823.聖女の牙
「あー……くらくらする……」
「ごめんねー」
「あ、いや、自分で提案したことですし……勉強になりました……」
アルムがカルセシスに報告している間、実技棟では模擬戦を終えたハルベルトと治癒をするベネッタの周りに一年生達が集まり談笑していた。
繰り広げられた模擬戦が驚きの連続だったのもあって見学だった一年生も少し疲れており、ベネッタの緩い雰囲気のまま小休憩の時間になったようだ。
「あの……俺の足って凍ってないですよね……?」
アルムの精神干渉による幻覚がまだ抜け切っていないのかハルベルトは不安そうに聞く。当然ハルベルトの足は凍っているどころか無傷だ。
「凍った……? あー、紅葉のやつ使われたんだー。ちゃんと『抵抗』かけなかったんでしょー? 補助魔法は基本だよ? めっ!」
「す、すいません……緊張してまして……」
あまりに子供っぽい怒られ方に周りから少し笑いが零れる。
ハルベルトは少し恥ずかしくなって顔を赤くするも、言われている事があまりに真っ当なので何も言えなかった。
「基本や基礎はなんかおろそかにしちゃう子いるけどー、それが出来るだけで他の子より一歩先を行ける近道だから徹底して損ないよー?」
「ぐうの音もでないです……」
「はい、腕の治癒も終わり。制服までは治せないから、新しいの買ってねー」
「ありがとうございます」
『魔剣』でボロボロにされたハルベルトの両腕は見事に傷は全て消えていた。念のためぶらぶらと両手を振るが、骨まで響くような痛みも無くなっている。
「まさかあの『魔剣』ですらアルムさんが全力で使うとここまでになるとは……やっぱりマナリルの英雄は伊達じゃないですね……」
「全力……? あははは!」
ハルベルトが信じられないと言うように呟くが、それを聞いたベネッタは何がおかしかったのかくすくすと笑う。
「やだなー! アルムくんが全力出してたら両腕なんてなくなってるに決まってるじゃない!」
「……ぇ」
冗談やめてよ、とベネッタに肩をぽんぽんと叩かれるハルベルトは絶句する。
見学していた一年生達も流石に笑えず、顔が引きつっている者もいる。
「魔法儀式のルールにちゃんとあるでしょー? 相手を欠損させるような攻撃は駄目だって。だから『魔剣』の威力は手加減してるし、刃の部分はほとんど斬れないなまくらっぽく"変換"してたはずだよー?」
ハルベルトの表情は見る見るうちに青褪めていった。
――俺両腕無くなってたかもしれなかったの?
とまるで恐怖を和らげるように見学の一年生達と視線を合わせるが、見学の一年生達の表情も青褪めていて何の救いにもならない。
ハルベルトは無意識に一人で自分をひしっと抱きしめ始めた。若干奇妙な状況だが、腕があるありがたみを実感しているようなので許してやって欲しい。
「そ、それにしても流石は聖女様ですね……鮮やかな治癒魔法……。私のような下級貴族にもお優しいですし……」
「うええ!?」
一人の女子生徒の声にベネッタは狼狽える。
忙しなく手を動かしていて少し照れているのが見てとれた。
「ボクの二つ名知ってるのー!? やめてよー、ダブラマの人達じゃあるまいしー! 聖女とか似合わないってずっと思ってるし、後ボクだって下級貴族だから優しいとかそういうのないない!」
「そんな事ありませんよ、それに性格だけではなく顔立ちも整っていてお肌も綺麗ですし……憧れます……」
「全然そんな事ないってー! 童顔なの気にしてるし、肌は北部出身だからってだけー! お世辞ばっか言ってもボクはただの治癒魔導士だからねー?」
照れ照れそわそわと褒め言葉に弱いベネッタを見て微笑ましい空気が流れる。
アルムの超然とした空気とは全く違う親近感のある人柄に一年生達からもいつの間にか固さも消えていた。
ベネッタのほうが六歳ほど年上なのだが、そんな風に感じさせない接しやすい雰囲気がある。
「ただのって……カエシウス家の専属治癒魔導士でいらっしゃるんですよね? そんな御方がただのというのは……」
「それはミスティというかカエシウス家が凄いだけだからー……友達だからってのもちょっとはあると思うしー……」
「その杖もダブラマの国章が刻まれていますし、今のダブラマとの関係にも無関係ではないのでは?」
「買い被り過ぎ買い被り過ぎ! うう……こんなに褒められるの初めてだからなんかむず痒いよぅ……」
尊敬の視線に囲まれて小さくなるベネッタに一年生達の表情が少しにやける。
褒め言葉に弱い年上というのはなんともからかいがいのあるものだ。
社交の場では馴れ馴れしいと他に咎められるかもしれないが、ここは貴族の上下が関係ないベラルタ魔法学院でありベネッタはここの卒業生……ベネッタも今は心も学生に戻っているのかもしれない。
