エルミラと母親
「エルミラ様お疲れ様です! 元気な女の子ですよ!」
初めての妊娠に出産。不安もあったけど周りの人達に支えられてエミリーは無事に生まれてきてくれた。
想像より痛くて想像よりも苦しかったけれど、エミリーの泣き声でそんな事はどうでもよくなったのを覚えている。
「はぁ……。はぁ……ター……ニャ……ありがとう……」
「当然の事です!」
私の専属治癒魔導士のターニャは涙を浮かべながら私の手を握ってくれていた。
死ぬほど疲れて今にも意識が消えそうだったけれど、赤ん坊の顔を見たい一心で目を開けていたように思う。
ターニャがあまりに喜ぶので、つい笑ってしまっていた。
「ほらエルミラ様……抱っこしてあげてください。私はルクス様をお呼びしてきますから! この場はお医者様に任せます!」
「エルミラ様の様子を見るに問題はないでしょうが……何かあったらお呼びしますよ」
「うん……お願い……」
同席していた医師に私を任せてターニャはルクスを呼びに行ってくれた。
ターニャからゆっくりと任された私の赤ん坊はあまりにも小さい体で、でもその命はあまりにも重たくて。
確かな温もりで喜びが溢れるとともに、ちくりと胸の中に棘が刺さった。
喜ばしいはずの瞬間、何故か蘇る子供の頃の記憶。もう見なくなった悪夢。母親が私を見捨てて家を出て行った時の光景が浮かび上がった。
頭の中にそんな光景がよぎって、私はその時エミリーに向けてちゃんと笑顔を向けてあげられたのか自信が無かった。
――私の血を引いているあなたが母親になれるのかしら?
エミリーが生まれてきてくれた喜びの陰から、私の母親の声が聞こえた気がした。
「うあ……まぁ」
エミリーは一歳となった。病気も怪我も無くすくすくと育ってくれている。
オルリック領からロードピス領へと帰る馬車の中、エミリーはぐずる事無く私の髪を掴んで遊んでいる。
「相変わらず、エミリー様はエルミラ様の御髪が好きですね」
「ほんと女としては困っちゃうわ」
「ふふ、困っているような顔をしていませんよ」
ターニャは南部から私の領地まで雇ってくれと直談判しに来た物好きだ。
最初はダンロード家から送られてきたのかと思ったけれど、自分の意思で来たらしくディーマさんすら初耳だった。学生時代、偶然南部で出会った子だけどまさかこんな風に関わるとは思っていなかったが、本当によくしてくれている。
エミリーも彼女に懐いているので、この一年初めての事ばかりだが何とか乗り切る事ができた。
「エミリー様ったら私の髪はこんな風に掴んでくださらないんですよ……なんか寂しいです……」
「そんな事されなくってもエミリーはあなたに懐いてるからいいじゃない」
「それはそうですけど、なんか……なんか寂しいじゃないですか!」
「んな事言われても……エミリー、ほらターニャの髪はどう?」
私はエミリーをゆっくりターニャの頭のほうへと近付ける。
ターニャもわくわくしながら頭をエミリーのほうに向けるが……エミリーはターニャの頭をぽんぽん叩くと、すぐに私のほうを向いて手を伸ばしてきた。
「あー! あー!」
「そ、そんなぁ……エミリー様ぁ……」
「悪いわねターニャ、母親補正って事かしら」
しばらくエミリーの髪をいじらせながら談笑していると馬車が突然止まった。
御者台から客車に繋がっている小窓がノックされ、私は小窓を開ける。
「どうしたの?」
「失礼致します奥様! 休憩のために寄る予定だった村がどうやらま、ま、魔獣の群れに襲われているようでして……!」
「なんですって?」
窓から前方を見ると御者の言う通り村が見えた。確かに様子が騒がしい。
馬車を引く馬も落ち着かない様子な事から魔獣がいる事は間違いないようだった。
「う、迂回しますか!? それとも引き返して……」
「……ここで待ってて」
「え? お、奥様!?」
「ターニャ、エミリーをお願い」
「はい! お任せを!」
抱いていたエミリーを私がターニャに預けようとすると、
「あー! あー! むんあ! うあああああああん!」
