番外 -ノブレスランベリー2-
西部アルキュロス領は最年少宮廷魔法使いとして有名になったファニア・アルキュロスを当主とするアルキュロス家が統治する領地だ。
アルキュロス家の当主はファニアなのだが……現在、領地運営はファニアの父母と国王カルセシスが送った複数の代理人と共同で行っている。
ファニアは五年前まで起きていた魔法生命の一件について各国を飛び回っていた経験から、信頼できる交渉役として今も各国を飛び回っていて領地運営をする余裕がないからだった。
その影響かは定かではないが、近年アルキュロス領では失踪事件が目立つようになっていた。
とはいっても西部は自然豊かな土地……普通の獣は勿論、小さな霊脈も各地にあるので魔獣の被害や自然の脅威による不幸な事故は起こり得る。
だが失踪事件が起きる場所がアルキュロス領にあるマリーセル山付近に集中し過ぎている点から"自立した魔法"の発生やカンパトーレの魔法使いによる潜伏、工作の可能性を考慮して今回ロベリアとライラックに白羽の矢が立った。
「ロベリア、当主の件を断ったそうではないですか」
「移動中、妙に何度も話を振ってくると思ったら……その話するタイミングを探ってたってわけ?」
マリーセル山を調査して一時間ほどして……兄であるライラックのわざとらしい様子をロベリアが鼻で笑う。
ライラックは糸目で感情が読み取りにくいが、双子であるロベリアには手に取るようにわかる。何故断ったのかと言いたげな目だ。
「数年前ならともかく……今なら当主になるべきは君でしょうロベリア」
「はっ……兄貴お得意のシスコン?」
「違います。僕は少し妹への愛が深いだけです」
「それがシスコンだっての」
二人は双子で背格好も見た目も顔立ちも似ているが、能力や考え方は違う。
似ているからこそ自分との違いが特にわかるのだ。ライラックにとってパルセトマを継ぐのはロベリアだという確信があるかのように続ける。
「僕がシスコンである事とロベリアが当主になるべきだという意見は関係ありません。客観的に見て君のほうが相応しいんですよロベリア」
「うちからすれば兄貴のほうが当主になるべきよ。はい、終わり」
「終わりじゃありません……あなたは自分が相応しくないと思っているだけでしょうに」
「……」
感知魔法を使いながら先導していたロベリアが機嫌が悪そうにライラックのほうに振り返った。ただでさえ鬱蒼な山の中で嫌な空気が流れる。
双子というのは何とも厄介なものだとロベリアは常々思う。相手の考える事を全部わかるわけではないが、ある程度はわかってしまう。そしてわかられてしまう。
そのある程度があまりにも癪に障る。簡単に踏み込めない場所には踏み込めず、しかしその一歩手前まではするすると簡単に入り込んでくるのだから。
「どうせうちら双子なんだからそんな決定的な差はないでしょ。それにあんたはフレンと付き合ってるんだから当主になったほうがいいでしょう。これからは堂々と連れ込めるわよ……お母さんとお父さんにも紹介したら?」
「待ってください? まさかフレンさんの事話しました?」
「そのまさかですことよ」
「まったく君は……」
ライラックはロベリアとの共通の友人であるフレンと学院卒業を機に恋人となった。
パルセトマ家は家名主義なのもあって下級貴族のマットラト家の令嬢であるフレンとの付き合いを念のため隠していたのだが、マットラト家は近年常世ノ国との貿易をきっかけに伸びている家系……さらにフレン本人もベラルタ魔法学院をしっかり卒業しているため、これで文句をつけられるようなら父母の見る目を疑う所だ。ロベリアの援護があればまず間違いなく歓迎されるだろう。
ロベリアも考え無しに兄の交際事情をばらしたわけではない。今がいいタイミングだと判断したからこそだった。
「安心しなさい。うちの友達だから安心してって言っておいたから……それに交際隠して音沙汰無さすぎたせいで危うくフロリア先輩とかネロエラ先輩とか紹介されるとこだったのよ。それならもう決まった相手がいるってばらしちゃったほうが楽でしょ」
「何故僕とそのお二人が?」
「お母さんのお気に入りだからでしょ。タンズーク家はネロエラ先輩が凄くてもう上級貴族だし、フロリア先輩のマーマシー家もそろそろなってもおかしくないし。ついでに北部に切り込むきっかけにもなれるし。今更フレンと別れて政略結婚したいわけ?」
「まぁ、流石にそれはないですかね」
「でしょ。別にそれでもいいとか言い出したら行方不明者を一人新しく出す所だった」
失踪事件の影響もあってマリーセル山に近付くような人間は今一人もいない。
パルセトマ家の当主継承問題をぺらぺらと喋っていられるのも人目のない山奥の中だからである。
「恋人はいいですよ。あなたもそろそろアルムさんを忘れて恋人でも作ればいいでしょうに」
「アルム先輩の事はあの演劇で吹っ切れたっての」
「でも会う時あなた尻尾振っているじゃないですか」
「いや、そりゃ嬉しいものは嬉しいわよ。一番尊敬してる人なんだから」
「ふむふむ……嘘ではない様子……」
「探ってくるその態度がむかつく……兄じゃなかったら殴って……いや兄貴だからこそ殴っていいか」
