プロローグ
「ここが研鑽街ベラルタ……」
研鑽街ベラルタ。
魔法大国マナリル有数の魔法学院がある街であり、未来のマナリルを支える人材を育成する地として王都の次に重要視されている場所である。
誰かが統治しているわけでもなく、重要とされるのは中央に位置するベラルタ魔法学院のみにも関わらず警備は厳重で街の周囲は堅牢な城壁によって守られている。街の出入りも詳細に記録され、権力によってパスする事も出来ない。
街は生徒の生活を支えるために一流の職人や商人達が活気づき、治安は最高レベル。
住民達も審査を通って定住を許可された穏やかな者や生徒を支えようという気概を持つ者しか集まっていない。
生徒達を健やかに育てるために自然を多く残す景観が維持されている上に生活に関わる大抵の設備は揃っているため不自由もない。
そんな街に一人の少女が馬車から降り立った。
「お父様とお母様もこの道を歩いたのかしら」
馬車の御者にお礼を言うと少女は一歩目を踏み出す。
男女問わず目を惹く少女の容姿と上品な雰囲気は当たり前のように周囲からの注目を浴びたが本人はそれどころではない。青みがかった銀髪を揺らして、白を基調とした制服のスカートを上機嫌に揺らしていた。
ベラルタ魔法学院へと続く大通りをゆっくりと堪能するように歩いていく。
かつてここで同じように歩いていたであろう両親の姿を想像しながら。
少女の名はティア・トランス・カエシウス。今日からベラルタ魔法学院に入学となる新入生だ。
「お父様は迷ったと仰っていましたが……どこで迷われたのでしょうか?」
ティアは母親から何度か聞かされた父親が迷子になった所に出会ったというエピソードを聞いていたが、着いてみればベラルタ魔法学院への道は特に複雑でもなかった。馬車の待合所から二、三回ほど道を曲がれば後は大通りを真っ直ぐ行けばいいだけだ。
方向音痴だったのかしら、と想像してティアは笑みを零す。自慢の父親にそんな弱点があったなんて初耳だ。
「わあ……ここが第二寮……! お父様が生活していた場所ですのね……」
大通りの途中、周りの建物とは雰囲気の違う大きな建物の前で止まる。
ベラルタには生徒用の寮が六つ存在していてティアの前に聳え立っているのはその一つ、第二寮だ。
「うう……第一寮になってしまったのが残念ですわ……。本当ならお父様が暮らしていた第二寮に住みたかったのですが……」
ティアは名残惜しそうに第二寮の前から歩き出す。
入学前、使用人を連れて家を借りるか寮生活をするかを決める時、ティアは寮生活を選んだ。
両親や祖父母、使用人から愛されて育った自覚があるからこそ自立のために一人で生活をしてみたかった。その上で両親達が幸せそうに語る友人達との三年間を自分も過ごしてみたいという思いからだった。
勿論、魔法学院の生徒である以上、魔法使いになるためが第一だが……それでも胸を躍らせずにはいられない。
"あの時間は俺の宝物だった。あの頃にどれだけ辛く苦しかった事があったとしても……それだけは迷う事無く言えるんだよ。あの時間だけでも俺は俺の夢を目指してよかったんだって思えるくらい眩しかった日々が"
そう言った父親の嬉しそうな表情がティアの記憶に残っている。
いつもかっこいい父親の表情が子供のようになった時の事を。
「……私も、そんな日々が過ごせるかしら」
ティアは期待に胸を膨らませながらベラルタ魔法学院へと到着する。
門の前にはすでに同じ制服を身に纏った生徒が集まっていて、その中でも一際目立つ生徒がいた。
門の真ん中で腕を組んで、周りからの声を気にする事無く大通りのほうを見ている男子生徒だった
誰かを待っているのかしら? ティアがそんな他人事のような事を思っているとその男子生徒は口を開く。
「あなたがカエシウス家の息女……ティア・トランス・カエシウス殿だな?」
「は、はい?」
「一目でわかった。やっぱり、違う」
ティアは少し動揺しながらも男子生徒と目を合わせる。
