番外 -スクリル・ウートルザの知る真実-
読んで頂きありがとうございます。らむなべです。
本編の補完回のようなものなのでアルム達は出てきません。読んでも読まなくて大丈夫です。
「僕の名は残さないでくれ」
偉大な先人はそう言った。何を馬鹿な、と儂は言葉を失ってしまっていた。
神を名乗る魔法生命達を退け、多大な犠牲を払いながらもようやく訪れた平和な世。
散っていった偉大な同胞達の名前は勿論、我々の礎を築いた先人たるこの男の名前が歴史に刻まれないなど冒涜にも程がある。
儂があと三十年若ければこの言動に怒り狂い、目の前に横たわる先人の今にも事切れそうな体など無視して胸倉を掴んでいたに違いない。
儂は体中の血が沸騰するかのように熱くなったのを何とか抑えて口を開く。
「何を馬鹿な」
情けない事に怒りを抑えながらではそれだけしか返す事しかできなかった。
怒りを悟られないようにと握り締めていた杖がみしりと音を立てている。
自分の目の前にいる男は儂よりも老いぼれていた。体躯はやせ細り肌は荒れ果て、伸びっぱなしの白髪と髭にはみずぼらしさすら覚える。先の戦いで活躍したわけでもない。
だが、間違いなく偉大な男なのだ。この男から我々は始まった。
魔力という不可視のエネルギーを観測し、魔法という技術体系の礎を作った男。
最初に魔法と呼ばれていたもの――無属性魔法を創り出した男なのだから。
「ある意味、儂よりも偉大な男が歴史に名を残さないなど有り得ぬ。これから繁栄するであろう生き残った人類の損失と言ってもいい……そんな損失をこの儂が許すとでも思うか」
「……」
冷静な口調に努めようとは思っていたが、声は震えていた。
決して悲しんでいるわけではなく、儂個人の怒りによるものだ。
歴史というのは未来に託す記録だ。後世でその記録が失われる事は仕方ない……だがその記録にわざと空白を作るなど許せななかった。
ましてや、魔法使いの祖ともあろう男の名前が空白になるなどと。
「違う……違うんだよスクリル」
男は弱弱しく首を振った。
ベッドの上で寝たきりだというのに、その声には力強い意思があった。
「僕は僕が作り出した魔法を完成させてあげる事がついにできなかった。結局、君達が作り出した魔法の基盤にはなったが……それだけだ」
「それこそが貴殿の偉大な行いだ。儂らはそれを知っている。ならば後の人類にその名は周知されるべきだ」
「いや、僕は成し遂げられなかったのだ……君達のように証明する事ができなかった。僕は僕の創り出した技術を活かせぬままこの生涯を終えてしまう。
何も成せなかった。何も決意する事ができなかった。君達が命懸けで戦っている間……"星の魔力運用"を使っても血統魔法に至れずただ魔力を枯渇させ、肉体を無駄に酷使しただけの憐れな男だ」
「……そんな事は無い」
「ああ、君はそう言ってくれるだろう。けれど僕が納得しない事もわかっているはずだ」
儂は図星を突かれて目を逸らす。聡い男だ。
いや、儂がわかりやすいのだろうか。マルタが生きていれば顔に出ていますよ、などと言ってくれたかもしれない。オンブラやリアメリーに鬱陶しがられていたのも若き天才への妬みのようなものが顔に出てしまっていたのだろうか。
……こう思うと後悔ばかりだ。一番老いぼれている儂が、こうして生き残ってしまっている。
創始者で生き残ったのはネレイアとイルミナ、そして儂の三人だけ。
死んでしまった同胞の名を語り継ぐためにも歴史を繋がなければ。
「ふむ」
ふと自分が何故怒りを覚えていたのかが腑に落ちる。
歴史は未来のためにと大層な事を思っていたはずだったが……儂は一緒に戦った素晴らしい同胞の名を残すためにも、我々の魔法の礎となった目の前の男の名が残らないのが我慢ならなかっただけなのかもしれない。
「……スクリル、僕は確信している」
儂が考え込んでいると勘違いしたのか、それとも遺言のつもりか。
男はぽつりと語り出した。男の目は輝いていた。もうすぐ死ぬ男の目とは思えないほどに澄んでいる。
……まるで宙でも見ているかのように。
「僕の創り上げたこの魔法を完成させる男がきっとこの先現れる……君達に続く誰かが。だから僕の名前は残さないで欲しいのだ。歴史に名を刻むべきはその男であって僕ではない」
