820.魔力の怪物
「すまんなアルム、帰ってきて早々に来て貰って」
「いえ、こちらこそ放浪を許可して貰ってありがたかったですヴァン先生……今は学院長でしたね」
マナリルに帰ってきたアルムとベネッタはマットラト領に滞在した後、ベラルタへと足を運んだ。
旅立つ前、ヴァンからベラルタ魔法学院で定期的に実技指導をする教師として残ってほしいと打診を受けていたのだが……その時点でアルムは長く旅をするつもりだったので断っていた。
だが卒業後に旅をする予定を話してもヴァンは帰ってきてからで構わないと粘り、アルムはそれを承諾。正式に学院長となったヴァンはその権限を使ってアルムを学院の特別顧問にしたのである。
「卒業前からお前の新入生への指導力は目を付けてたからな……にしても、二人共変わったな」
「ヴァン先生は変わってませんね」
「うん、おじさんだねー」
「うるせえ」
ヴァンは振り返ってかつて生徒だったアルムとベネッタの成長を実感する。
アルムは昔から落ち着いていたが、その落ち着きが青年らしい佇まいと混ざり合って大人びた印象を受けるように。
ベネッタは少女らしさが少し大人しくなって、聖女と呼ばれるに相応しい清楚な雰囲気を醸し出すように。そんな雰囲気とは裏腹に変わらない口調は高嶺の花のような近寄りがたさを中和して親近感を湧かせている。
教え子というには何も教えていないが、それでも三年見守ってきた少年少女が逞しくなった姿を見ると、ヴァンの涙腺が少し緩む。
もう四年も経つのか、と中庭を抜けながら感傷に浸っていると実技棟が見えてきた。
アルムが在学中に何度も立ち寄った場所だ。学院内の施設ではぶっちぎりだろう。
「はは……実技棟も変わっていませんね」
「ああ……だが変わった事もある」
「変わったことー?」
「ああ、お前らが残した置き土産の習慣だな」
ヴァンが扉の横にある魔石に触れると実技棟の扉が開く。
実技棟の中に足を踏み入れると内装は変わっていない。魔法儀式を行う一階のスペースと吹き抜けになってる二階の観客席だ。
それよりもアルムとベネッタの目についたのは実技棟に集まっている生徒達だった。魔法儀式をするなら一階にいるのは二人のはずだが、一階のスペースには十人ほどの生徒がそれぞれ魔法の訓練を行っている。
アルム達を迎えたのは天井を満たすのではと思うほど昇る火炎の渦だった。
規模の大きい魔法だが、アルム達はそれに驚くこともなく実技棟に入っていく。
「ヴァン学院長と……誰だ? マナリルの国章のマント……?」
「上級生じゃないよな……?」
「邪魔をして悪いな、気にせず続けてくれ」
生徒達の注目がアルム達に集まるがヴァンの一声で魔法の訓練に戻る。
訓練半分、ヴァンが連れてきた二人は誰なのかという疑問が半分といった感じで空気が少し緩む。
「もしかして……俺がやってた一年生の指導を?」
「そうだ。お前が教えてた一年のとある奴等から代々後輩にやるようになってな……一年生に教える事で自分の訓練にもなるからって事で引き継いでいってんだよ」
「すごー! 貴族同士ってどうしても家の問題とかあるから弱み見せたくないだろうに……」
「ベネッタの言う通り他の貴族の前でここが苦手、だなんてそりゃ見せたらなめられる可能性はあるが……それ以上にこのままが嫌だって向上心のある奴等も多いってことだ。学院としては大歓迎ってやつだな」
アルムにこの光景を見せたかったのかヴァンは邪魔にならない空いている場所で立ち止まる。
目論みはどうやら成功のようでアルムは懐かしそうに表情を綻ばせる。
ヴァンはそんなアルムの様子に少年だった頃の姿を見た。どうやら魔法への好奇心は昔と変わっていないらしい。
「あ、あ、アルムさん!」
「ん?」
「わ、わ、私です! 覚えてますか!? それに、ベネッタさんも!」
「え?」
そんなアルム達の前に一人の女性が駆け寄ってきた。
きっちりとしたスーツを着た綺麗な金髪を揺らしている女性で、かちこちに緊張している様子だった。
アルムはその姿にとある後輩の面影を見る。
「セムーラか?」
「は、はい! お久しぶりです!!」
「あー! セムーラちゃん!」
その女性はアルムの後輩であるセムーラ・マキセナだった。
