未来への頁10 -魔法創世暦1720年-
「わあ……」
ティアは母親譲りの青い瞳で緑の屋根を見上げる。
鬱蒼とした森の中、葉の間から差し込む光はきらきらと眩しい。
枝や雑草の上を歩く足音にさやさやと吹く柔らかい風の音、遠くに聞こえる川のせせらぎ。決して無音ではなくとも静寂という言葉の似合う神秘的な雰囲気がティアの目を輝かせる。
ここはカレッラ。時に人を拒み、時に人を受け入れるアルムの故郷だ。
「足下に気を付けるんだぞ」
「はい、お父様」
先を歩くアルムの声でティアは緑の屋根に見惚れていた視線を下げる。
舗装された道など無いのにまるでそこが道であるかのように先導するアルムと隣で手を繋ぐミスティを交互に見る。
「なあに? ティア? 疲れたならおんぶしましょうか?」
「お、お母様! 私はもうそんな子供ではありません! おんぶはお留守番のカルミナにやってあげてくださいませ」
「あらあら、ごめんなさい」
ぷんぷんと怒るティアの可愛らしい姿にミスティはつい笑顔が零れる。
一歩前に出てミスティを引っ張る姿は微笑ましい。
先導するアルムの一歩後ろまで追い付くとティアはアルムの袖を引っ張る。
「お父様、パメラお婆様はこちらに住んでいらっしゃるのですか?」
「ああ、そうだよ」
「素敵な所ですが……住むのが大変ではありませんか?」
「大変だな。森は深いし魔獣は出るしで夜はすぐに真っ暗だ。貴族の目が届かないから自分で対処しなきゃいけないしな」
「あ、危ないですわ! パメラおばあ様もスノラで一緒に住みましょう!」
「言った事はあるが断られたよ。それだけ……おばあ様にとっては大切な場所なんだ」
雑談を交わしながら少し歩くと教会が見えてくる。
周囲の自然からは浮いているように思うのだが、ティアの目から見ても何故か溶け込んでいるように見えた。
二階建ての石造りで壁に蔓が這っている古い建物だが、よく手入れされているのがわかる。
アルム達が来たのがわかったのか、教会の扉は勢いよく開かれた。
「ようこそティアちゃん!」
「パメラお婆様!!」
出てきた修道服を着た老女――シスターが出てくるとティアは駆け出す。
シスターが手を広げるとティアはそのままシスター目掛けて飛び込んだ。
「お久しぶりです! お元気でいらっしゃいましたか?」
「ああ、元気さ。ティアちゃんは……っと、元気だしさらに綺麗になったねぇ……。もう立派なレディだ」
「ふふ、もう十四歳になりましたから!」
駆け出したティアに遅れてアルムとミスティも歩いてくる。
「久しぶりシスター」
「お久しぶりですシスターさん」
「久しぶりアルム、ミスティちゃん。元気そうでなによりだよ」
「シスターさんもお変わりないようで……というよりも、ますますお元気でいらっしゃるようですね」
「ああ、まだまだ全然現役だよ」
シスターは豪快に笑いながら愛用の斧を振る仕草を見せる。
久しぶりに会っても変わらぬ様子にミスティはくすくすと笑った。
「ここまで来るって聞いた時は少しびっくりしたけど本当に来てくれるとは思ってなかったよ。ティアちゃんにはまだこの山は辛かったんじゃないのかい?」
「いいえ、道中もとても綺麗で見惚れるくらいでした! パメラお婆様の故郷は凄いのですね!」
「いひひ! 不便なだけさ!」
今までシスターがスノラに出向いてティアと会う事はあったが、カレッラで会うのは初めてだった。理由は当然、幼い子にカレッラは危険だからである。
加えて、ティアがこの場所を受け入れてくれるかもわからなかった。
カレッラの森は深く、虫もいれば土の匂いがわかるくらいに土が身近で足元が汚れたりもする。カエシウス家で育ったティアが拒絶してもおかしくはない。なによりシスターがそれを一番恐れていたので今までシスターが出向くのが当たり前だった。
挨拶もそこそこに、ティアはシスターと手を繋ぎながら教会を仰ぐ。
「わあ……ここでお父様が育ったのですね……!」