エミリーは私のほうに手を伸ばしながら豪快に泣き出した。短い腕を目一杯伸ばして、届かないのをもどかしそうに暴れている。
今まであんなに大人しかったのにまるで私が離れるのを理解しているかのよう。
――その姿に、私は子供の頃の自分を重ねる。
母親と離れたくなかった。ずっと一緒にいたかった子供の頃の私を。
ついエミリーの涙に負けそうになる。あやすためにもう一度抱きしめたらエミリーは私にしがみ付いて余計に離れなくなるだろう。
エミリーが泣いているだけで、こんなにも離れ難い。
「あ……」
この一年、自分があの母親の血を引いている事から来る不安の声。
それが馬鹿げた杞憂だという事にようやく気付く。
だって――こんなにも愛おしい。
今すぐにでも抱きしめてあげたい衝動に駆られる。
同じなわけがない。私は私。私を捨てた母親じゃない。
「すぐに終わらせてくるから待ってて……私の可愛いエミリー」
私は馬車のドアを蹴飛ばして、外に飛び出す。
振り返るとターニャに抱かれるエミリーが泣きながらまだ手を伸ばしているのが見えた。
「安心して笑ってていいのよエミリー……ママ、くっそ強いから」
初めて、母親としてではなく"魔法使い"としての私を見せる。
吹っ切れた私は強化を唱えて襲われている村へと飛び込んだ。
襲われた村の村人は早めに避難して籠城したからか、魔獣に食いつくされるという最悪の惨劇は起きていない。
魔獣は獅子型。数は六頭。内一頭は"過剰魔力で狂暴化"した個体のようだった。
一撃貰えばいくら強化したといっても人間の体では厳しいだろう。
「で? それが?」
「グギャララララ!!!」
狂暴化した個体が一早く私の存在に気付いて吠える。
村人が籠城している場所に向かっていた体はこちらに反転した。
「『炎竜の息』」
「!!!???」
速度を落とさず、反転したその個体の顔に拳を叩き込みそのまま魔法を放つ。
同時に爆発。狂暴化しただけあって体は強化の魔法を使ったように硬質化している。
私が得意とする攻撃魔法だが、一撃では倒れない。
「『火蜥蜴の剣』」
けどこの私が顔を焼かれて怯んだ隙を見逃すなんて甘い事をするはずがない。
焼けた顔面の下から喉元目掛けて炎の剣で突き刺す。
刺した部分が魔法によって発火し、狂暴化していた魔獣は火に包まれた。
「な、なんだ!?」
「火!?」
遠くから籠城していた村人であろう声が聞こえてきた。
同時に狂暴化していた魔獣が率いていた魔獣が飛び掛かってくる。
どうやら過剰魔力で狂暴化していなくても人間を襲う意思がある個体がいるらしい
「『炎奏華』ぁ!!」
横から飛び掛かってくる獅子型の魔獣を殴り飛ばす。
私に殴り飛ばされた魔獣はきゃうん! と可愛らしい悲鳴を上げて地面に叩きつけられた。
この強化ってここまで強かったっけ?
そんな事を思いながら私は自分が笑っている事に気付いた。
不安一つ消えただけで体がこんなに軽い。
「どうする? まだやるかしら?」
炎が燃え上がった狂暴化した個体がその場に倒れる。
それはわかりやすくこの場で一番強いのが誰かを示す証。
さらに私は今殴り飛ばした魔獣にも止めを刺して、その遺体を燃やし尽くす。
「まだやるかしら?」
笑顔で問いかけると、意味を理解したのか他の個体は逃げ出した。
笑顔の起源は元々威嚇だったという話どこかで聞いた事がある。
あっという間に仲間を焼き尽くした私の笑顔は魔獣達にとってそれはそれは恐ろしい表情に見えた事だろう。
けどそれでいい。
私の笑顔は味方に愛を、敵に恐怖を。
それでいい。それがいい。
「私はエルミラ……ママになってさらに強くなった"魔法使い"よ」
私はエルミラ・ロードピス。
そう、当たり前だった。私は私で……私の母親なわけじゃない。
私を捨てた母親とは違う。
「とっとと消えなさい。今度聞こえてきたら鼻で笑ってやるわ」
自慢の髪を炎と共に揺らしながら堂々と言い放つ。
勿論、笑顔で。不安が生み出した母親の幻聴に向けて、私は清々しい気持ちで中指を立てていた。
まぁ、流石にこれはエミリーに見せられないんだけどね。
いつも読んでくださってありがとうございます。
この子強い。