「作ったのは貴殿だ」
「ああ、僕は作っただけだ。だが人間の欲望に際限は無い……だからこそ絶対に現れる。僕とは違う道を行く九人目が」
聞き慣れた言葉に儂はつい髭を撫でる。
今は亡き同胞の言葉を思い出していた。
「九人目か。リアメリーも言っていたが……本当に現れるのか……? 我々にはできなかった」
「現れる。絶対にだ。願う事なら、いつかあの怪物達が復活する時代に生まれてほしいものだが……そこまで都合よくはいかないかもしれないな」
「現れて貰わねば困る。出来れば逸材たる血筋が絶えない事を願うばかりだがな」
「いいや、血ではない」
男は断言した。今日一番力強い声は儂の耳を震わせる。
「君が地属性魔法を完成させたのは血に刻まれた才によるものだろう……だがそうしようと今日まで進んできたのは君の意思だ。世界を変えるのは人の意思、夢、そして欲望だ。決して、決して血によるものなどではない」
まるで残った生気を絞り切るかのように男は続けた。
「夢を追いながら周囲を捨てられない本物の馬鹿は……いつの時代だっているものだ! そんな男がきっと! ごほっ……! ごふっ……! いつかきっと! いつかきっと現れる!! 僕の魔法を、完成させる者が!! それが、九人目であってもなくても、だ!!」
起き上がるような勢いのまま男は喀血した。
咳き込むその姿は今にも死にそうで、老人のはずの男の目は少年のように輝き続けていた。
「だから後生だスクリル……無属性魔法は後世に伝え、僕の名前は決して残さないでほしい。名前を残すのはいつか現れるその"魔法使い"だ」
「……業腹だが、承知した。他でもない貴殿の頼みだからな」
「ありがとう、これで思い残す事は無い……いや嘘だ。本当なら……僕が九人目になりたかった……」
「その歳でしっかりと強欲ではないか」
「老人ほど欲張りなものだ。心残りがあるなら尚更だろう……だが流石に限界だ。未来の九人目に全て任せる。僕は、そうだな……空の上からその瞬間を眺める特等席にでも座っておくか。後から来た魔法使いにほら見ろと言ってやるのが楽しみだ」
くくく、とその男は楽しそうに笑う。
もう笑うのも辛そうだというのがわかるが、男は夢の話をしているからかその口数はむしろ最初より増えていった。
だが体力が限界のようで目はゆっくりと閉じていく。瞳の輝きは穢れる事無く、瞼という闇によって徐々に消えていく。
「いつか、その男が君の魔法すらも破るかもしれないぞスクリル」
「冗談を言えるくらいの元気はあるようだがそれはない。未来の人間達には悪いが……儂こそが最強だ名を刻まぬ先人よ。大地すら魔法で創り上げた儂に勝てる魔法使いなどおらぬ。異界の神すら圧倒した我が血統魔法は無敵だ」
「今は、だろう?」
そんな挑発じみた言葉を最後に男は満足そうに息を引き取った。
盛大に送られるはずだった男はたった一つの希望のため、名を残さないというこだわりのために……みすぼらしい小屋の中で儂一人にだけその最後を看取られていった。
「小狡い男だ……あろう事か言い逃げをしていくとはな」
儂は男の遺体を埋めて、簡単な墓を作る事にした。
墓標には何も刻まず、偉大なる先人が生きた証はただ魔法という形に残るだけ。
彼はきっと許せなかったのだ。自分が生み出した魔法を使いこなせない自分が。
自分を許せぬまま偉大な創始者として名を残す事が。
――いつかきっと現れる。
血を吐きながら言っていた男の言葉が何度も繰り返される。
儂は自分の杖を墓標の横に置くとその場を去った。
あの男は誰よりも古い魔法使いでありながら、誰よりも未来を見ていた男だった。
決して名前を呼ばせなかった男の事を儂は生涯忘れることはないだろう。
その記録がこの星のどこにも残らないとしても。彼の言う九人目が現れ、その偉業を塗り替えたとしても。
お読み頂きありがとうございました。
創始者の名前は何度も出てきて、魔法を最初に作った人の名前が出てこない理由でした。
アルム達が出てくる短編は来週投稿予定なのでその時にまた覗きにきてやってください。