「そうだよ。ごめんね、ちょっと古い所で……嫌になったら言うんだよ?」
「いいえ! 趣があってとても素敵な所です!」
シスターの心配はどうやら杞憂だったようで、ティアはきょろきょろと視線がはしゃいでいる。
トランス城が建つある程度整備された山とは違い、自然によって閉ざされているカレッラの環境が珍しいのだろう。
「やっぱりあんたの子って事なのかね?」
「ティアはミスティ似だ」
「そうですか? アルム似だと思いますが……?」
「っと、これ以上聞くと惚気られそうだからこの話題はやめとこうかね」
「し、シスターさん!」
さりげなくからかわれてミスティは顔を赤らめる。
だが自然とアルムに身体を寄せている様子に昔と変わらずアルムへの好意がにじみ出ていた。
「カルミナは流石に置いてきた、会いたかったら連絡してくれ。迎えを出すし、俺も迎えに来るから。後は俺達が東部に来る事があったら比較的会いやすいだろうし」
「カルミナちゃんも大きくなったんだろうねぇ……今何歳だい?」
「八歳だよ」
「最後に会ったのは生まれた時だから……忘れられないようにちゃんと顔を出さないとね」
「是非そうしてくださいシスターさん、いつでも歓迎致しますわ」
アルム達は教会には入らずとある場所へと向かう。
休む前に、ティアに紹介しなければいけない人物がいる。
「……? ここはなんですのパメラお婆様?」
ティアは不思議そうに二つ並んだ大きな石を見つめる。
教会の脇に不自然に置かれている石で、前には花が置かれていた。
「ここはお墓なんだ、アルムのお母さんのね」
「え? え? で、でも……? あ、あれ?」
ティアは混乱しながら墓と言われた石とシスターを交互に見る。
アルムはそんなティアの頭を撫でた。
「俺には母親が二人いたんだ。ティアも知っているパメラお婆様ともう一人、俺を魔法使いにしてくれた師匠がな」
「師匠……? お父様のお師匠様なのですか?」
「ああ、そうだよ。今日連れてきたのはティアを紹介したかったのもあるんだ」
「お父様の……」
アルムの話を聞いて、ティアはシスターと繋いでいた手を放す。
墓石の前までゆっくりと歩いていくと、ティアは美しいカーテシーを墓石に向けて披露した。
「ご挨拶が遅れました。お会いできて光栄です、もう一人のお婆様……ティア・トランス・カエシウスと申します」
瞬間、アルムはそこに光が差し込んだように見えた。
アルムの脳裏に走馬灯のように人生の記憶が浮かび上がっていく。
出会いと別離の日々が今もここに。
互いに出会った事の無い、これからも出会う事のない二人……けれど決して無関係ではない。
まるで過去と今が繋がったかのような光景に自然と目が見開かれた。
「どうぞ安心してお眠りください。私のお父様が――大変お世話になりました」
師匠の墓に一礼するティアの背中を見て、アルムの頬に一筋の涙が零れる。
すぐにミスティがハンカチを取り出してその涙を拭う。
アルムはその光景を目に焼き付けようとしているのか、瞬きをする事すら惜しんでいた。
墓石のほうを向いていたティアはくるっとアルム達のほうへと振り返る。
「お父様、お母様、連れてきてくださってありがとうございます」
「私達もずっと会わせたかったのよ」
「はい、カルミナが大きくなったらカルミナも連れてきましょう!」
ティアの浮かべる笑顔にアルムの涙腺が緩む。
そんなアルムを察してか、シスターはアルムの背中をぽんぽんと叩いた。
「さ、中に入ろうか。疲れたろう? お茶を淹れるよ」
「手伝いますシスターさん」
「ではその間お父様は私を案内してくださいな!」
「ああ、といっても面白い事はないから期待はするなよ」
四人は墓石の前を後にして教会の中に入っていった。
久しぶりにほんの少しだけ騒がしくなったこの場所を懐かしむように、降り注ぐ日差しが墓石を白く照らしている。
誰かが笑ったような風が吹いて……墓前の花はどこかへと飛んでいった。




