ルクスと空の下
時折思う。
父上が生きてくれていたらどれだけ頼もしいだろうか。
毎日届く書類の山、領地の視察にパーティの出席、仕事に追われて鈍ってはいけないと魔法の訓練も忘れてはならない。
オルリック領がどれだけ偉大な領主によって支えられたかを毎日から実感する。
父上はマナリルの英雄の一人でありながら領主としても素晴らしい人だった。
勿論、父としてもだ。目を閉じて見える背中はあんなにも大きい。
では自分はどうだと一人……両親の墓の前で考える。
丘の上にある墓地の中、ありったけの花束を供えて僕はずっと立ち尽くしていた。
「弱音を吐くなと叱りますか? でも勘弁してください、父が偉大だと息子は苦労するものです」
今日もオルリック領は快晴で見上げれば青空が広がっている。
だが僕の胸中には行く先の不安があった。
先代領主と比べられる宿命、エルミラの妊娠で父になる覚悟。
忙しさの中にあるやりがいも子供が出来た喜びもあるが……それでも不安は抱くものだ。
全て望むところだと言いきれるような強い人間だったらどれだけよかった事か。
ルクス・オルリックは弱い人間だ。
そんな事はわかっている。
たまたま恵まれていただけの人間だという事を知っている。
だからこそ弱音を吐く相手を選んでこうして立ち止まっているのだ。
両親に対する甘え。恋人に対する甘え。
天秤にかけて僕は前者を選んだ。今エルミラに甘えるわけにはいかない。
エルミラのほうがずっと大変だ。何せ命を育んでいるのだから。
「今日くらいはいいでしょう」
学院を卒業してから一年……随分走ってきたように思う。
領地運営は父上のようにはいかないが今日まで何とかやってこれた。
父上の死は領地に激震を与えたが、それでも何とか。
目が回るような忙しさを駆け抜けてきて、今日くらいはとゆっくり墓参りをする事を選んだのだ。
「まだまだ教えてもらいたいことがあったのに先に逝ってしまうんですから……息子のこれくらいの我が儘は聞いてください」
言いながら僕は目を閉じた。
瞼の上には両親の姿が思い浮かぶ。
忘れるわけがない。忘れるはずがない二人の姿。
今日は報告も兼ねている。
「エルミラが妊娠しました。僕もついに父親です……僕が父親になるなんて想像もつきませんでしたが……そんな事は言ってられません。ああ、勘違いしないでください。嬉しくないわけではありません。むしろ治癒魔導士と医者から報告を聞いた時は部屋で子供のように飛び跳ねましたよ」
飛び跳ねたなんて言ったら貴族に相応しくない振る舞いと怒るだろうか?
いや多分怒らない。きっと父上も飛び跳ねたに違いない。
「父上も僕が生まれる時には喜んでくれましたか? いや聞くまでもありませんね……父上は僕に甘かったですから」
つい思い出して笑みがこぼれる。
父上は他国から恐れられる魔法使いだが、家でそんな姿は見たことがない。
領主としての責務を果たし、忙しくしながらも自分と話す時間は必ずとってくれていた。
母上との関係はいわずもがな。父上は母上を溺愛していた。
「僕はあなたのような父親になれるでしょうか」
不安を吐露する。
領主としての不安、父としての不安。
せめてもの意地で一つだけにして。
瞼の裏に浮かぶ二人の背中は何も語ってくれなかったが、それでよかった。
最初から何とかしてほしかったわけじゃない。ただほんの少し立ち止まる時間が欲しかっただけだった。
そんな時、僕の横を通り過ぎるような風が吹いた。
瞼の裏には見覚えのある背中が現れる。
両親の次くらいに見知った背中だった。
僕の目指す在り方を迷うことなく目指してしまう親友の背中。
その黒い瞳は真っ直ぐ、真っ直ぐ。
嫉妬するほど真っ直ぐ前を見続けて進んでいく。
「ははは、ふざけるなこの野郎」
領主らしからぬ言葉遣いだが許して欲しい。何せ友人への軽口だ。
父は偉大だった。僕にその背中をいつでも見せてくれた。
母は偉大だった。僕に目一杯の愛と大切な事を事を教えてくれた。
けれど、いつだって僕を急かさせるのはやはり彼だった。
僕が立ち止まっている間に無表情で横を通り抜けてどこまでも歩いていきそうな親友。
どうしたルクス? なんて聞こえてきそうな幻影を瞼の中に見て……僕は目を開ける。
勿論、あるのは両親の墓だけ。アルムがここにいるはずはない。
「心配しなくて結構。ほんのちょっと、立ち止まっただけさ」
あの雨の日……立ち止まるのは悪い事じゃないと教えて貰った。
こうして立ち止まっても、僕はすぐに歩き出せる。
「うーん……今日もいい天気だなぁ」
気付けば、抱えていた不安は空の彼方へ消えていた。
空は快晴。風速良好。追い風に吹かれながら僕は僕の道を行く。
同じ空の下、見知らぬどこかで今日も"魔法使い"として誰かを救っている親友とずっと肩を並べて……いつか追い越すために。