男子生徒は金糸のような滑らかな金髪に燃えるような紅い瞳をしていた。
その瞳はある意味で周囲の生徒を見ておらずティアしか映していない。
「待っていた。この三年、僕と競い合うライバルになろうであろうあなたの事を」
その宣言にティアは落ち着きを取り戻す。
なるほど、と納得した様子で口を開いた。
「宣戦布告……という事でしょうか? 入学式もまだだというのに気が早いですのね。血気盛んなのはよい事ですが、まずは名乗るのが礼儀では? それとも私の名を知っているからと、淑女に名乗らせる必要すらないとお考えで?」
「む……確かに。失礼した。どうか無礼を許して欲しい」
男子生徒はティアに非礼を詫びるとすぐに名乗る。
「俺はアルカ・オルリック。四大貴族オルリック家の息子。マナリルの英雄……君の父親を越える男だ!」
男子生徒の自己紹介にティアはぴくりと表情が動く。
聞き捨てならない宣言に薄く笑って、青い瞳は光を帯びてアルカを見据えた。
ティアはすぐににこっと笑うと、アルカに歩み寄りながら名乗り返す。
「私はティア・トランス・カエシウス。四大貴族カエシウス家の正統後継者。あなたの自己紹介を嘘にしてしまうようでごめんなさい。お父様を超えるのはあなたではなく、この私です」
出会って数分も経たず、自身の夢を譲ろうとしない二人は互いに名乗る。
偉大な両親を持つという重圧と叶わなかった時の嘲笑など恐れず、覚悟を口にして……二人は握手した。
それは社交界で見せるような礼節に乗っ取った挨拶とはかけ離れていたが、間違いなくこの場に相応しい邂逅だった。
かつて、叶うはずのない夢を見た少年がいた。
――魔法使いになりたい。
才能無き身でこの世界に踏み込んできた平民の少年が。
その夢を追った背中は今、後に続く者の光となって今もここに、これからも。
どんな時代どんな世界であっても、幻想を現実にするために歩む人間の姿は変わらない。
人の世が続く限りどこまでも。宙の果てまで、どこまでも。
――星のように輝き続ける。
初めて寮で眠った日に夢を見た。
目を開くとそこはどこまで続いているかわからない真っ白な雪原。
広くて寒くて、どこを見渡しても私以外は誰もいない。まるで全てを拒絶しているかのよう。
ここはどこなんだろう? 何が起きているんだろう?
私はただただその場に立ち尽くして恐がっていた。
震えているのは寒いからだって自分に言い聞かせながら。
でも――
「……あ」
どこまでも広い雪原には足跡があった。
それも二人分だった。
見つけたのは足跡だけだったのに、その足跡が誰の者なのかすぐにわかって笑みが零れる。
さっきまでの寒さはどこかへ吹っ飛んでいて、それどころかぽかぽかと温かい。
二人分の足跡はまるで私に道を指し示してくれているようで。
「――私もしっかり歩いてみせます。お父様、お母様」
私はその足跡を辿るように雪原を歩き始めた。
きっといつまでもこの足跡を辿れるわけではないだろうけれど……自分で行くべき道を決めるその日まで私はこの足跡を頼りに歩く。私の一番の幸運は二人の子供で生まれた事だから。
「私もお父様とお母様のような……"魔法使い"に」
だからきっと、ここからが私の始まりなんだと思う。
ティア・トランス・カエシウスが自分で歩くための最初の一歩。
誰かに優しさの欠片を渡せるような――そんな、"魔法使い"になるための。
いつも読んでくださってありがとうございます。
これにて番外含め「白の平民魔法使い」完結となります。当初の予定を遥かに超え、ほぼ全てをお届けできました。皆さんのおかげでここまで書き切る事が出来たのは間違いありません。
たまに番外を書きたくなる可能性はありますが、次にあとがき兼最終的な主要キャラ紹介を書いて本当に完結となります。
本作は完結しましたが執筆は続けますので、らむなべが次回作を書いた際はどうぞ見てやってください。
それでは読者の皆様……本当にありがとうございました!




