未来への頁4 -魔法創世暦1715年-
「ねえセーバ先生? お父様は何で無属性魔法しか見せてくれないのですか?」
「え」
それはカエシウス家の息女であるティア・トランス・カエシウスの授業用の部屋で魔法の授業を受けているのことだった。
ベネッタの夫という縁でティアの家庭教師となったガザスの魔法使いセーバ・ルータックは一瞬固まってしまう。
それ自分に聞くんですか……?
ティアの純粋な疑問に対して浮かぶ真っ当過ぎる言葉が声になりそうになるのを抑える。
ティアの疑問は魔法についてというよりも家族に関わる部分の問題だ。雇われ家庭教師であるセーバが答えるには荷が重い。
セーバの不運は家庭教師と生徒というこの関係だろう。ティアはただ生徒として教師たるセーバを頼っているだけなのだ。
「ご存じの通り、実技はお父様が担当してくれるんです……でも、お父様は無属性魔法しか私に教えてくださりません……。私も来年には十歳になります。お母様は十歳には血統魔法を継承していて、私の頃には中位の属性魔法を使えていたと聞きました」
不安そうに俯きながら語るティアだったが、セーバの表情は顔面蒼白で病人のよう。
十歳で血統魔法を継承し、今のティア……つまりは九歳の頃にすでに中位の魔法を使えていたというミスティのエピソードが常軌を逸してたからだった。もはや尊敬を越えて引いてしまっている。
当時カエシウスの最高傑作と呼ばれていた天才っぷりは伊達ではないと痛感した。
「聞いていらっしゃいますかセーバ先生?」
「はい、聞いてます……」
「お父様は基礎の無属性魔法しか見せてくださらないのです……。私だって少しは属性魔法を使えます……なのに……。これは、私が……ティアが駄目な子だから、でしょうか……?」
「いえいえ! そんなはずはありませんよ。ティア嬢は優秀な生徒です……それにお父様がそんな事をおもうはずがないじゃないですか!」
「実技の時間のお父様はとっても優しいです……。ですが、その優しさと、基礎しかやらせてもらえないのが……少し、不安になっちゃうんです……」
膝の上でぎゅっと手を握り、ポロポロと涙を零し始めるティア。
セーバはその姿にぎょっとする。
「私が、お母様やお父様のような、才能溢れる……子ではないから……なんでしょうか……? 確かにお二人に比べたら、私は大したことないのかも、しれません……。ですが、それでもお二人の、子供です……お父様に、ティアも出来るようになったと属性魔法を使える所を見せたいと思うのは、我が儘なのでしょうか……?」
「な、何を言ってるんですティア嬢!」
セーバは九歳らしいと言うべきからしからぬと言うべきか難しい悩みを吐露するティアに驚き、たじろいでしまう。
出来るようになったと自慢したいと語るのは年相応の子供のようであり、偉大な両親と自分をすでに比較しながら考えている様は大人のようであり。涙を零すティアに家庭教師としてどう答えるか思案してしまう。
その時、部屋の扉がノックされた。
「ティアちゃんー、そろそろ次……の……」
「あ」
部屋に入ってきたのはカエシウス家専属治癒魔導士のベネッタ・ニードロス。
すんすんと鼻をすすりながら聞こえてくるティアの泣き声とまずい、と言いたげなセーバの声に固まり……一秒、状況を把握する。
「セーバくんが……ティアちゃんを泣かしてる……」
「ち、ちが! いや状況的に無理がありますが誤解です!」
ベネッタの簡潔かつそうとしか見えない状況把握にセーバが慌てふためきながら否定する。ベネッタは遠くを見ながら――実際は目を閉じたままだが――諦めたようなため息をついた。
「ああ……この歳で未亡人かー……残念だなー……」
「え、これ処刑なんですか!? 弁解の余地なく斬首!?」
ベネッタは震えるセーバの下までゆっくり歩み寄ると、セーバの肩を力強く叩いた。
「安心してセーバくん、お腹の子はボク一人でも立派に育ててみせるからねー!」
「流石ベネッタさん逞しい! けどもう少し夫の命を惜しんで欲しいです!」
カエシウス家の息女を泣かせた身の程知らずの貴族として処刑されるかもしれない自分の未来に絶望するセーバ。
セーバをいじり倒したベネッタはティアのほうへと振り返る。
「冗談は置いておいてー……どうしたのティアちゃん? ベネッタお姉さんにご相談どうぞー」