当時一年生だった頃よりも大人っぽく成長しているが、アルムを尊敬する眼差しは変わらない。
アルムが指導していた一年生の集まりの中でも特に熱心な後輩だったのもあって、アルムもセムーラの事はしっかりと覚えていた。
「教師になったのか」
「はい、当主になれないならやりたい事やっちゃおうと思いまして……私に魔法の訓練をしてくれていたアルムさんに憧れて……! まだ研修中ですけど頑張ってます」
「見違えたな。セムーラはセンスがよかったし、熱心だったから教えるのは向いてるだろうな」
「っ……!」
アルムの声にセムーラは瞳を潤ませて唇を結ぶ。
尊敬していた先輩に再会しただけでなく、自分の選んだ道を肯定して貰っているのだからその喜びもひとしおだろう。
そんなセムーラを援護するように横で聞いていたヴァンが補足する。
「この集まりの発端になったとある奴等の筆頭がセムーラだったんだ。お前がやってくれた事を後輩にもってな。本人も優秀だから来年にはここの教師になるだろうよ」
「へぇ、流石だな」
「そ、そんなそんな……! あ、わ、私だけじゃありませんよ? フィンとかデラミュアとかも一緒に……あ、デラミュアは今ここの図書館の司書もやってるんですよ?」
「デラミュア……ああ、あの子か。素直な子だったな」
「ええ、今でもアルムさんのアドバイス通りランニングしてます」
「真面目だな……」
学院長のヴァンが連れていて、そして研修中でありこの学院の卒業生でもあるセムーラの接し方に一年生達もつい聞き耳を立ててしまう。
ヴァンが連れている二人の名前が聞こえてきて、訓練していた一年生達の空気が変わる。
「アルムって……あのアル、ム……?」
誰かが言葉を詰まらせた。
その名前を聞くと一年生達も訓練どころの話ではない。いつの間にか聞き耳の体ではなく会話するアルム達のほうに全員が明確な興味の視線を向けていた。
アルム。その名はベラルタ魔法学院に通う者で……いや、それどころか今は貴族の中で知らぬ者はいない。
四年前に卒業したあの世代というだけでも話題性は十分だというのに、アルムの名はそれだけにとどまらない。
"学院唯一の平民"、"魔力の怪物"――そして"マナリルの英雄"。マナリルを救った功績と敵国からの畏怖を込めて様々な呼び名で呼ばれ、四年前ベラルタを襲った災厄を退けた張本人。
カンパトーレの魔法使いはその名前を聞くだけで裸足で逃げ出すとまで言われた魔法使いにして、マナリル近代魔法史における偉人の一人。
真実を知る詩人がこぞって彼を歌い、劇の題材にされるのも珍しくはない……記録を残さねば後世では実在を疑われるだろうとまで言われた伝説がそこにいた。
事実、卒業してから数年の間名前を聞かなくなったのもあって地方では実在を疑う貴族もいたという。
「ほ、本物……?」
真剣に訓練していた集中は完全に解け、疲労は頭から飛んでいた。
本物かどうかを確認したい一心で十人以上の視線がアルム達に集まっていた。
「で、どうだアルム? お前の見立ては? 優秀なのはいるか?」
「……そうですね、まだ少ししか見ていないですが二人ほど」
不意にアルムが一年生のほうに目を向けて、アルム達に注目していた一年生達はびくっと体を震わす。
無論、アルムはそんな事気にするわけもない。ヴァンに聞かれた通り、現時点で突出しそうな生徒に順に目をやった。
「そこにいる男子生徒とあそこの隅に座ってる女子生徒の二人ですかね」
アルムは訓練の中心人物らしい熱心だった男子生徒と、隅で膝を抱えている女子生徒の二人を見る。
「ほう?」
「男子のほうは魔力操作が少し甘いですが、"放出"の速度がすでに形になっています。実戦経験がすでにあるんでしょう。そこの女子生徒は何もやっていないように見えて補助の無属性魔法を繰り返しています。明確な指標をもって基礎の訓練をしているので一年後には頭角を現します」
「他はどうだ? 俺達が入った時に上位の魔法を使ってるやつもいたが?」
ヴァンは自分達が入ってきた時に見た天井を呑み込むような火炎の渦の事を言っているのだろう。
アルムはヴァンを見て呆れたように答えた。
「あれは見た目だけだったので特には……威嚇にはなるんじゃないですか」
「……誰か知らないですが、急に来て難癖ですか」