「それになんといってもベラルタ魔法学院の卒業生……僕達全員と戦っても勝てるくらいお強いんでしょう?」
一人の男子生徒が他に続いて冗談交じりに褒めちぎる。
ベネッタが今度はどんな風に慌てふためくのかを期待していると――
「あはは、それはそうだよー。いくらボクでも学院に入ったばかりのみんなよりは全然強いよー? ここにいる全員相手でもそりゃ勝つに決まってるじゃないー」
「え……」
性格、容姿、地位、権力……今まで全てに謙遜してきたベネッタがふとした瞬間に見せた牙。
褒め言葉に恥ずかしそうにしていたはずが、その実力に対してだけは当然だとただ肯定したベネッタに一年生達の言葉が途切れる。
「ねえ?」
「え……は、はは……そう、ですよね……」
ベネッタの横に座っていた女子生徒は引きつった笑いを浮かべる。
そんな事無い。買い被り過ぎだよ。十人もいたらちょっとなぁ。
そんなどれかの言葉が返ってくると思っていた。
だが、ベネッタは言ってのけた……勝つに決まってる。
一瞬、閉じているはずの瞼の間から銀色の魔力光が見えたような気がして一年生達は委縮する。
「アルムくんとの距離がわからなくても、ボクとの距離ならわかるかもってちょっと期待したー?」
四年前に卒業した十一人の名を貴族社会で知らない者はほとんどいない。
その中でもマナリルが最も荒れた時代の渦中に身を置いていた五人は特に……そして自分達の目の前にいる女性がその五人のうちの一人なのだと一年生達はようやくその身をもって認識する。
「全員でならとかちょっとでも思っちゃう?」
ベラルタ魔法学院を卒業しながら治癒魔導士という異色の経歴。
友人のよしみで腕前は、と揶揄されてもおかしくないカエシウス家の専属だが……当時の彼女を知る誰もが彼女の実力を疑わない。むしろコネだと言う者が笑われ者になる始末。
未だに空席となっている宮廷魔法使いの席一つは彼女のために空いているとまで言われている。
「あんまり侮らないでねー? 君達全員が今ボクの首に刃物を立てていたとしても、ここにいる子達相手なら……ボクは勝てるよ」
彼女は他の全てを謙遜しても、魔法生命という災厄が蔓延っていた動乱の時代を駆け抜けた自分の実力と友人の凄さだけは譲らない。
「まずはこの学院を生き残って、家の名前じゃなくて実力にプライドを持てるようになってからボクとの距離を測るといいよー。その時にはボクはもっと遠くにいると思うけど。ボクだって……必死にアルムくんに食らいついてるからねー」
ダブラマの聖女――ベネッタ・ニードロス。
その人格がどれだけ穏やかで親近感があったとしても、その実力まで理解できるとは限らない。
怪物はアルムだけではないのだと一年生達は知る。
ベネッタの醸し出す雰囲気はいつの間にかゆるくほんわかとしたものではなく、圧倒的な存在感へと変わっていた。
(可愛い顔して……すげえ、圧……)
ベネッタの閉じている目が開いたら殺されるのではという錯覚まで引き起こす。
穏やかな小休憩だったはずの時間はいつの間にか獅子に睨まれたかのような緊張感走る時間に変わっていた。
「ベネッタ、待たせたな」
実技棟の扉が開き、アルムが帰ってくる。
その声に気付いた瞬間……場に漂っていた緊張感がふっと消えた。
「アルムくんー! おかえりー!」
アルムの声にベネッタの表情はたちまち笑顔に変わる。
手を振っているその姿には先程のような可愛らしさが戻っていた。
緊張から解放された一年生達から冷や汗がぶわっと噴き出す。
いくら貴族で魔法使いが身近とはいえ、これが"本物"なのだと肌で実感できるような出来事は初めてだった。
「ハルベルト、大丈夫か?」
「は、はい……」
「ちゃんと治したよー!」
「ああ、ありがとうベネッタ」
「えへへ……!」
アルムにお礼を言われて嬉しそうにしているベネッタの笑顔は子犬のよう。
先程までと全く空気の違うベネッタに一年生達は目を丸くする。さっきまでと本当に同じ人物か? と。
「俺達はそろそろ行くよ。邪魔をして悪かった」
「じゃあみんな頑張ってね、卒業したらきっと会う事だってあるよー」
「あ、えと、ご指導ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
一年生達が礼を言うと、アルムとベネッタはマナリルの国章が刻まれたマントをなびかせながら実技棟を出ていく。
去り際に手を振る二人を見て、
「かっけぇー……」
「聖女様こええぇー……」
「ベネッタ御姉様……」
各々別の感想を一年生達は抱いていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
自分が侮られる=同期のアルム達も侮られる、だから実力だけは謙遜しない。