「ベネッタお姉様……その……」
ベネッタに手を握られながらティアはセーバに話した事と同じ内容を話した。
相槌を打ちながらティナの話を聞き終わったベネッタはなんだ、と安堵する。
「よかったー、本当にセーバくんが泣かしてたらどうしようかと思ったー……そっか、お父さんとの実技が何も進んでないみたいで焦っちゃったんだね」
「お父様が悪くないのはわかっているんです……」
「うーん、ボクが話しちゃっていいのかなー……? でもティアちゃんが泣いてるよりはいっかー」
ベネッタは杖を横に置いて目を開く。ティアと視線を合わせるためだった。
銀色に輝くベネッタの瞳を見てティアが小さく、綺麗、と呟いた。
「ティアちゃんのお父様……アルムくんはね元々平民なんだよ」
「平……民……? え? え……?」
「だからね、ボク達みたいに魔法の才能が無いんだ。だから無属性魔法しか使えないんだよー」
ベネッタから知らされる事実にティアは目をぱちぱちとさせる。
よほど驚いたのかティアの涙はいつの間にか止まっていた。
「平民から頑張って頑張って、すんごい頑張って……命懸けで君のお母さんのミスティやこの国を救っちゃうくらい頑張って……ようやくティアちゃんが世界で一番尊敬するお父様になったんだよ」
「お母様も……?」
「詳しい事は本人の口から聞いたほうが多分いいねー。でもその頑張った姿が色んな人に認められて今みたいに貴族になったんだよー。
その姿に一番惚れちゃったのがティアのお母さんのミスティね? 学生時代からもう周りにばればれのでれでれのだったから。アルムくんが鈍感だったからがんがん一緒にいようとしてたよー」
「お、お母様が……?」
母親にそんなイメージがないのかティアは驚いたように身を乗り出す。
ベネッタは少し元気が出たティアに優しく語り掛ける。
「色々な事をいーっぱい吸収してってるティアちゃんにはアルムくんの教え方はちょっともどかしかったのかもしれないね……でも君のお父さんを信じてあげて? アルムくんはベラルタ魔法学院の先生だから教え方はばっちりだし、何よりティアちゃんのお父さんだもん……ティアちゃんの事を一番に考えてくれる人だよー」
「はい……」
「元々平民って聞いてお父さんの事嫌になった?」
「……!」
ティアはぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
「なら大丈夫! 焦らないでいいんだよティアちゃん。お父さんはティアちゃんがしっかり歩いていけるように一歩一歩教えてくれてるだけだから。いっぱい言われてると思うけど魔法は本当に基礎が大事だよー……将来ティアちゃんにもわかるようになるから頑張って」
「……っ。はい……ありがとうございます、ベネッタ御姉様……!」
「よーしちょっと休憩したら実技に行こっか! 何せ今日は……」
ベネッタが言いかけるとまた部屋がノックされる。
扉を開けたのはミスティだった。どうやら迎えに行ったベネッタが中々戻ってこないので心配で来たらしい。
「お、お母様! どうして? お仕事は?」
「お父様がそろそろティアに属性魔法を本格的に練習させてもいいって言うの。だから今日から私も実技を教えようと思って待っていたのだけど……どうしたのティア?」
ミスティは目元を赤くしているティアに駆け寄る。
入ってきた時は魔法使いとしての顔が見え隠れしていたが、心配そうに娘の顔を覗き込む今は母親としての表情しかない。
心配そうなミスティを見てベネッタがにやにやと控えていたセーバのほうを見る。
「ごめんねミスティ、セーバくんが泣かしちゃったみたいなのー」
「え!? ちが――」
「……セーバさん? 詳しくお聞かせ願えますか?」
「ひゅっ」
ベネッタの洒落にならない悪戯。ミスティへのあまりの恐怖にセーバの喉から声にならない音が出る。
本当の事情を聞いたミスティはお礼を言いながら、今日改めて家族で話します、とティアと部屋を後にした。
どうやらセーバのクビは助かったようで、くすくすと笑うベネッタの横でそれはもう大きな安堵のため息が零れていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
最後漏らしそうだったけど大人の意地で耐えたセーバくんを褒めてやってください。