アルムの言葉に一年生が前に出てくる。
険しい表情をした男子生徒だ。先程、天井まで昇る炎の渦の魔法を使っていた張本人なのだろう。
「難癖じゃなくて事実だ。見た目だけで"変換"の精度はたかが知れてる……あんなの使ったらただ危ないだけだ」
「……」
「自分でもわかっているだろう。魔法は技術だ……基本的には地味な積み重ねが大事だぞ」
アルムに諭されるように言われてその一年生はそのまま退いた。言われた通り自分でも見た目だけの魔法だとわかっていたのだろう。
学生の頃なら突っかかれてただろうな、と懐かしんだ。ミスティ達の穏やかな時間の裏で平民だからという理由で何度も何度も喧嘩や嫌がらせ、魔法儀式を吹っ掛けられた日々が懐かしい。
「あ、あの……模擬戦とかやってもらうのって駄目でしょうか……!」
一年生の一人が勢い良く手を挙げた。
先程アルムに実戦経験があるだろうと言及された男子生徒だ。
「アルムさん、ですよね……! 四年前に卒業された十一人の一人……マナリルの英雄の……!」
その男子生徒はアルムを見て目を輝かせているようだった。
放っておけばサインをとでも言いだしかねない勢いだ。
一方、尊敬を向けられているはずのアルムは難しい表情を浮かべる。
「えい……ゆう……?」
「アルムくんのことだよー? 知らないの?」
「初耳だよ……ああ、ベネッタのダブラマの聖女みたいな感じか……」
アルムはヴァンをちらっと見る。
「いいんじゃないか。そいつはハルベルト・スラクティア……南部の上級貴族で兄が四年前の大蛇迎撃戦に参加して生き残ってる猛者だ。こいつの才能も間違いない。
一度完膚なきまでに折られるって経験をさせてやったほうが成長にも繋がるだろうよ」
「逆にアルムさんに攻撃を当てれば自信にもなるでしょうし、ハルベルトくんはそんな事で調子に乗る子でもありませんから安心してください。いい経験になると思います」
「うーん……」
「っ……」
ヴァンもセムーラが自分が負ける前提で話している事に模擬戦を希望した男子生徒――ハルベルトの中でほんの少しだけプライドが抵抗する。
実績を考えれば、学院に入ったばかりの自分がアルムに敵う可能性など普通は有り得ない。
だが噂通りならアルムは平民……無属性魔法しか使えないはず。それならば自分にもほんの少し可能性が。手加減や油断が前提の模擬戦ならば付け入る隙があるのでは。
兄から聞いた四年前の地獄を終わらせた張本人――その人を模擬戦とはいえ勝利する事ができたのなら、自分の才能が確かなのだという自信をもってこの三年間を過ごせるのでは。
ハルベルトはもしもの未来を想像して胸を高鳴らせた。どうか受けてくれと祈りながら。
「いいよ。やろうか」
「ありがとうございます!」
アルムが模擬戦を受け入れると他の一年生からもつい歓声が上がる。
模擬戦とはいえ、あのアルムを見れるのだと。
「頂点を教えるいい機会だ。しっかり見とけよ」
「はい!!」
ヴァンが言うと一年生達は今日集まったことの幸運に沸き立つ。
普通ならまず見ることはないであろうイレギュラー中のイレギュラーを間近で見れるのだ。
魔法使いを目指す者として貴重な経験となるのは間違いない。
才能があればまず選ばないであろう無属性魔法の使い手。その一端を焼き付けられる。
「せっかくだ。開けるか?」
「魔力を閉じずに……って事ですか?」
「ああ、魔力だけ本気で……魔法だけ制限するってのはどうだ?」
「それでいきましょうか」
アルムはマントを脱ぐと通信用魔石を取り出す。
マントの中はマナリルでは見ない民族衣装のような服だった。
涼やかな羽織のような服に帯を巻いた常世ノ国の服である。
「魔力解放申請。アルム」
通信用魔石に魔力を通し、通信が繋がる。
『こちら王都観測室。申請受理……え? あ、アルム様? 訂正。申請保留。解放理由をお願い致します。国食いの怪物でも現れましたか……?』
「ただの指導です。立会人はヴァン・アルベール。場所はベラルタ魔法学院」
『し、失礼致しました。改めて申請受理致します』
「ありがとうございます」
通信を切ると、その通信内容に一年生達の視線が異様を見る目に変わる。
ただ模擬戦をやるのに何故王都に繋げる必要が――?
