その舌がどこまでのびるのか恐怖を感じていると、呆気なく離れた。
思わずほっと安堵の息を漏らすと、耳たぶに少し痛みを感じた。気が変わって耳から食すようだ。しかし、甘噛みするだけでそれ以降は全然痛くない。
首筋にチクリとした痛みが走り、今度こそはと思うけれど、強く吸われただけだった。
色んな部分を味見して、美味しい所から食べるつもりなのだろうか。まるで蛇の生殺しみたいだ。ひとおもいに食べてくれってお願いしたのに、この魔王様は意地悪だ。
そんな事を考えていると、身体を締め付けていたドレスが突如緩んだ。どうやら前から引き裂かれてしまったようだ。勿体ないと思ってしまうも、どうせ死ぬのだから仕方ない。
魔王様も衣類は食べたくないのだろう。至極当然のことだけど、肌をさらけ出しておくのには抵抗がある。
人の恐怖心を煽らずはやく終わらせてくれ。ただそう願い続けていた。
◇
「我が花嫁よ。其方を一生、我が妃として大事にすると誓おう」
愛でるように髪をとかれ、耳元でそう囁かれる。
なんか色んな意味で話が違う。悪魔に捧げられた生贄は、食べられる。こういう意味で食べられるなんて考えもしてなかった。
ああ、だからさっきムードがどうとかって。それに対しての私の返答──ええ、どうぞって……自業自得感が半端ない。
もう少しあの時、魔王様の話をちゃんと聞いてればよかった。そうしたら美味しいご飯と温かいお風呂に入れたかもしれないのに……遠退いていく意識の中で朧気にそんな事を考えていた。