816.巫女ではなく恩人として
アルムが目覚めてから二週間後、後一月もすれば今年も終わるという頃にアルムは何とか歩けるまでに回復した。
王都では戦勝祝いとして討伐部隊含めたアルム達を招待したパーティを開くもアルムは牢獄を抜け出した事を理由に辞退。
自分に贈られるはずだった褒賞もグレースの軟禁やクエンティについての処分などと相殺する事、そしてもう一つを条件に受け取る権利を放棄した。
とはいえ……アルムが大蛇を倒した事実が無くなるわけではない。
他の三年生も大蛇迎撃戦での奮闘が貴族達の間で話題となっており、毎年起きるベラルタ魔法学院卒業生の争奪戦はにわかに盛り上がる事となる。
「よかったのか? 今の君なら領地も地位も、一生困らずに暮らせる金だって手に入ったかもしれないぞ?」
「自分がぎりぎり使えそうなのがお金しかないので……」
「ふふ。まぁ、君は確かに偉ぶってるイメージがわかないな。だが地位はあるに越したことはないぞ、権力を振りかざす馬鹿に対する対抗手段になるからな」
アルムは王都で褒賞放棄の報告をした足でファニアに案内されて王城や居館からも離れている隔離された塔に来ていた。
忙しなく人が行き交う王城とは思えないほど静かであり、ここにいるのは警備の人間と軟禁されているとある人物だけ……アルムが褒賞を放棄する条件の一つである女性だった。
「ここだ」
階段を上ると扉があり、ファニアはノックしてから扉を開く。
中から返事は無かったが扉を開くとそこには常世ノ国の巫女カヤ・クダラノが窓の外を見ながら座っていた。
アルムと同じ黒い髪に黒い瞳。"分岐点に立つ者"としての証を持つ美女だ。
大蛇が消えた今、もうその証が珍しい事以上の意味を持つことはない。
「カヤさん」
「……」
アルムの声にカヤは振り向く。
整った顔立ちをしているが、少しやつれているように見えた。
座っているカヤに視線を合わせるようにアルムが片膝をつくと、案内をしてくれたファニアは外へと出た。
最低限のものしか置かれていない簡素な部屋の中で、アルムとカヤは二人きりとなる。
だが、そこに甘い雰囲気など欠片もない。カヤはアルムの無表情な顔を見て……次第に表情が歪んでいく。
「……どうして、生き残ってしまったのですか?」
責めるような声色だった。
最初に出会ったような落ち着きも、濁りの無さも感情によって色を帯びている。
「大蛇を討伐した事はおめでとうございます……しかし、何故……あなたが生き残ってしまったら、わらわはどのようにしてこの役目を果たせばよいのですか……?」
「カヤさん」
「この世界に再び魔法生命を解き放ってしまった罰をどうやって受ければよいのですか……? あなたが生き残ってしまったら、わらわは……」
何も縋るものがなくなったかのようにカヤは繰り返す。
まるで牢の中で失意に落ちた自分を見ているようで、アルムは少し苦しくなった。
アルムにとって自分の夢が支えだったように、カヤの支えは常世ノ国の巫女という役目だったのだろう。
自分が犯した罪も自分の結末も、生まれる前から決まっていた役目に殉じて辿り着くはずだったのに……アルムが生き残った事でその役目は消えてしまった。
アルムが生き残った事で、星の花嫁として死ぬ結末はもうカヤには訪れない。
常世ノ国の巫女は、もうこの星にはいらないのだ。
「わらわは……」
視線を落として何も持っていない両手を見る。
今ここにいる自分は誰――?
