カエシウス家の一騒動
カルミナ・トランス・カエシウスはお嬢様である。
母はマナリル最強の魔法使いミスティ、父はマナリルの英雄アルム。
少し抜けている所はあるも優しいティアを姉に持ち、まだ小さい妹ヴィアラをとても可愛がっている女の子でもあった。
祖母も祖父も溺愛してくれながらも無闇に甘やかすような人達ではなく、使用人も毎日お世話はしてくれているものの過度な我が儘は通さない。
女の子らしくお洒落を楽しみ、貴族らしく勉学に励む。そんな毎日を過ごしていた。
やるべき事は厳しく律し、民やお世話してくれている使用人に権力を振りかざす横暴も見せず……そして周りに優しくされながら彼女はすくすくと育っていった。
そんな彼女が、とある事に気付く所からこの騒動は始まる。
「ティアお姉様……やっぱりここでしたわね」
「あ、カルミナ……」
すやすやとベビーベッドでお昼寝をするヴィアラをそっと覗き込むティアにカルミナはため息をつく。
妹であるヴィアラが生まれて一年半……自分達と同じ青みがかった銀髪が生え揃ったのもあって、より可愛さが増している。カルミナにとっては初めての妹……出来る事なら時間が許すまで見ていたい妹だ。
しかし現実にやらねばならない事は山積みでそうはいかない。
今年十四歳になるティアには魔法の勉強が、九歳のカルミナにはこれからマナーの勉強があった。どちらも貴族として身に着けなければならない。
「ティアお姉様ったら隙があったらヴィアラを見に来るんだから……セーバ先生が探していたわ」
「ご、ごめんなさいカルミナ? でもヴィアラが可愛いから……ほら見て! こんなに可愛い!」
「もう少し声を抑えてください……ヴィアラが起きたらお母様に叱られますわよ」
お昼寝中のヴィアラがいるこの部屋で大声は厳禁……ティアは自分の口を慌てて手で塞いだ。
ベビーベッドをそっと覗き込むとどうやら起きなかったようで、小さすぎる寝息を立てて眠ったまま。ティアは胸を撫でおろすと、カルミナをちょいちょいと手招きする。
カルミナは少し考えたかと思うと、ティアに招かれるままヴィアラの眠るベビーベッドまで静かに近付いて覗き込む。
「ふふ、可愛いですねティアお姉様」
「カルミナが赤ちゃんの時も可愛かったよ? 改めて見るとカルミナそっくり。髪も一緒」
「ティアお姉様とも同じでしょう? お母様の髪色ですもの」
「それもそっか、やっぱり家族だから似ているんだね」
ティアが笑顔で言うと、カルミナの表情は何故か強張った。
その変化にティアも気付いたようで、カルミナのほうに視線を送る。
「あ……れ……?」
「どうしたのカルミナ? どこか悪い?」
「い、いえ……なんでも、ありませんわ……。ティアお姉様、そろそろ……」
「あ、セーバ先生をお待たせしてしまっているんだった……」
二人は静かにヴィアラの部屋を後にして、ティアは授業に戻る。
二年後にベラルタ魔法学院への入学を目指しているティアにはまだ魔法の授業は欠かせない。
一方カルミナは授業に向かうティアの後ろ姿とヴィアラの部屋の扉を不安そうに眺めたかと思うと、ふと自分の髪を手に取った。
オーロラのような青みがかった銀髪。母親譲りの自慢の髪。最近髪を巻くようになったのもお洒落をするならまず髪からやりたいとカルミナが思ったからである。
だが何故かそんな自慢の髪を見ながらカルミナは悲しそうにしていて……小さな体が鳴らす自分の心臓の鼓動がうるさいくらいに響いていた。
それから一年後。
「……アルム切れです…………」
執務室の椅子にぐったりと体を預ける女性。
ミスティ・トランス・カエシウスは目の前の机に残る仕事を放り投げるようにそう言った。
傍に控えている使用人ラナはそんなミスティの様子を見てカップに紅茶を注ぐ。
