819.四年後
ベラルタ魔法学院を卒業したアルムはカレッラに戻ってきた。
三年の間過ごした第二寮は次の学生の寮となる。
荷物を引き払い、最後の登校をする時は流石に少し寂しさを感じたものだ。
「やっぱりあそこは特別な場所だったんだな」
全てを包み込むような自然に溢れた山の中。
アルムの声は透明な空気に溶けていく。
山奥に存在するカレッラの村の教会前……師匠の墓の前にアルムは座っていた。
無論、無事ベラルタ魔法学院を卒業して魔法使いの認定を受けた事の報告だ。
魔法について教えてくれたのも師匠、ベラルタ魔法学院への手続きをしてくれたのも師匠だ。
思い返せば本当に頼り切りだったなとアルムは思う。
「師匠のおかげだよ」
当たり前の事だが平民でベラルタ魔法学院を卒業したのはアルムだけだ。
握られている卒業証明書に家名は書かれていない。
「でも、もう少しやらなきゃいけない事があると思ったんだ」
返答はない。
墓石に向かってアルムは話し続ける。
「ベラルタに行って大切なものができたよ。あの場所で知り合った人や仲良くなった人……友達になった奴等に好きな女の子……。ここにいたら、魔法使いを目指さなかったら絶対に出会う事の無かった人達だ」
ベラルタに旅立ってからの出来事をアルムは思い出す。
浮かぶのは大切な記憶。
大蛇との戦いにおいて最後に師匠が守ってくれたもの。
彼女は忘却の悪魔であるがゆえに、経験や記憶が人を人たらしめるのだと知っていた。
「魔法使いになって……いや、なれなくても大切なものが増えたよ」
かつてはカレッラだけが大切な場所だった。
シスターや師匠と暮らしていたこの故郷。
――帰りたいと思える場所。
「一年の頃にルクスが言っていたのを思い出したんだ。魔法学院って場所があるのは……新しい故郷を作る事だって。印象的だったのを覚えてる」
アルムは卒業して学院での日々は過ぎ去り、二度と生徒になる事はない。
それでも……あの場所で積み重ねた時間がアルムに第二の故郷を作る。
同じ日を過ごした人、戦った人、自分と同じように魔法使いを目指した人。
卒業したばかりの今思い出してもそれはアルムの理想への原動力となって突き動かす。
そして次の魔法使いを目指す者が――また新たに学院へと入学していく。
あの場所でまた大切な時間を過ごして、魔法使いになるために。
「とても素敵なことだ。少なくとも俺はそうだった。ベラルタに何かあったら……俺は心の底から守りたいって思うよ。そこにミスティ達がいなくても」
本心だった。
ベラルタはアルムにとっての第二の故郷。
"魔法使い"としてだけでなくアルムとしての。
「だから、俺はそんな自分の大切な場所を増やしてみようと思う。自分の世界をもっと広げて帰ってくるよ。師匠が俺のところに来てくれたように、今度は俺が魔法使いになりながら」
そう言ってアルムは立ち上がった。
制服を脱いで、平民らしい簡素な服を着る。
その上にマナリル国王カルセシスから贈られてきたマントを羽織った。
あまりにもアンバランスは組み合わせだがアルムらしい。
平民であり魔法使いでもある彼にとっては。
「行くのかい?」
「うん」
教会の入り口にもたれかかっていたシスターがアルムの卒業証明書を受け取る。
シスターは呆れた表情をしているが、少し嬉しそうでもあった。
「最初はどこにいくんだい?」
「まずは南部を回って、その後は海の向こうに行くよ。ディーマさんが商船に乗せてくれるらしい」
「ミスティちゃんには話したんだろうね?」
「ああ、ミスティも納得してくれた」
「そうかい……気を付けて」
「シスター」
「ん? ちょ、おいおい……」
アルムは両手を広げてシスターを抱きしめる。
突然の事だったからかシスターは少し慌てるも、すぐに抱き締め返した。
自分よりも大きくなった息子の抱擁に目尻に涙が浮かぶ。
「でっかくなったねぇ……」
「シスターのおかげだ」
「本当に……本当に……大きくなった……。もう、子供じゃないんだなあ……」
「でかくなってもシスターと師匠の子さ」
「……うん」
しばらくしてアルムは抱きしめていた腕の力を抜く。
別れの時だ。シスターもまたアルムを抱きしめていた腕を離した。
「いってくる」
「ああ、いってらっしゃい!」
三年前のようにアルムはまたカレッラから旅立つ。
今度は"魔法使い"になるためにではなく、自分の理想を広げるために。
鳥の囀り、獣の声、草木の香りに頬を撫でる風。
アルムにとってただの自然でしかなかった故郷の音が、いつもよりも愛おしかった。
魔法創世暦一七〇五年――アルム達がベラルタ魔法学院を卒業してから四年後。
マナリル東部マットラト領港町。
常世ノ国から来た船から二人の男女が降りてくる。
いや、正確には二人だけではなかったのだが……人々の視線は自然と二人に集まっていた。
黒髪に黒い瞳を持つ男性と目を閉じながら杖をついて歩いている翡翠色の髪をした女性。
その二人が羽織っているマントの端にはマナリルの国章が刻まれており、女性が持っている杖にはダブラマの国章まで刻まれていて……港で作業をする平民であってもやんごとなき人物であるというのがはっきりわかってしまうからだった。
「マナリル戻ってくるの久しぶりだねー」
「ああ、みんなは元気かな」
人々の視線を集めているがその男女は気にする様子もない。
港に降りてきょろきょろと見渡すと、二人の前に桃色の髪をした可愛らしい女性が歩いてくる。
船から降りてきた二人が何者かわからないが、歩いてくるその女性が何者なのかはその場にいた人々も半数ほどはわかっていた。
この地を治めるマットラト家の次女――フレン・マットラトだ。
「お二人共お待ちしておりました。マットラト家にご案内します」
領主の娘が礼をとるその二人に改めて視線が集まった。
マットラト家は四大貴族ほど大きくはないが、近年常世ノ国との貿易が始まった事によって急速に伸びている貴族の家。
そのマットラト家の人物が礼を払うこの二人は一体何者なのかと――?
「わざわざ悪かったなフレン。よろしく頼む」
「久しぶりー、フレンちゃんー!」
「はい、お久しぶりです! アルムさん! ベネッタさん!」
時を経て少年から青年へ。
その顔付きは逞しく落ち着きがあり、それでいて瞳の輝きは失わず。
四年もの間マナリルから姿を消したアルムは再びこの地に戻ってきた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ただいまマナリル。