「じゃあ……やろうか」
アルムは魔力を閉じていた蓋を開ける。
普通なら観測できるはずもない魔力量がアルムの体から噴き出して。
「うっぶ……!」
その瞬間、実技棟の隅に座っていた女子生徒の様子が変わる。
ただ暗そうに見えていた表情は一気に青褪めて、その体が跳ねるように体勢が崩れた。
「うぼええええええええ!」
「!!」
「あ? おいまさか……」
様子が一変したその女子生徒は体をよじらせて、その場に胃の中身を吐き出す。
突然の体調不良に一年生達が固まる中、ヴァンはしまったと額に手を当てた。
「おえ……! うぶ……げぇ……ひっ……! ひっ……!」
「魔力感知の特異体質か……悪いことしたなこりゃ」
「ルトゥーラさんみたいな……じゃあボクがいくねー」
「すまん」
内臓の中身まで吐き出しそうな女子生徒にベネッタとセムーラが駆け寄る。
何が起こったかわかるのはアルム達だけ。一年生達は一体今の瞬間、何が起きたのかもわからない。
ただの体調不良? そんな事があるだろうか?
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」
「大丈夫大丈夫、こわくないよー」
「吐瀉物は私が片付けますので、ベネッタさんはこの子を」
「ありがとうセムーラちゃん」
ベネッタは怯える女子生徒を宥め、肩を貸して歩かせる。
普通の体調不良の可能性も一応あるので医務室に向かおうとして、その女子生徒は実技棟を出る前にハルベルトに声を掛けた。
「やめたほうがいい……いいよ……!」
「え……?」
「殺されちゃう……! 人間じゃ、人間じゃない……!」
喋ったこともない、不気味とすら思っていた同級生からの善意の忠告にハルベルトは呆然としてしまう。
「どうする? やめておくか?」
「あ、い、いえ……」
ハルベルトはアルムのほうを向くと、アルムの様子は特に変わっていない。
流石にその佇まいに平凡さは見えないが、落ち着いた人という印象だ。
そんな人と今からやるのはただの模擬戦のはずだ。あの女子生徒は一体何を感じ取ったのか。
「騒がせたな。アルムは魔力が多すぎてな、魔力を解放すると周辺の魔獣の生息域が変わったり、さっきみたいに特異体質の人間が多すぎる魔力の情報で酔っちまうんだ。王都に申請してたのもそんだけの理由だ。
模擬戦は模擬戦……生死にかかわる事は起きない。うっかり死ぬ事はあるかもしれんが、アルムはそういう手加減もうまいから安心しろ」
ヴァンの説明はハルベルトを落ち着かせるようでいて動揺を加速させる。
魔力で魔獣の生息域が変わる? 特異体質の人間が胃の中身を吐き出す?
出来の悪い物語を聞いているかのようだった。
「さ、見学者は上だ上。万が一があるからな」
ヴァンは他の一年生達を連れて二階の観客席へと。
セムーラも吐瀉物を掃除し終えて横に掃けた。上級貴族の出だというのに嫌な顔一つせずに率先して掃除までしてくれるセムーラはあまりに人として出来ているなと思う。
(いや……そうじゃなくて……)
自分でも無関係な事を考えて現実逃避しかけていたのがわかる。
ハルベルトは生唾を飲み込み、アルムが中央に立つのをただ見ていた。
(俺は……一体何と戦うんだ……?)
ハルベルトはそこでアルムの呼び名の一つを思い出す。
――魔力の怪物。
英雄への尊敬が怪物への恐怖に。
羨望の視線が畏怖の視線に。
思い描いた万が一の未来はもう、とっくに想像できなくなっていた。
「さあ、始めようか」
微笑んでかけられたそんな普通の言葉すら、処刑の合図のように聞こえた。