「うおわ!?」
ライラックの糸目が見開かれ、必死の様相でロベリアの振るう拳を躱す。
強化によって底上げされた身体能力で振るわれた拳は辺りに空が切る音を響かせた。
「当たってたらどうするつもりなんですか君は……!」
「顔面が腫れて双子だとわからないくらいブスになればいいと思ってる」
「いや殴る事に前向きな気持ちじゃなくてですね……それに僕の顔がどうであれロベリアが一番美しいのは変わりないんですから」
「きもい」
「ありがとう」
「きっしょい!!」
山奥に入るにつれて冷えてきたがロベリアの鳥肌はその寒さのせいではないのは間違いない。自然とライラックから少し距離を取る。何年たっても兄妹は兄妹……ライラックの妹への愛は深まるばかりであった。
「ん……?」
「どうしました?」
ロベリアの表情が少し険しくなり、ライラックの顔付きも変わる。
兄妹同士じゃれ合っているだけのように見えても調査を疎かにしていたわけではない。ロベリアは前方を、ライラックは後方を感知魔法で見張っている。
「小さいけど霊脈があるかも……?」
「ファニアさんの領地ですし、これだけの山ならあってもおかしくはないでしょう」
「うん、でもそんな報告あったかなって」
「小さいという事は確認できていないのかもしれませんね……調査しましょう」
お喋りの時間は終わり、ロベリアが感知した場所まで急ぐ。
身を隠して音を立てないように、かつ急いで。風属性の使い手らしく軽やかに二人は目的地へと到着した。
「湖だ……」
「そこそこ大きいですね」
二人が辿り着いたのは広がる湖だった。
鳥の囀りに動物たちの息遣いがひんやりとした空気から伝わってくる。汪汪たる湖の湖畔に鹿や小動物などが集まっており、二人の人間の登場に動物達は視線こそ向けるが、すぐに逃げ出すような様子はない。
「霊脈はこの湖の中みたい」
「ミレル湖のように輝いているわけでもないですし、わからないのも無理はないですね」
「魔獣がいないのは何でかしら……?」
「わざわざ湖の中の霊脈を頼りにする必要はないのでしょう」
「それもそうか」
ロベリアとライラックは湖畔に沿って少し歩く。
周囲に人の気配は無い。カンパトーレの魔法使いが拠点にしているという可能性はなさそうだ。"自立した魔法"の可能性を考えて慎重に歩を進める。
「……先程、双子なんだから決定的な差はないと言ってましたね」
「それが?」
周囲を警戒する中、突然ライラックが話を蒸し返すように口を開く。
珍しい、とロベリアは思いつつ軽く答えた。学院での魔法儀式もほとんど五分五分で、血統魔法の"現実への影響力"だって大して変わらない。
自分とライラックの間に"魔法使い"としての差はほとんどないとロベリアは思っている。そうでなければ兄のほうを薦めたりはしない。
「あるんですよ君と僕の間には決定的な差がね」
「魔力量がうちのがちょっと多いとか技術は兄貴のほうが高いとかそんなもんでしょ。実力はとんとんよ」
ライラックは呆れたように首を横に振る。
「そういう事ではありませんよ、」
「は? 喧嘩売ってる?」
「いえいえ、可愛い妹へのアドバ――」
突然ライラックが小走りで先に行く。
何事かとロベリアも追い掛けると、何かの残骸が湖畔に散らばっていた。
「木材にひしゃげた窓……屋根っぽいのもある……」
「もしかして……家があったの?」
「どうやらそのようで」
ライラックはきょろきょろと周囲を見渡す。
少し視線を上げると、とある場所が見える事に気付いた。
「見てくださいロベリア。クリーシャ城が見えます」
「わ、ほんとだ。山の間から見える」
ライラックが指し示す先には西部の観光名所であるクリーシャ城が見えた。
北部のトランス城のように山の上にある城であるが、トランス城と違って山が険しく行くのが難しいもののその美しさに見惚れて訪れる者は後を断たない。
貴族が四苦八苦して見に行くような城を見上げれば見れるのだから確かにここは家を建てるには贅沢な場所と言えよう。
「画材も散らばっていました。どうやらここは絵描きの家だったようですね……材質の新しさを見るに大昔にあったというわけではなさそうです」
「何でその最近の建物が壊されてるわけ?」
「確かに……」
ライラックはひしゃげている窓枠らしきものを拾う。
魔獣がこんな風に家を壊すだろうか……?
狂暴化した魔獣でもこんな風にするのは難しいはずだと表情が険しくなる。
「……?」
「ん?」
その時、二人の近くで水音がした。
魚が跳ねたのかそれとも風に乗って小枝でも湖に落ちたのか。
ロベリアとライラックは何気なく湖のほうに目をやる。
「――!?」
「っ――!!」
声にならない叫びと同時に二人の背筋が凍る。
突如水の中から現れたのは巨大な人型の上半身。無論人間のサイズではない。上半身だけで三メートルは固いだろう。
何故こんなデカブツにここまでの接近を許したのか? そんな事を考える暇もなく巨人は殺意のまま動く。
無音で湖に波紋を起こしながら水の中から飛び出るのは黒い魔力を纏った腕――その剛腕は二人に向かって振り下ろされた。