ミスティが休憩するタイミングを見切ったように紅茶はしっかりと飲みやすい温度を保たれていて、カップから漂う湯気がその手腕を示すようだった。
「もう少しですから頑張りましょうミスティ様。アルム様も明日にはお帰りになるはずですから」
「もう一週間も離れていて……限界です……」
「限界ではありません。それに……」
こほんとラナはわざとらしい咳払いを一つ。
こんな事を言って自分の主人にやる気を出させるのもどうかと思うと自覚しながらも心を鬼にする。
「帰ってきて仕事を終わらせずに放り投げているミスティ様を見たらアルム様はどんな反応をするでしょうか?」
「大変だったんだなお疲れ様、って言ってくれます」
「ああ、あの方ならそう言いますね……ではなく……ミスティ様がどう思われたたいかです」
「続けて」
淹れて貰った紅茶を飲みながらミスティはラナに促す。
「平民である私から見てもお忙しくなさっている今……この量の仕事を終わらせるのはいくらミスティ様でも難しいでしょう。ですが、帰ってきたアルム様がそんな量の仕事を終わらせてしまう頼れる妻であるミスティ様を見たとなれば……?」
問うように語るラナ。
ミスティはゆっくりとカップを置くとわなわなと手を震わせながら自分の胸に手を置く。
「つまり……わ、私に惚れ直すという事?」
「そういう事です」
「もう、こんなに愛されているというのにさらに?」
「愛というのは水やりのようなもの。日々の何気ない行動をこなす事でさらなる愛を育むのです」
「ラナ! 私頑張るわ!」
「やる気が出たようでなによりです」
ミスティにやる気を出させる事に成功したラナは後ろに下がる。
その手腕は流石は平民の身ながらミスティ付きの上級使用人の風格……というよりもミスティを熟知しているからなせる手腕だろう。間違っても主人がちょろいだけではなどと言ってはいけない。
「あら?」
「どなたでしょうか」
ミスティがそんなやる気を出した矢先、小さなノック音が執務室に響く。
ラナがすぐに扉を開けるとそこにはミスティの娘であるカルミナがいた。
「あらカルミナ? ふふ、あなたが執務室に来るなんて珍しいわ」
「お忙しい所申し訳ありませんお母様……その、どうしてもお聞きしたい事がありまして……」
「全然大丈夫よ。さあおいで」
カルミナがちらっと気まずそうにラナのほうに視線をやる。
どうやら二人だけで話したい事のようでミスティがラナに目配せすると、ラナは一礼して部屋を出た。
ミスティはソファのほうに移動すると、横にカルミナを座らせる。
カルミナはミスティの腕を無言でぎゅっと掴んだ。ミスティから見てカルミナはしっかりしていて、顔立ちも少し大人びている子だがまだ十歳……どんな話かは想像もつかない。
「お話ってなあに? お父様なら帰ってくるのは明日よ?」
優しく問いかけるとカルミナはぶんぶんと首を振る。
ミスティはカルミナが話す準備が出来るまでカルミナの頭を撫でていた。自分に似て青みがかった銀髪……その髪をカルミナは好いてくれているのはミスティも知っている。
「お母様……こんな事を聞いてしまってごめんなさい」
「何で謝るの? 子供が親に聞きたい事があるなんて当たり前の事よ、お仕事なら気にしないで? 心配しなくてもちゃんと聞くわ、こんな事って?」
カルミナは意を決したように横に座るミスティを見上げる。
その眼には涙を湛えていて、瞳の青い色と合わさって水面が不安で揺らいでいるようだった。
「お母様……アルムお父様は私達の本当のお父様ではないのでしょう!?」
「………………へ?」
あまりに予想外な問いにミスティは呆けた声を上げる。
それこそアルムにも聞かせたことの無いような声で、ミスティがどれほど困惑したかを物語っていた。
お読み頂きありがとうございます。
今回も数話の短編となります。