そう問いかけるように。
「……カヤさんは解放される事になりました」
「……」
落ち着いた声色で説明するアルムにカヤは顔を上げる。
流れて顔にかかる髪は涙のよう。
「マナリルは事前に魔法生命の情報と引き換えに常世ノ国と契約を結んでいます。あなたが暮らしていた時とは違うでしょうが……それでも、これ以上国が荒らされることはありません。モルドレットという魔法生命が今は守っています」
「常世ノ国の巫女でなくなったわらわが常世ノ国に帰ったところで……どうしろと言うのですか? わらわにはもう、生きる意味なんてないというのに」
自嘲気味にカヤは笑う。
何者でもなくなった自分が今更常世ノ国に戻った所でどうするのか。
「常世ノ国の巫女でなくなったとしても……あなたの故郷でしょう? 自分の褒賞と引き換えにあなたを故郷に戻すようにとカルセシス様にも了承を得ています。落ち着いて、戻りたくなったらファニアさんにご相談をどうぞ」
「あなたの褒賞と……引き換え……?」
「他の条件のついでですよ。領地なんて貰っても自分にはいらないですからね」
「……無欲ですね。ですが何故私を……? あなたにそんな事をする義理はないはずでしょう?」
カヤは無気力に椅子に寄り掛かりながら視線を逸らす。
全てを成し遂げたマナリルの英雄、対して役目も全て失った罪人。
同じように生き残った"分岐点に立つ者"であるというのに、今のカヤにとってはアルムの存在が見る毒だ。
本当なら、この人に嫁ぐために死ぬ最期を迎えるはずだったのに。
「あなたは恩人だから」
「……はい?」
一瞬、何を言われたわからず視線をアルムに戻す。
改めて考えても、カヤには意味がわからず目をぱちぱちさせた。
無気力だった瞳もあまりの驚愕に少し生気を取り戻したようだった。
「大蛇への対抗策を教えてくれた」
「……あれは自分のためです。あなたがこの世界から消えて……常世ノ国の巫女としての最期を見事に果たす為の」
「自分のため……はは」
小さく笑ったアルムにカヤは少しむっとする。
「それでも、俺は助かりました」
「結果的にあなたの立派な理想を果たす手段になっただけにすぎません」
「そうかもしれない。でも……それだけじゃありません」
アルムは何も握られていないカヤの手を握る。
カヤは驚いたように目を見開き、頬を少し赤く染めた。
揺れない瞳で見つめてくるアルムの真っ直ぐさが今のカヤにとっては何よりも眩しい。
毒なんて生易しいものではない。自分の心に落ちる影を塗り潰す光そのもの。
「あなたは俺と師匠を出会わせてくれた。あなたが魔法生命を復活させてくれなければ……俺はこんな道を歩めなかった」
「……!」
何の曇りもない感謝の言葉がカヤを貫く。
アルムの中にある記憶。アルムにとっての最大の分岐点。
それは確かにカヤが師匠をこの世界に蘇らせたからこそ。
真実を知ればカヤを恨む者はいるだろう。憎む者もいるだろう。
それでもここに一人、感謝を示す者がいる。
それは自分の役目が無意味になったと思ったカヤにとって、どれだけの救いだろうか。
「ありがとうカヤさん。あなたは俺の恩人だ。俺はあなたに生きていてほしい。役目を失ったとしても……カヤ・クダラノという人間として生きようとしてほしい」
「恩人だから……ですか?」
「恩人を二人も失うのは嫌なだけです。つまり……自分のためですね」
アルムのその言葉を聞いて、強張っていたカヤの肩の力が抜ける。
本当の意味で役目から解き放たれたような、或いは自分の生に息を吹き込まれたような。
無気力だったカヤの黒い瞳に、光が戻った。
「無欲という言葉は撤回します……恩人を失うのが嫌だからわらわに生きろだなんて……。あなたは、底無しに我が儘な御方ですね」
「生きる意味が無くなったならまた作って下さい」
「常世ノ国の巫女として生まれ、生きてきたわらわになんという無茶を……本当に、仕方のない御方……。あなたに嫁いだら大変でしたね」
「でしょう?」
数日後、カヤ・クダラノは常世ノ国……故郷へと帰還するために王都を発った。
常世ノ国の巫女という役目は消え、一人の常世ノ国の民として。
以後数十年……常世ノ国で生き残った民を纏める魔法生命モルドレットをチヅルと一緒に補佐しながら、常世ノ国の復興に尽力することとなる。




